感想
食べ物の安売り販売試食会。町の人が動いて盛り上げてた。
ケンとメリーやマイルドセブンは若い人たちがほとんどだった。お客さんは多くはないが、けして少なくない量。
ただ、景色だけしかないのでどこで収益をあげるかはわかりずらい。
駅前の通りが舗装されて美しい半面、一つ通りがかわると古くいたんだのが露骨に見えていて、かえって悪印象をうけた。
場所にばらつきを感じた。見る場所が一箇所にかたまってないせいで、
田中町の歴史2
1753年 田中いも生誕100周年
1763年 田中いもの改良品種「田中の誉れ」が作られる。味は通常の「田中いも」の十倍美味しいといわれるぐらい好評を博す。
1765年 普通の田中いもの栽培を中止。
以降、「田中の誉れ」をメインに栽培する。
1768年 「田中の誉れ」、前作の「田中いも」の名前を襲名。以降、『田中の誉れ」を『田中いも』と呼ぶようになる。
以降、200年近く田中町は平和に時代を過ごす。
「田中町の歴史3」に続く。
田中町の歴史補講 「田中いも」とは?
今回は前回の田中年表にも出た、「田中いも」について紹介させていただきます。
「田中いも」は入植当時、食糧難に喘ぐ住民たちを救うために、作られたものでした。当初は食べれればいい、ぐらいの考えで作られていた「田中いも」でしたが、これが予想に反して、味もよかったので、やがて、時の将軍徳川家綱からも将軍家への献上品のひとつにするよう下命されます。
将軍家綱いわく、
「田中いもを常日頃食べれる、田中の民はまこと果報者じゃ」
以降、田中町は300年以上田中いもの栽培に尽力することになります。
田中町の歴史 その1
田中町の歴史を大雑把に紹介します。最初はこれだけは押さえて欲しいというものから載せていきますので、のんびりと楽しみながら、まなんでいただければ幸いです。
1553年 後の初代田中町町長、田中忠勝、尾張藩の家老の家に生まれる。幼名田中丸。
1603年 田中忠勝、配下100名あまりを連れて、未知なる地蝦夷に旅立つ。
1604年 田中忠勝、蝦夷に入植。
苦闘の末に、寂れた集落の再生に成功。
この地を田中町と名づける。
1623年 田中忠勝、死去。享年70歳。
1653年 田中町において、ジャガイモの栽培が開始される。地名にあやかって、町長の田中がこれを
「田中いも」と称し、その育成に力を入れる。
1660年 江戸幕府、「田中いも」を気に入り、献上品の中に「田中いも」を入れる。
「田中町の歴史その2」に続く!
イントロダクション
ようこそ、田中町へ。
私は田中町の町長、田中太郎です。この度、我が田中町に来ていただき、まことにありがとうございます。
田中町は、恥ずかしいぐらい田舎ですが、その反面、食べ物がとても美味しい町で、去年も年間20万人のお客様が来てくださいました。
田中町は徳川家康の征夷大将軍即位の1603年に尾張の武将織田忠勝の家老、田中忠助が家来500名を率いて、北海道に入植したのが始まりの町です。ただ、我々は歴史の長さにあぐらをかいたりはしません! これからも、時代に、そして、皆様に愛される町するため努力するので、これからも末永く、田中町を愛していただければ幸いです。
田中町町長 田中太郎


