素晴らしいぐらい
気が楽な毎日。





まったくもって
今の仕事に変えてよかた。

やはりストレスのない人間関係が心の安定になるな。



前のパート先を通ると
動悸がする。
会いたくないとか
なんか気持ちがぐちゃぐちゃになる。
悪いこともしてたから
物凄い罪悪感に潰されそうになる。
確かにおかしかった、私。


慣れない人間関係が
すごくストレスで…


嘘を言ってはいないけど、もう顔向けできない人達ばかり…。
皆いい人ばかりだったが、私には合わなかった。
でもあれが普通の職場の基準なら
私は社会に適応できてないってことなんだろう。




もう会えない
二度と。

でも狭い町だもん

いつかバッタリなんてこともあるかな。


どんな顔したらいいんだか。





あれから悪いことはぱったりやめた。
するつもりも
する意味さえ
わからなくなって。

だから余計、あん時はおかしかったな、と実感する日々。




悪いことは
麻痺する。
麻痺したら
次はやめられなくなる。
意思とは関係なく。
いや元々意思が弱いからこそなのか。






最近かわいいなって思う男の子がいる。
可愛いんだ、これがまた。

ちょっと惚れそう。
絶対に行かない



それだけを決めていた。





母は諦めて
自宅で勉強をするようにと自習ノートを買ってくれた。
そこで『掛け算九九も言えない』事に母が初めて気づいた。

掛け算九九の表を貼ってくれた。
少し覚えた。
母は自習ノートを広げて『夜勤だから寝るね』寝てしまう。

誰にも教わらず。
自然に覚えようともしなくなり。
でもお風呂タイムで母が掛け算九九を私に言わせていたお陰で多少は覚えたかも。

それからひたすら母に甘えた。
抱いてもらって沢山キスをした。

出来なかった分
沢山
沢山。

赤ちゃんになりたくて、もう一度育て直してほしくて。

そのうち
赤ちゃんから悪い子になった。
お金を盗んだ。
全部マンガに使った。何万、十何万もくすねて
叱られて
でも盗んだ。


盗みがやめられなかった。

いつか警察に捕まる。
捕まる前に消えるしかない。
私は母に『もう家を出ます』と伝え
荷物を抱えて家を出ようとしたら
母に荷物は置いていけと言われ
身一つで出た。






いつも足りなくて
飢えていて
死にたくて
消えたくて
お金が欲しくて
物が欲しくて
愛されたくて
でもそれがどんな風に愛されたいのか解らなくて…






中学生の頃は母は父と離婚しヤクザの親父に夢中になり、いつもアパートにひとり。

脅迫の電話も沢山きた。

眠れない夜を沢山過ごした。母と夜、家を飛び出したこともある。
子供には解らない世界。

いつもひとり。






髪の毛は赤く
真っ赤にした。
ピアスも何個もあけて。
毎日絵を描いたり
ワープロに向かい
ひたすら文字を書いていた。

ワープロを与えてくれた恩師には今も感謝してる。
私はこれのお陰で随分助かったし。
救われた。

母を殺そうと
包丁を持って
枕元に立ち

声を殺して

泣いた。




死ぬより
殺したいって思う方が何倍も辛いんだね。

何回も事故を起こす母を『なんで死んでくれなかったんだ』
心から思った。


女が乗り込んできて私は殴られている母を庇い泣いている。
私が盾になった。
母が困ったとき
私が母を守ってしまう。

でも母は
私を何度も何度も捨てた。



最後に見捨てられたのは
私が病気で寝たきりになった時。

一番苦しくて
助けてほしい時
母は私から逃げた。

今も親戚には『あの時捨てられたもんね』と言われる。



『ああもう私はこの人を捨てるべきなんだ』







私は母を捨てた








なんにも
なんにも
感じない。

母は泣いていたけど
あなたは私を愛していないし
ただの保険で置いているだけ。

初めて自由になった気がした。






母親になった今でも
思う。

お母さんに愛されたい、と。







お母さん

お母さん




私を本当に愛して、と。









ここだけは
いつまでも子供のように。












そんな感情が溢れて
泣いている私を
旦那は笑ってた。






でも私は
子供を本当に愛してる
愛せる
そんなきがしてる。



私の欲しかったもの
全てをこの子がくれたから。
こないだ
息子の二歳児歯科検診へ。

息子はおおはしゃぎ。
走るわ飛ぶわ大騒ぎ。

したらさ
保健士さんが

『ちょっとお子さん元気すぎるのが気になるかな~。今度専門のお医者さんがくるので対応の仕方とか聞いてみましょう』

と、また再診になった…







その時は
『これぐらい普通じゃん?!』としか思わなかった。




でも確かに
私は以前『多動症』を疑った事がある。

癇癪がすごい。
言葉が遅い。
落ち着いていられない。
注意力がない。

などなど。

あと今は暴力的、噛む。
これが心配で仕方ない。




噛むのが収まらない。
言葉が遅いせいもある、と思ってた。

でも、もし
多動症だったら?

旦那に話したところ
まあ一蹴された訳だけど。

大人になっても多動の特徴って残ってるんだって。
遺伝もあるらしいから。
感情を抑えられない旦那って多動?(笑)
なんて考え出したらスパイラルに陥った。

私だって自閉症みたいな子供だったし
自分の息子
しかもたった二歳の子供にうんたらかんたら言えない。

子供の話をいていて
自分達の子供時代について話しが移行した。

私は
不登校児だった訳で。
旦那にそれは言ってないけど、やはり思い出しても暗いトンネルのような自分の黒歴史(笑)
旦那はお母さんがキツイらしく血へど吐くまで殴られて育ったらしい。

私は逆で。




ひたすら放任(´・ω・`)

母と『今日学校でこんなことあったよ』ともっと話せていたら
何か変わったのかもしれない、と今は思うよ。

母の居ない夜が多かった。母がいる夜は嬉しくて姉と母を挟んで寝るのだけど、私はよく母の顔をこっちに無理矢理むけて。
恋しくて
恋しくて。

母の居ない夜に
夜中急に気持ち悪くなった私は父に抱えられて
父の肩に戻してしまった。夕御飯に飲んだわかめの味噌汁。わかめが父の肩についていた。
あの後、父はどうしたんだろうか(笑)

母を探して祖母と寝たこともある。

一般的な家庭など解らない。
自分の家は少なくても裕福で何も不自由のない暮らし。


だけど
何か大切なものが
足りなかった気がする。

私が学校に行かなくなったのは小学校二年生の時に掛け算を暗記できなくなって


『もう勉強はやめる』


と決めた日から
前兆はあったのだと思う。

とにかく勉強の出来ない子だった。
解らないと言えない子だった。
解らないと悟られたくなくて音楽の時業はエロクトーンを弾いてるふり。
笛も弾いてるふり。
解らなくても淡々と進められる時業についていけなくて。
恥ずかしくて。

人の痛みも分からなかった。私を好いていてくれた子を苛めた。
友達を裏切った。
誰と仲良くすればいいのか解らなくて
でも面倒で。

何もかも
分からなかった。







母はそんな私に気づいていたのだろうか?

その頃母は看護士の傍ら走り屋をしたり彼氏を作ったり自分の人生をエンジョイしてた。
その中で私を可愛がってくれてたと思う。

でも私は
もう何もかも
誤魔化しきれないと解ってリセットした。

小学校五年生。




母に朝『もう学校に行かない』と伝えた。

母は激昂したけど
私は何をされても行かなかった。
引き摺られ殴られ蹴られても。