現代社会に「人はどう生きるのか?」の考察 | 種のゆめレター

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日々の出来事や気づきとともに、
お手紙のような詩も・・発芽するコトノハを綴ってゆきます。

小難しそうなブログタイトルですが・・
歌が作りたい~♪ の探求です☆

いきるみち』という詩を書いて。。
この詩は、“今の私にとって、「本当の帰る場所」ってどこだろう?”
をテーマに内省して書いた作品なのですが。。

この詩をベースに、ウクレレ弾き語りの歌を作りたいな~と
思って、向き合っていたら・・、詩のタイトルが「いきるみち」
になったように、“生きること”がテーマになってきました。

詩に書いたことは、すべて私にとって“真理だ!”と想うこと、
なのだけれど、、この真理のままでは、現代社会は生きられない
よなぁ・・と。

「人はどうして生きるのか?」と問えば、、

詩に書いたように、
「自由に やりたいことを やって生きる」
魂の望むように生きる。
日々、喜びや幸せを感じて生きる。
時には、辛いことや苦しいこともあるけれど、
それは魂の気づきと成長、解放のチャンスとして
体験するために起こるのだから。
一瞬一瞬、すべては(あらゆる感情を)体験する
ことの中に、生きている。
と、想う。

でもこれらは、スピリチュアル的な観点だと思う。

いや、本来はこうして生きてゆくのが、望ましいし、
それこそが、“真の生きる道”のはずなのだが、、

実際モンダイ、このように生きてゆくのは、、至難でないか?
この現実社会に即した上で、「人はどう生きるのか?」と、
探求しないと、本当ではないように思えて・・。

私は、“真理だ!”と想う歌を作って歌いたい!!


この現実社会で生きるには、(最低限)生活する基本
「衣食住」を保つために、お金が必要となる。
そのために、みな働く。
ここがモンダイ。

働く、とは。本来は需要があって、それに対して
できる人が能力なり、労力を供給することで、成り立つのでは。
需要と供給のバランス。

でも日本ないし先進国の社会では、
供給の方が膨れ上がっているように感じる。

会社は利益を上げるために、新しいものをどんどん開発し、
生産性を上げることが目標で、大量生産してゆく。
家電製品なんか、5年くらいで故障するように作れるようになった!
(技術発展のお陰で、だ。一昔前は、どれだけ故障せずに
 長持ちする商品を作れるか、を目指していたのに!)

また供給の方が膨れ上がっているから、
それを絶えず需要・消費してもらうために、
新商品を売り出してゆく。
(大量生産⇒大量消費・大量廃棄)

人は、この大きな歯車に飲み込まれてゆく。。
でもそのお陰で、雇用も生み出される。。

戦後の高度経済成長はもう臨界点に達しているのに、
未だに脱却できていないように・・感じる。

今の社会は、なんだか変だなーと思わない?
なんだか、、人は働くために生まれてきたような感じ。
人の生きているのが、不思議でしかたない。。

「人はどうして生きるのか?」
この現代社会に「人はどう生きるのか?」

突き詰めてゆくと・・
スピリチュアルに、本来の魂として生きるとしたら、
「「必要なものは、本当に少ない」」
という結論に達する。

「「本当に必要なもの だけで暮らす。」」

そうしたら、こんなに生産しなくていいし
働くのも、もっと少なくていい。・・はず。

もうこの社会の歯車の中では、生きられないなぁ~。
いやもう、無理でしょ。
(現代社会に生きること・・放棄ですか(苦笑))

もう一度、「小さな世界」に還ろう~。
需要があって、それに対して供給する暮らし。。
それは・・・?

つまり、「「スピリチュアルに生きよう!」」

★本当に必要なもの(スピリット)だけを選ぶ
☆不要なもの(エゴ・欲求)は取らない

これ、かなり精神力がいりますね~。

極めれば、そうなのだけれど、、
まぁ、せっかく生きているなら、至福も味わいたいよね~。

こうして考察はスパイラルしてゆく・・・のでありました。