映像作品を見る時、映画なら監督で、ドラマなら脚本家で選ぶ事が多い私が必ずチェックしているのが坂本裕二。

コメディでもシリアスでも、人間というものを正直に誠実に、深くそして暖かく描写していて、いつも心を動かされるから。

そんな彼が脚本を手がける新作ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」。

タイトルから想像できる通り、松たか子が演じる主人公と彼女の三人の元夫達が繰り広げる会話劇コメディです。

くだらない内容のやりとりの中にもハッとするような真実があったり、リアルな心情表現に大笑いしてしまうようないつもながらの坂本作品なのですが、先週の回から突如、「突然の喪失」というテーマが飛び込んできました。

主人公が突然親友を亡くすのですが、その描写がどうしようもなくリアルで、いたたまれなくて。

取り乱す事なく冷静に対応していたとわ子が出発する霊柩車に向かって親友の名前を叫ぶシーン。

私も火葬場で同じ事したな..

 

その一年後を描いた最新話。

身近な人には自分の気持ちを話せないとわ子は、偶然出会ったばかりのオダギリジョー演じる謎の男に心情を吐露します。

日々は何事もなかったように過ぎていくけど、「あいつ一人でどこ行っちゃったんだ?」「なんで一人で行かせてしまったんだ」そんな思いは決して消える事はなく、孤独で仕方ないと。

それに対し彼が返す言葉は、突然の喪失を体験した全ての人たちに聞かれるべき言葉だと思い久々にアップしました。

小説や映画じゃないんだから、幸せな結末も悲しい結末も、やり残した事もない。

ただ、その人がどいういう人だったか、それだけ。

 

 

6月1日21:00までTverで見る事ができます。

 

是非ご覧になってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タフな私でも、そんなに美しくない世界に時々気持ちがささくれ立った。

コロナのせいでそんな世界はさらに殺伐とし、この世の中は生きるのに値するものなのか?とそんな思いが頭のどこかにふっと湧き上がる事もある。それでも私はそんなに純粋でないし、清濁併せ呑む強さやズルさもあるし、だから日々淡々と生きている。

 

美しいひとには、難しいよね。

美しい魂が生きていくには、この世の中はハードすぎる、特に今は。

 

私は宗教はもたないけれど、神様はどこかにいて、美しい魂が打ちのめされるのを見続けるのがいたたまれなくなって、それである日突然連れて行ってしまうんだと思う。

 

自分に厳しすぎるのはダメだ、弱音を吐けないのはダメだ。

そう言われて簡単に変えれるぐらいだったら、そもそもそんなに傷つくはずもないし。

散々傷ついた魂を更に傷つけるような正論はいらない。

無責任な詮索もいらない。

私はただ、美しい魂達が今は安らかに穏やかに過ごしている事を、皆に祈ってほしいと思う。

後悔とか自責の念とか悲しみよりも、恋しさだけを胸に。

次の世でまた会えるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弟が亡くなってからもう少しで8年。

嘘みたいに月日は流れていきます。

大切な人を亡くしたばかりでどうしたらいいかわからない、これからどうなっていくかわからない、そんな人たちのために今の私が思う事を書こうと思います。

 

私自身もそうでしたし、亡くなったすぐ後に参加していた遺族会でよく聞いたのが、「他の家族の反応が許せない」というものでした。

私の場合は、「あいつは自己中だ」という言葉を発したり、泣き止む事ができない母の事を責める父が弟の死を悼んでいるとは到底思えず、その時は父を憎みさえしました。「あんたが代わりに死ねばよかったのに」とさえ思いました。悲しみ、後悔、そしてこんなどうしようもない黒い思いに支配されて毎日過ごしていました。

あの頃の私を振り返ると、我ながらよく頑張ったな、と思います。

 

今の私は、心は穏やかです。

まず、その人の心の内がどうかなんて誰にも分からないという事が分かったからだと思います。

弟の事を自己中だと言った父が同時に心の中で「お前は自己中だ、何でもっとまわりに助けを求めなかったんだ、お前が思っているよりずっとみんなお前の事を思っているのに、助ける事ができたのに、お前がそれに思い及ばす俺は悔しい、そして何より何もできなかった自分自身が腹立たしい」と思っていたかもしれません。私はその言葉だけで深く傷付き父を憎みましたが、その内側は誰にも分からない以上外側だけで怒ったり傷付いたりするのは意味がない事だと今は分かります。

私自身も、弟が亡くなった直後はよく母と弟の話をしましたが、今は母が話をしてもその後に続く事ができません。弟が亡くなった直後は仏壇の前に座りましたが、今はたまに実家に帰省しても仏壇の前に座ることはありません。母はそんな私を見て、私がもう弟の事を考えていない、忘れていると思っているかもしれません。

8年経った今、私はいつも弟の存在と共に生きているような気持ちでいます。人間という複雑で深淵な生き物が、肉体が無くなる事によって存在そのものが亡くなるとはとても思えないから。そう考えると生まれ変わりも信じられるし、またいつかの生で会えると信じています。ちなみに私はスピリチュアルには興味ありません。

だからいるはずもない仏壇に向かって手を合わせるのは奇妙だからできないし、そんな風に考えている事を話すには母は近すぎるというか..  私の思いを話した方が母は癒されることは分かっているのに、それができない自分は冷たい人間だなぁ、と思うのですが、如何せん..

弟の遺灰が入ったペンダントを毎日お守りのように付けていますが、それで何とか察してもらえればと。

 

去年の秋に母が膝の手術をし、1ヶ月程入院していました。

私が見つけた病院は実家からは電車・バスを使って1時間程、私は東京在住だからたまにしか行けないし、出不精な父がそんな遠い病院までお見舞いに行く事はないだろうし..

なんとか1ヶ月凌げるようにと母と作戦を練ったのですが、なんと父は3日に一度病院に通いました。

「巻き寿司が食べたい」「ヨーグルトが食べたい」「バナナが食べたい」色々な要求事項を突きつけてくる母に応えてあげていたみたいです。母の退院前日、実家に帰ると仏壇にはパックに入ったトマトがそのまま置いてありました。トマトて。

 

人はみんな違います。

極限の状態に置かれているとそんな事に思いを巡らす余裕もないと思いますが、それでも少し違う視点で物事を見るよう努力してください。それが結果的にあなたを救います。

精神科医アドラーの言葉

『よい対人関係であるためには、相手をどれほど「信頼」できているかという事がある。

 ここでいう信頼には2つの面がある。1つは、相手には課題を自分で解決できる能力があると

 信じる事である。もう1つは、相手の言動には必ずよい「意図」があると信じる事である。』

 

あなたの周りの人を信じてみましょう、あなた自身のために。