80年前 終戦の時は満州(中国)の
新京(長春)で小学2年生でした
日本本土のような米軍による空爆などは
ありませんでしたが
戦後 ロシア軍の兵隊が土足で家に入って 銃で脅し
金品を略奪していきました
また学校は新京の日本人街にある 日本人学校でしたが
戦後は満人街(当時はそう言ってました)
にある小学校と交換されて遠くまで通いました
日本人街は日本の大規模な都市計画で満州国の
主要な政府機関があり
関東軍の司令部もそしてインフラ等施設設備が
整っていました
放送局 デパート 商店街 劇場 学校や住宅と
生活がし易かったです
「みなかい」というデパートはよく行った覚えがあります
ネットで調べたら三中井デパートの写真を見つけました(*^-^*)
今思うと 80年も前でしたが 台所はガス 水道を使い
暖房はボイラー室から 蒸気が送られ
ラジエターで全室 お風呂 トイレまで暖かかった
トイレは水洗でした・・・
終戦の翌年9月家族は各自荷物はリュック一つだけ背負って
無蓋車に数日乗って葫蘆島(ころとう)に到着しました
葫蘆島は日本に向かう船の出航の地です
道中 はぐれて孤児になる事を心配した親は
小学3年の私には布に名前 裏には 目的地の住所
(父親の実家)を記入し上着の胸に縫い付けました
そして私は住所を暗記させられました(*´Д`)
(今も住所覚えていますよ(^_-)-☆)
葫蘆島から貨物船で長崎の佐世保 浦頭埠頭に上陸しました
船から見た佐世保の風景は緑の島々と青い海がとても美しく
今も印象に残っています 箱庭のような感じも・・・
満州は大陸なので新京から離れると赤土の大地が印象に・・
地平線も見たような・・・
2016年 6月に訪れた時の写真です
その2に続きます
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