今日は半年に一度のMRIの結果説明の日でした。
病院の入り口ではツツジが満開です。
結果は変わらず。
膵臓の嚢胞は数も増えてなければ形も変わっていない、また半年後に検査です。
膵臓の嚢胞は治らない、と言われていましたが、これってドレナージュでなんとかならないかなって。
もうちょっと真面目にやろうっと。
毎回決意を新たにしています。
2年前、妹が膵臓癌で亡くなって、ちょうどその頃受けた検査で引っかかったのです。
何らかの意思を感じずにはいられなくて
「きをつけなさい」
と言われている気がしました。
ですので、お酒を飲む量も以前よりだいぶ減らしました。
あとは自分でドレナージュしてみて、少しでも嚢胞が減るといいなと思います。
治らないとされるものが治る、そんなことをお客様の身体を通じて体験してきましたので、私が諦めるわけには行きません。
と、強くこのドレナージュの可能性を信じています。
そして、そんな診察待ちの間に読んでいた本は(たまたま偶然です笑)
『スタンフォード大学 いのちと死の授業』
著者は日本生まれのアメリカ育ちのスティーブン・マーフィ重松氏です。
日本人の祖母から学んだという死生観について、さまざまな視点を交えて書かれています。
中でも「一期一会」という言葉についての説明が印象的です。
この言葉は茶道に由来します。
茶道が発展した16世紀は、非永続性が人々の日常でした。
今日一緒に過ごした人が明日は亡くなっているかも知れない
この人に会うのはこれが最後かも知れない
そう意識することで、その日その時に出会う相手との時間を大切にしてきました。
最初の授業で最初に発せられる言葉は
「私は死につつあります」
そうです、日々着々と死に向かって生きている、そのことは生きている人全員にとって確実なことです。
死に至るまでの、生き方は人それぞれです。
楽しいことだけでなく辛いことも悲しいことも盛りだくさんな人生です。
この本の中では、学生をはじめ、多くの人々の人生が語られており、本当に人の人生というのは色々あるものなのだと痛感しました。
死を意識することで、生をより強く意識する。
そのことが、生きる力を与えてくれる、とこの本の中では繰り返し語られています。
この本の素敵なところは、400ページ近くある内容を最初から最後まで読まないとわからない、というものではなく、途中から辞書のように読んでも読みやすい内容です。
普段、本は図書館で借りるばかりで、買うことはほとんどない私ですが、人生に迷う時、これからも開きたくてこのたび購入しました。