埋め立て地のゴミの山の中にいました。臭いはしません(夢だから)。

自分は真新しい新聞を読んでいました。周りではたくさんの人がゴミを漁っていました。
すると一人の女性から「ほらっ!あんたも手伝って!」と声をかけられました。母でした。
明らかにゴミでしかないものを指差して、「これ持っていって!」と言われました。
自分は内心「無駄なことを…」と思いながらそれらを持って歩いていました。

そんな夢でした。

これは今、誰にでも当てはまることです。
棄てられたゴミ同然のものに稼いだお金を切り崩して払い、集めて満足する人がいます。
それを「豊かさの象徴だ」といって囃し立てるマスゴミがいます。
今必要でないものでも、どんどん買わせようとするテレビ番組。広告代理店。
「うわあ便利ー(棒読み)」とか言いながら、ショッピングセンターでカゴに放り込む芸能人。

物がたくさんあることをイコール豊かさだと思った時代がありました。
"戦後の混乱""オイルショック""バブル崩壊"…
そんな時代を生き抜いてきたからこそなのかもしれません。

今必要かどうかではなく、将来必要かどうかで物を買う自分に気がつきました。

今必要だからこそ道具に価値が生まれるのです。
未使用の道具は持ち腐れです。使っていないのに腐れるのです。なんと勿体ないことか。

ブランドバッグなんて正にそれ。
必要よりも見栄で買います。持ってることがあたかもステータスであるかのように。
家系を重んじた日本だからこその商売なのでしょう。正規品の販売ですら製造の動機は贋作製造と変わらなかったりします。「売れるから作る」です。
海外でのニーズはそれほど多くないのに、日本人はこぞって買います。金持ちの象徴みたいに信じているから。

古くなったブランド品には目もくれません。ボロいと貧乏なイメージがするからです。小綺麗なブランド品を颯爽と持つのがかっこいいからです。

これらのイメージや象徴も、マスゴミによって植え付けられたものです。
芸能人に騙されているのです。
現実の金持ちは物持ちが良いです。というか、長く使うことを最初から考えていますし、それを見越して耐久性のあるものを探します。
すぐ壊れるものや流行り廃りのあるもにはビタ一文払いません。
本当に良いものを見極める観察力があります。

100均で生活用品を買い漁る人がいます。でもそれって無駄が多くないですか?長く使うものなのに、安いからと買うのは色々損です。
壊れたものを棄てる労力、新しいものを買う労力、壊れないように力をセーブして使う労力もあります。
それらを買う度に意識しなきゃいけないのです。疲れるでしょ。
一度買って長く使えたらそれらの労力も一度で済みます。それらを見据えた価格なのです。


昔の日本は「必要なものを必要な時に必要な分だけ」自然から分けてもらいながら生きていました。
自然に対して感謝もしていました。

今一度その頃の日本に立ち返ってみてはどうでしょうか?自分に必要なものだけで暮らす努力を。不便の良さを堪能する歓びを。










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