こんばんわ。



最近のSNSはインスタグラムしか使っていないのですが、たまにTwitterを見ると面白いツイートが多々あり、時間を忘れて見入ってしまうことがあります。




その中でとても興味深いなと感じたものをご紹介させていただきます。

現在、上野で開催されているゴッホ展に対するツイートで「行列に並んでみると、とてつもない虚無感い襲われる。文化という栄養剤を注射されるためにベルトコンベアに乗せられた肉の列だと感じた。」とのツイートである。


さらに、「上野はパンダと芸術作品の区別がつかない人が多い。」とのコメントをしている。



私がこの人のツイートから感じたのは、芸術作品の価値が上がるとともに、作品そのものの価値が希薄になってるのではないかということだ。



上野のパンダを事例に取ったのはとてもわかりやすく、実際に本当にパンダのことが好きという純粋な気持ちで見にきている人は来客数の何割なのだろうか。


パンダという、希少性や話題性が多くの人に関心を持たせ来客している人のが多いのではと感じてしまう。私自身そのことを悪いとは思わないし、動物園側もそれが狙いなのであろう。


では、芸術作品の話に戻ると多くの人が有名画家の展覧会にきて彼らの本当の作品の良さを感じているのかという疑問が上がってくる。

インスタ映えという言葉が流行したように、自分の自己アピールのために作品を利用している気がしてならない。


以前、話題のバンクシーがNYで自分の作品を路上販売しているとして話題になったが、その際に彼の作品を高値で買うといった人は少なかった。

なぜなら、路上販売している人が有名な画家なわけがないと思ったからだろう。


これは現代の芸術に対する彼の皮肉なパフォーマンスだ。

バンクシーという名前があるから話題になり高値で取引される、でも本当の作品の良さを目利きできる人は少ないということだ。



私も正直、有名な画家が展覧会を開くとなったら興味本心で見に行くだろうと思う。

まさに、ベルトコンベアーの肉の一部と化すことが目に見えている。


以前のブログでグスタフ・クリムトの「接吻」が好きという話をしたのだが、どこが好きかと問われたら装飾がどうたら、タッチがどうたらなどありきたりな理由を並べると思う。しかしなぜ好きかを突き詰めていくとなんとなく目にとまり気に入ったからという結論に至る。


私が今のように知識も何もない状態で一眼見た時に、なぜか目を引いた存在がその絵なのだからと。


そのことから、言葉にできない理由があることが大事なのではないかと思う。直感というものなのだろうか。


現在の私は多少なりとも昔に比べて知識があるからこそ、無駄な先入観が生まれてしまうのである。

有名な人だから、あの人が絶賛してたから、素晴らしくないはずはないと。

物の価値というものは人によって異なる。その人にとっては興味がないものも他者からしたら宝物のように感じるといったことだ。

だからこそ、自分が興味のあるものに関しては他社に思考を他社に委ねてはいけないと考える。


個人の感情の中に本当に価値のあるものかということを考え見極めていかないと、人生そのものが実は他社の考えや価値観に依存していることとなってしまう恐れが出てくるのではないだろうか。


特に日本人は集団行動を重んじているからこそ、人と違った考えなどをよく思わない風潮にあるのは明白で、それを理由に自分の考えを気づかぬうちに押し殺しているとも考えられる。


私も偉そうなことをいう立場ではないが、芸術とは本来自由なものだからこそ、観る人によって感じることが違うのは当たり前だと思う。

周りと違くても自分が良いと思ったその感情を大切にし、自分と向き合うことを忘れないでほしいなと思う。



私は今回のこの文を書くうえで、知識があれば色んな見方ができることと対象に、自分の直感を大切にすることを続けていかなくてはならないと学ばされた。


上記は個人の見解で、誰かに対する誹謗などではなく、こういう考えの人もいるんだな思っていただけたら幸に思います。