長生炭鉱
最近、長生炭鉱ので遺骨発見がニュースになっています。
長生炭鉱は山口県の関門大橋の山口県を南下した瀬戸内海に面した所に位置する。
1942年2月3日、山口県の宇部炭鉱のひとつ長生炭鉱で発生した鉱山事故である。現場は1932年に本格操業が開始された海底炭鉱でこの日の午前6時頃、陸上の坑口から約1.1キロメートル沖合に位置する海底坑道の天盤(天井)が崩落した。
坑道は陸地から15度の傾斜で100mの坑道が採掘され、これより10度の傾斜で195m坑道が掘られ、これより水平坑道が805m進掘しているので合計1100mの坑道が海底の下の岩盤に掘られた。
海底の下にある岩盤は沖に向け約10度の前下がりの傾斜があり195mからは水平坑道が延長されたので海底の岩盤と坑道の距離が、近く薄くなり、ついに海水が坑道に流れ込む異常出水が起こり炭鉱夫は全員、溺死しました。
海底と採掘場の保安距離は47mは必要とされたのですが実際は37mより薄く、いつ崩落事故が起こっても不思議では無い状況で漁船のエンジン音が坑道内で聞こえて労働者は逃げる事ばかり考えていたそうです。
朝鮮人労働者は夜は監禁されていて見張りがいて逃げれない状態でした。
しかし異常出水は一度だけ起こったのではなく炭鉱夫は全員が溺死する出水の以前に2度の以上の出水があり大変危険な状態でしたが徴用した朝鮮人炭鉱労働者を坑内に入坑を強要したのです。
坑内にいた朝鮮半島出身者136人、日本列島出身者47人、合わせて183人が生き埋めになった。犠牲者の人数は長生炭鉱付近にある西光寺の位牌にある名前と、福岡県にある殉職産業名簿に記載された名前が一致したことによって判明した。負傷者・生存者についての記録はほとんど残されてないが、坑内外で約1000人が連日働いていたとされる。また事故以前から長生炭鉱では坑内に漏水が発生しており、日本人労働者の間で長生炭鉱での勤務を避ける動きがあったことから、多数の朝鮮人労働者が長生炭鉱で勤務していたという証言が残っている。
日本人も一緒に働いていたから通常業務だと思うヤフコメの日本人も多いが日本人は働かず監視役で働かない朝鮮人を虐待して無理やり働かせていた。
又、ダイナマイトの管理も日本人の役目で暴動を起こさぬように朝鮮人にダイナマイトの管理を任せられなかった。
これらの理由で日本人も異常出水に坑内にいたのである。
この事故の原因は海底から近すぎる距離での採掘であった。
これに太平洋戦争による石炭の増産が急務となったことも重なり、無理な採掘を続けたことで事故が発生した。
事故当日は坑口で女子供が泣き叫んでいたが、救出の努力もせず数日後、憲兵隊によって強制的に坑口は封鎖された。
船が転覆しても船底が空を向いていたら船底には空気が残っているのと同じように鉱山の坑道内でも空気の残っている可能性は高いのですが救助活動もせずに強制連行して過酷な鉱山で働かして災害が起きたら坑口を埋めて後は知りません。と見殺しにしたのです。正に極悪非道です。
しかし、関係者の高齢化が進んだことで事故の証言を集めなければならないという動きが1980年代中盤に入って生じ、1990年代以降になって事故のことが取り上げられるようになった。
追悼の動き
事故当時に地元の寺院である西光寺の住職が製作した犠牲者の位牌が、2013年時点でも残っている。
1982年4月17日、自治会長など地域の有力者らにより「長生炭鉱殉難者之碑」が建立された。この「殉難者之碑」は地域の発展における炭鉱の役割への感謝と、その炭鉱で亡くなった全ての犠牲者に対する鎮魂・記憶を意図したものであり、事故の経緯や朝鮮人労働者の存在には触れられていない。このことが後述する「長生炭鉱水没事故犠牲者追悼碑」建立の動きにつながった。
1991年1月、市民団体「長生炭鉱の“水非常”を歴史に刻む会」(略称:刻む会。以下、「刻む会」と記す)が発足。同時期に朝鮮人犠牲者の名簿が発見され、40年以上の月日を経て初めて朝鮮人遺族に訃報が届けられる事となった。1991年8月に「長生炭鉱犠牲者大韓民国遺族会」(以下、「韓国遺族会」)が結成され、1992年以降の追悼集会は、韓国から犠牲者の遺族を招いて実施されることになった。
ヤフーのコメントでは強制連行は1944年から始まったと嘘を拡散しているが強制連行が始まったのは1939年以前には人狩りともいえる強制連行が始まっていました。
マンガン鉱山でも1939年6月に金さんという人が仕事帰りに日本人に「お前ちょっと来い」と言われ、そのままトラックに乗せられて日本に連れて行かれ京都府の大谷鉱山で強制労働させられました。
金さんは韓国(昔は朝鮮)で日本人に拉致された時、新婚3か月で日本人に捕まったのです。
後で知ったのですが、この時、金さんの奥様は身ごもっており金さんが、いつか帰ってくると信じて娘と待ち続けたのです。40年経過して韓国に帰った時には(金さんの言では)残して来た嫁は婆さんになっていた。そうです。
徴用工の事はマスゴミが連日報道していますが安部晋三元総理大臣が閣議決定した通り強制連行とか徴用工という言葉は誤解を招くので「旧朝鮮半島労働者」呼称を統一する。としているが要は歴史修正で強制連行、徴用を隠すため歪曲しているに過ぎない。マスコミもこれを受け「朝鮮半島労働者」と報道しています。
又、鳥取県の荒金鉱山では朝鮮人強制連行の慰霊碑にペンキが投げられ強制連行を否定する事件が起きています。
厚生労働省は遺骨収集は技術的に不可能と収集には後ろ向きの態度でしたが同会がクラウドファンディングで資金を集め遺骨の一部の回収に成功したのです。
坑道は海水が濁り視界が皆無で遺骨の捜索が出来ない状況でしたが私がクリフロックという沈降剤で水の濁りを取るという提案を井上共同代表に言った所、これが功を奏し濁りが取れたそうです。
民間で出来る事が日本政府が出来ない事はない。筈ですが要は「やる気」がない。だけです。
又、1945年、長生炭鉱は閉山となった。同じ宇部炭田の東見初(ひがしみぞめ)炭鉱で1915年に発生した水没事故(死者235人)に次ぐ犠牲者が生じたにもかかわらず、太平洋戦争開戦直後であったため情報統制がなされ、戦後長らく取り上げられることはなかった。
石炭の鉱山の70%は海底にあり戦時中には水没事故は多発しました。
自民党の麻生太郎最高顧問の父の会社の麻生鉱業でも石炭鉱山で坑内火災が起こり鉱山労働者が坑道内に居るのに水を入れ数千人を溺死させたといわれています。
秋田県大館市にある尾去沢鉱山では坑内水を貯めるダムの下に朝鮮人のタコ部屋があり、そのダムが決壊して700人の朝鮮人が死亡した。
滋賀県の土倉鉱山でも鉱山労働や虐待で死亡した朝鮮人労働者の遺骨が200人近く鉱山の近くに犬の死骸を埋めるように遺棄しています。
長野県の松代大本営の天皇が入る地下壕でも1000人以上が採掘作業、虐待、餓死で死亡しています。
鉱山は近代でも300人の鉱山労働者が労働していたら毎年1人が死亡するといわれています。
落盤事故、落下事故、石炭鉱山では炭塵爆発事故、火災事故など職業が2万種類ある中で一番危険な職業といわれています。
鉱山の労災保険は160/1000の労災保険料で1人1000万円の賃金を払ったら労災保険料を160万円も支払います。
職業が2万種類ある中で一番、高額です。つまり一番、事故率が高く危険という事です。
戦争中の虐待死は別にして通常の採掘作業では100人労働者が居れば毎年1人が死亡する。といわれ日本全国で300万人の強制連行があり半数は鉱山ですから150万人で一年では15000人となり1939~1945年の終戦まで約5年で75000人の朝鮮人労働者が死亡していて殆どが近くの山に埋め遺棄しています。
戦時中は坑道の天盤を支える支保という木の柱や排煙装置等の物資が不足していた事も事故の増大に拍車をかけました。
これに虐待死、餓死などを含めると15万人以上になります。
長生炭鉱の遺骨の捜索、返還を実施したら日本国中の遺骨返還をしなくてはならないでしょう。
朝鮮人が優遇された日本への出稼ぎ労働者だとヤフコメでは主張していますが何時、落盤事故が起こるか解らない鉱山で働かす事を優遇しているといえるでしょうか?
死亡しているので賃金の支払いもせず出稼ぎ労働者なら労災保険の適用や見舞金など遺族に支払っていません。
徴用工であれば日本国が賠償義務があります。どちらにしろ企業か国の責任はまぬがれません。
ヤフコメで真実を投稿したらコメント禁止措置になりましたが強制連行はなかったという嘘のコメントは一向に削除されません。歴史修正主義者や差別主義者のコメントだけを掲載して煽ってコメント数を多くして営業をしているのでしょうか?
こういう事が起きるのでドイツでは被害者数の確定を戦後、直ぐに行ったのです。これ以降、被害者数の増減は出来ません。
日本政府は強制連行の死亡者は戦没者ではないので賠償できません。と主張しています。
「お国のための軍務に服した」 ことを変わらぬ基準としているが戦没者の定義とは何でしょう。
石炭は戦争の為の鉱物採掘であり軍務に該当するのではないか。
鉱物は「日本国策鉱業株式会社」(株式会社となっていますが陸軍の団体)が一括管理しており鉱物は「日本国策鉱業株式会社」が戦争優先順位に応じて配給していましたので「お国のための軍務に服した」事は間違いのない事実です。