『紫式部日記』研究のために。

『紫式部日記』研究のために。

古典・紫式部について。

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 日が暮れてゆくにつれて、いろいろな楽の音がとても趣深い。上達部が帝の御前に伺候なさっている。万歳楽や太平楽、賀殿などという舞なども、長慶子を退出音声として演奏して、楽船が築山の向こうの水路をめぐってゆく時、遠くへ行くにつれて、笛の音も鼓の音も、それに松風も木立の奥から吹き合わせて、たいそう素晴らしく聞こえる。

 とてもよく手入れされた遣水がさらさらと流れて、池の水波がさざなみを作っており、何となく寒いのに、主上は御袙をただ二枚だけをお召しになっている。左京の命婦は自分が寒いものだから、帝に同情されているのを、女房たちはひそひそと笑っている。筑前の命婦は、

 「亡き女院様がご在世中でした時、この邸への行幸は、何度もありました。その折は……、かの折は……。」

などと、思い出して言うのを、縁起でもない涙を流すことにもなってしまいそうなので、厄介なことだと思って、とくに相手にせず、几帳を隔てているようである。

 「ああ、その時はどんなだったのしょうか。」

などと言う人がいたならば、泣き出してしまいそうである。

 帝の御前における管弦の御遊が始まって、たいそう趣深い頃に、若宮の泣き声が可愛らしく聞こえなさる。右大臣が、

 「万歳楽が、若宮のお声によく合って聞こえます。」

と言って、お褒め申し上げなさる。左衛門督などは、

 「万歳、千秋」

と声を合わせて朗詠して、主人の大殿は、

 「ああ、これまでの行幸を、どうして名誉なことだと思っていたのであろうか。こんなにもめでたく素晴らしい行幸もあったのに。」

と、酔い泣きなさる。いうまでもないが、ご自身でも感動している様子が、ほんとうに素晴らしいことであった。

 殿は、西の対へお出ましになる。主上は御簾の内側にお入りになり、右大臣を御前に呼び寄せて、筆をとってお書きになる。中宮職の役人や、殿の家司のしかるべき者すべてに、位階を上げるのだ。頭弁に命じて加階の手続きは奏上させなさるようだ。

 新たな若宮の親王宣下の慶祝のために、藤原氏の上達部たちが連れ立って、お祝いの拝礼をなさる。同じ藤原であるが門流の分かれた人たちは、その列にお加わりにならなかった。次に、親王家の別当になった右衛門督は、中宮大夫ですよ、中宮権亮は、加階した侍従の宰相で、続いて次々の人びとが、お礼の拝舞をする。

 帝は中宮様の御帳台にお入りになって、間もないうちに、

 「夜がたいそう更けました。御輿を寄せます。」

と、大声で言うので、帝は御帳台からお出ましになった。




行幸もクライマックスを迎え、一条天皇に焦点が当てられます。日記冒頭で詰まった遣水も、いまはサラサラと流れて心地よいという描写です。

加階の記録では、道長側の一族とそうではない一族で、差があったことを示しています。そして親王宣下があります。道長が外戚としての力を持つようになるわけです。この記事からもわかります。式部はその素晴らしい様子を褒め称える書き振りです。