横須賀フェイ・ダナウェイ (夏詩の旅人 1st シーズン) | Tanaka-KOZOのブログ

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 2006年5月。

 軍港のある港町、横須賀。
僕は友人でドラムスの小田さんと横須賀中央駅前の「フェイ・ダナウェイ」に来ていた。

「フェイ・ダナウェイ」は、アンティーク調な、昔ながらの喫茶店だ。
店内は広く、ちょっとしたアコースティックライブなどができるスペースもあるお店だった。

 店名の由来は67年の映画「俺たちに明日はない」で人気を博した、ハリウッド女優からちなんだ名であると思われる。

 ここへやって来たのは、今夜この店で僕らがやる、アコースティックライブの打ち合わせの為だ。

 東大卒という、異色の経歴を持つドラムの小田さんは、以前、僕のライブでもお世話になったドラマーだ。

 スラっとした体形で、見た目も若く、とても50歳手前には見えない感じである。
スティーブ・ガットに影響を受けたと言っている小田さんのプレイスタイルは、ガットばりの正確なハットワークと、リズムの刻み方にあると思う。

 そういう意味では、僕にとっては非常に信頼できるドラムスである。

 彼は元々、僕と同じ東京の武蔵野エリアに住んでいたのだが、数年前から神奈川の逗子エリアへと越してきた。

 小田さんは学生時代からずっと付き合っている愛妻と、毎年湘南方面に旅行へ来ていた。
 学生時代からの思い出の地へ毎年恒例で来ているうちに、いっその事こっちに住んでしまおうという話になったらしい。

 そんな小田さんは、こちらに住む様になってから、横須賀の「フェイ・ダナウェイ」を知る事となり、この店の常連客となったのだ。

 月イチで行われるこの店のライブに、いつしか自分も出てみたいと思った彼は、今回僕を誘って念願の出演を果たす事となった。

 ただ、この店はアコースティックライブなのでドラムセットが置けないから、今回のライブで小田さんは、カホンで参加するのだが…。





 打ち合わせが終わった僕らは、窓際の席に座って珈琲を飲んでいた。

 「お待ちどおさま…」
店の女性店主が、僕らの席にナポリタンを2つ運んで来た。

 運ばれたナポリタンは、昔ながらのナポリタンだった。
ウインナーとピーマンがパスタと共に、美味くケチャップと絡んでいた。

「きれいなひとでしょ?」
店主が去ったあと、小声で小田さんがニヤッと言う。

 女性店主はタエといい、3年前にご主人を亡くしてから、たった一人でこの店を切り盛りしていた。

 この店を一人でやっていくのは相当大変なはずだが、ご主人との思い出の店を閉める事ができないので頑張っているという事だった。

 店の2Fは住居になっており、今は高校1年生になる息子と二人暮らしをしているらしい。

「そうだな…」
僕は小田さんが言った「きれいなひと」という言葉に頷いて返事をした。



 確かにタエは、顔が整った日本美人風な顔つきであった。

でも彼女は全然化粧っけがなく、着ている服も白いシャツにカーキ色のスリムジーンズ、それに茶色のエプロンと、どちらかといえば一般的には地味な雰囲気のタイプであった。

 それでも彼女が美しく映ったのは、苦労をものともしないで懸命に毎日を生きている、そんな姿が僕には美しく見えたのかも知れない。



「それにしても最近はすごいねぇ~タエさん」
小田さんが彼女に言う。

「これ?」
タエがカウンター越しから天井を指差して笑った。

タエが差したのは、スカイプ用のカメラだった。

「これで今夜のライブは、全世界に生中継よ」
笑顔でタエが言った。

そのとき店に一人の少年が入って来た。

「あっ…おかえりマサトシ」
タエが少年に言う。
どうやらあの子が一人息子の様だ。

少年は無言で母親をジロリと見ると、そのまま2Fへ上がって行ってしまった。

「すみません。挨拶もせずに…」
ちょっと困った顔をしたタエが、苦笑いで僕らに言った。

それから10分程すると、先ほどの少年が2Fから降りて来た。

「あっ…どこ行くの!?」

「うっせ~なッ!」

 茶色く染めた髪を、少しツンツンと上に立てていたヘアスタイルの少年。
彼は反抗期なのか、そのまま出て行ってしまった。

「もう…」
困った顔をして、息子の後姿を見送るタエ。

「主人が亡くなってからは、あんな感じで…」
僕らの方を向いて、彼女はそう言った。

「まぁ…、あのくらいの年頃はみんなそうですよ…」
小田さんが苦笑いでタエに言った。

 僕は窓の外を眺めていた。
窓の外には、地元出身の代議士「川野幸吉」が駅前ロータリーで街頭演説をしていた。

 川野は演説が終わると街宣車から降りて、支持者の側へと行った。
そして車椅子の老婆に近づくと、胡散臭い満面の笑みを浮かべて、支持者たちに自分をアピールしていた。

「イヤだねぇ…ああいう偽善者っぽいの…」
頬杖つきながら、そのシーンを見ていた僕に向かって小田さんが言った。

「あの男、裏では相当悪い事してるって噂だよ」
「金の力にものを言わせ、好き放題やってるらしいね」
僕は小田さんの話を聞きながら、川野を見つめていた。

「でね、邪魔なやつは横須賀湾に沈めちゃうなんて噂も聞くよ」
「あの隣に立っている男、やつは王鷹って言って秘書兼ボディーガードらしいんだけど、裏の社会から引っ張って来た男らしくて、あいつに邪魔者をいろいろと始末させてるみたいだよ」

 小田さんが言った王鷹という男は、長身にオールバックのヘアスタイルでサングラスをかけていた。
顔からは人間味が感じられない、無表情な男だった。

「なんかマトリックスにあんなの出てたな?」
僕は苦笑いで言った。



「そうそう!、それからさぁ…」
思い出した様に小田さんが言う。

「川野にはシゲオっていう、どうしょうもないバカ息子がいるんだよ」
「ほら、去年葉山で海水浴帰りの学生団体が、ひき逃げされた死亡事故」

「ああ…」
僕はその事件を思い出したように言う。

 「あれ、ほんとはバカ息子のシゲオがやったっていう噂があるんだよ」
「でも、シゲオが親父に頼み込んで、金の力で身代わりを立てて自首させたって話だよ」

「ひでぇハナシだな…」
僕は外にいる川野を見つめながら言った。

「それからその息子のシゲオ!、やつはバンドマンなんだよ」
「パンクみたいなサウンドで、ドブ板通りのライブハウスで毎日バカ騒ぎしてるってさ」

「とにかく親父の金で、地元FMから30分間抑えて、自分の番組を放送したり、自分のCDも大量に作って、amazonとかで売ってるんだよ」

「でも、それが全然売れないの…」
「しょうがないから身内に金渡して、サクラでレビューとか書かせたりしてるみたい…」
ククク…と、小田さんが笑った。

「痛々しいな…」
僕は苦笑いした。

 「でもね。最近、バカ息子のシゲオが週刊誌にドラッグ疑惑を書かれてね」
「横須賀のネイビーから買ったドラッグを、ライブ後にライブハウスでメンバーたちと常用してるらしいよ」
「やりたい放題のシゲオも、いよいよ年貢の納め時かも知れないね」

「ふ~ん…」
小田さんの話を聞きながら、僕は言った。





 その夜。
横須賀ドブ板通りのライブハウス「エノラゲイ」。

爆音を鳴らし、奇声をあげるシゲオのバンド。

 マイクを両手でつかんで歌うシゲオは、小柄でちょいデブだった。
髪はシルバーに染めて立てていた。

無精髭面に、自分の小さい目を隠すため、レイバンの大きいサングラスをかけていた。

 観客の中には、タエの一人息子マサトシの姿があった。
マサトシは羨望の眼差しで、シゲオを見つめていた。





 一方、「フェイ・ダナウェイ」でやった僕のライブは20時半に終了した。
ライブが終わった僕と小田さんは、客が引き上げた店で、タエの作ったナポリタンを食べていた。

「しかし思ったよりもお客さん来なかったね」
ナポリタンを頬張りながら小田さんが言う。

この日、ライブに来てくれたのは、喫茶店の常連客のお年寄りばかりが5人ほどであった。

「でも、こっちの反響はあったわよ!」
タエが、店のノートパソコンを見ながら言った。

 僕はタエの方へ行く。

PCを覗くと、「イイね!」とか「カンドーした♪」という、スカイプの生映像を観た人たちのチャットコメントがたくさん入っていた。

「タエさん…、これで見れるから客が店に来ないって事もあり得なくない…?」
僕がそう言うと、「かもしれない…」と、彼女が笑った。




「今日はどうもありがとう」
タエが僕らに言った。

「いや、お役に立てなくて…」
僕が言うと、「そんな事ないわよ。また出てね」と彼女は言った。

「小田さん、駅まで見送るよ…」
店を出た僕は、小田さんに言った。
僕は横須賀のビジネスホテルに宿を取ってあるが、彼は地元が近いので電車で帰るのだ。

小田さんは逗子に住んでいるので、僕らはJRの横須賀駅方面へと歩き出した。



 21時半。
ドブ板通りライブハウス「エノラゲイ」。

 人が出払った薄暗い店内で、シゲオはメンバーたちと、いつものマリファナを吸い始めた。

 今日初めてシゲオのライブに来ていたマサトシは、そのまま帰らずに憧れのシゲオたちと親しくなりたくて店に残っていた。

「お前も吸うか?」
シゲオがマサトシに言う。

「いや…僕は…」
マサトシは、オドオドと断った。

それを見たシゲオは下品に高笑いをした。

「お前、ここに残ったって事は俺たちの仲間になりてぇんだろぉ?」
シゲオがマサトシに詰め寄った。

「マリファナがヤならコイツはどうだ?」
シゲオは直径5mm程の小さな紙を出した。

「な…、何それ…?」

「これか?、これはLSDって言って、これを舌の上に乗せるとすげえんだよ!」
「床が波打って、音が見えるんだよ!」

「音が見える…?」
後ずさりするマサトシ。

「そうだ!これやったら飛ぶぞ~!ガハハハハ…」
そう言って、マサトシに近づくシゲオ。

「なんでこんな事…?」
顔面蒼白なマサトシが言う。

「なんでこんな事~?」
「おめえバカか?」
「俺たちゃロックミュージシャンなんだから、ドラッグやんのあたりめ~だろッ!」
「ロックやってるやつでクスリやってね~やつなんて、俺ぁ見た事ねぇぜ!」

そう言ったシゲオが、マサトシの口の中にLSDを入れようと近づく。

「シゲオ、ヤツハマダ、ベイビーダカラ、ヤメトケヨ…」
メンバーの一人の外国人が言った。

「イイんだよッ!おいッ!みんなこいつを取り押さえろッ!」
やや、ロレツが回らない口調でシゲオが言った。

「嫌だッ!」
マサトシは取り押さえようとしたメンバーたちを突き飛ばして、階段を上がって店の外へ走り出した。

「いかん…フラフラしてきて上手く走れん…」
「お前ら、アイツを追えッ!逃がすなぁ~!」
自分で走れないシゲオはメンバーたちに指示をした。

しかし追うメンバーたちも、マリファナを吸っていたので上手く走れなかった。


 22時。
僕と小田さんはドブ板通りを歩いていた。
ここを抜ければ駅まであと少しだった。

すると突然数m先の地下階段から、転げ落ちる様に少年が飛び出して来たのが見えた。

通りで転んでる少年に、追って来た3人のバンドマンらしき男たちが彼を取り押さえた。

「お前ら何やってんだッ!警察呼ぶぞッ!」
それを見た小田さんがバンドマンたちに怒鳴った。

「やべッ!ずらかるぞ!」
へたに警察を呼ばれ、ドラッグ使用がバレるのを恐れた彼らは逃げ出した。

「君!大丈夫か?」
僕が少年に近づいて言う。

「あれッ!?君は?」
小田さんが言う。

「フェイ・ダナウェイ」の子じゃないかッ!?
僕も言った。

少年は黙ってうつむき、道にヘタリこんでいた。

「とにかく家に帰ろう」
僕は少年にそう言い、続けて小田さんには、「小田さんはもういいから、俺がこの子を家まで送るから」と言って、小田さんと別れた。

「何があったんだ?」
帰り道。僕が聞いてもマサトシは黙ったままだった。

「フェイ・ダナウェイ」に着くと、店の前でタエが心配そうに立っていた。


「あっ…、マサトシ!」
タエがそう言うと、バツが悪るいのか、マサトシは家の中へ何も言わずに入ってしまった。

「本当にありがとうございます…」
タエは僕にペコペコと頭を下げた。

「いや良いんですよ」
僕は彼女に言った。

そして僕らはマサトシが入った家、「フェイ・ダナウェイ」の2Fを無言で眺めていた。


 23時。
先ほどの逃げたメンバーたちが「エノラゲイ」にいるシゲオの元に戻って来た。

「逃がしたのか…?」
マズイなという顔をしたシゲオが言った。
クスリの事がチクられる心配をしている様だった。

「でも、あのガキの通ってる高校は分かってるよ」
さっき聞いてたからと、メンバーの一人がシゲオに言った。

「でかしたぞ♪」
シゲオはニヤッと笑った。

「明日、あのガキの通う高校へPTAのフリして電話してやるッ!」
「未成年なのに、夜遅くこんなとこ来て酒飲んでたってな…」
そういうとシゲオは、ハハハ…と高笑いをした。





 翌日。
僕は東京へ戻る前に、最後の挨拶をしに「フェイ・ダナウェイ」へ寄る事にした。

店に入るとタエが、電話口で何度も「スミマセン、スミマセン」と繰り返し謝っている姿が見えた。

「ごめんなさい、息子の事で今から学校まで行かなければならないの」
「お店を閉められないから、悪いけど2時間だけ留守番しててもらえないかしら?」
電話が済んだタエが、困り顔で僕に店の留守番を頼んできた。

「ああ…、構わないよ。早く行って来な」
僕がタエにそう言うと、彼女は急いで学校へ向かった。

 僕は暇なので、店にあったスポーツ新聞を手に取った。

「黒い疑惑!神奈川のK議員の息子にドラッグ使用の疑いが!」

スポーツ新聞には、そんな見出しが書かれていた。


 県立横須賀第一高等学校。
その校長室にタエとマサトシはいた。

校長は、マサトシの事で今朝こうこう、こういう電話があったと、タエに話し出した。

「俺はライブハウスには行ったけど、酒なんか飲んでないよッ!」
マサトシは校長に向かって叫んだ。

「申し訳ないが、停学処分にさせてもらいますよ」
校長は母親に冷たく言い放つ。

「まって下さいッ!それだけは…ッ」
タエは必死に校長にすがった。

 タエが必死にすがるのには訳があった。
それは、マサトシが学校をサボり気味だった事で、ここで停学になってしまうと出席日数が足りなくなり留年してしまうからだ。

「俺、ホントに酒なんか飲んでないったらッ!」
マサトシが怒鳴っても話を聞いてくれない校長へ、タエは何度も何度も頭を下げて謝っていた。

(ちくしょう…。なんで俺、悪い事してないのに、母さん謝るんだよ…ッ、ばっかじゃね~のッ!)
タエの何度も謝る姿を見て、マサトシは悔し涙が出て来た。

「冗談じゃね~よッ!こんな学校こっちから辞めてやるよッ!」
マサトシはそう言うと、校長室を飛び出して行ってしまった。

涙目の母は、マサトシが出て行った扉を黙って見つめるしかなかった。




 僕が「フェイ・ダナウェイ」で留守番をしていると、タエが戻って来た。

「停学が退学になっちゃうかも…」
タエは店に入るなり肩を落としてボソッと言った。



「やっぱ女親だけじゃだめなのかしらねぇ…」

「そんな事ないさ」
と僕は言った。

「それで、マサトシ君はどこに?」
僕が聞くと「たぶんあそこ…」と、壁に掛けた額縁の写真に顔を向けた。

その写真には、生前の父とタエ、マサトシの家族3人が明るく笑って写っていた。

昔、猿島で撮ったというその写真。
家族3人でよく遊びに出かけた猿島は、横須賀のふ頭から15分程で到着する、東京湾唯一の無人島だ。

「無人島へ行ったのか!?」
僕が聞くと、ううん…と首を振り「その猿島がよく見えるとこ…」と、タエは言った。



 横須賀市馬堀海岸町、川野幸吉邸

「シゲオッ!これはどういう事だッ!」
息子の記事が書いてあるスポーツ新聞を手に、代議士川野幸吉がシゲオに怒鳴りだした。

「まずいよ…、まずいよ父さん…」
親指の爪を噛みながらシゲオが言う。

「誰かまた身代わりに出来るやつはいないのかッ!?」
シゲオを恫喝する父幸吉。

その言葉を聞いて、ハッと思い出した様な顔をするシゲオ。

「いたよッ!父さん身代わりになれるやつがッ!」
「そいつんち貧乏だし、そいつは学校も退学させられるはずだから絶対イケるよ♪」
声を弾ませてシゲオは言う。

「そうか…、金は何とかする」
「よし、そのガキを身代わりにして時間を稼ぐ」
「お前はその間、薬の反応が消えるまで海外へでも行って身を潜めていろ」

代議士の川野は、息子のシゲオにそう言った。




 横須賀中央公園。
マサトシは展望台から、猿島を見つめていた。

「おう!やっぱここだったか…さすが母親は何でも分かってるな…」
マサトシを見つけた僕は、彼の背中越しからそう言った。

「なんだよ。またあんたか」
振り返ったマサトシが鬱陶しそうに言った。

「あの猿島に、家族みんなでよく行ってたんだってなぁ…」
マサトシの隣に立って僕は言った。

「磯釣りしたり、バーベキューしたり、楽しかったか…?」

「なんだよあんたは?正義マンのつもりかよ!」

「正義マン?なんだそりゃ?」

「正義感ぶって、他人事に首突っ込んで墓穴を掘るやつのことさ」

「はは…、確かにそりゃ俺の事だな…」

僕らは猿島を眺めながら話していた。

 「それにしたって、明日は“母の日”だぜ」
僕がそういうとマサトシは、ハッと思い出した様な顔をした。

「親父さんが亡くなって、本来ならお前さんがお母さんを守ってやんなきゃいけない立場なのによ…」
僕がそういうと「分かってるよッ」と、吐き捨てる様にマサトシは言った。

「女を泣かしてる様じゃ、お前さんはまだまだ半人前だ…」
僕がそう言うと、マサトシは少し悔しそうな顔をして自分の足元を見た。

 だがその悔しさは、僕に向けたものじゃなく、自分の不甲斐なさに対しての悔しさなんだという事がマサトシを見ていて分かった。

「お前さん、学校辞めるってタンカ切ったんだってなぁ…」

「ああ…、でもどうしようか悩んでるよ…」

「いいんじゃね…。辞めちゃえば?」

「えっ!?」
僕の言葉に驚いたマサトシが、こちらを振り返った。

「別に学校が全てじゃないさ…、お前さんが本当にやりたい事をやれば良いんだよ」
「お前がホントにやりたいことは何だ?」

マサトシの顔をキッと見て僕は言った。

「俺の…、俺のやりたい事は、父さんみたいな料理人だ」
マサトシは小さな声で言う。

「だったらそれをやれば良い…」

「でも、中卒だと将来就職とか大変だし…」

「大変だろうな…」

「だから迷ってる…」

「Walk on the wild sideだ」

「え?」

「ロックミュージシャン、ルー・リードの言葉だ」

「進学か?、退学か?、人生に別れ道があったら、迷わずワイルドな方の道を選べってことだ」

その言葉を聞いたマサトシは、何か決心をした様な目を僕に向けたのだった。


 横須賀中央駅前「フェイ・ダナウェイ」
タエは店でマサトシの帰りを待っていた。

「ただいま…」
小さな声でそう言って、マサトシは帰って来た。

タエがフロアから玄関口へ向かうと、マサトシはそそくさと、そのまま2Fの自分の部屋へと上がって行ってしまった。

 階段を見上げるタエ。
またフロアに戻ろうとしたとき、下駄箱の上に何か置いてあるのに気が付いた。

そこには一輪のカーネーションと、「いつもありがとう」と一言だけ書かれた1枚のメモが添えられていた。

カラン、コロン…。
店入口の鐘が鳴った。

「よお、息子は戻ったかい?」
僕はタエにそう言うと店の中へ入った。

「こんなものが…」
目を潤ませたタエが、ちょっと嬉しそうに、僕へマサトシからのカーネーションとメッセージを見せてくれた。

「ふ~ん…、いいとこあるじゃないか…」
それを見た僕はニヤッと笑った。





 それから僕は、いつも様にタエが作るナポリタンをいただいて、アフターの珈琲を飲んでいた。

すると店内の電話が鳴った。

電話に出るタエ。

タエは「そんな事できません!無理ですッ!」と、電話口の相手に声を荒げて言っていた。
どうも尋常じゃない雰囲気だった。

電話を切るタエ。

「どうした?」と聞く僕。

 電話の相手は、代議士の川野幸吉からであった。

息子のシゲオがドラッグ疑惑で嗅ぎ回られているので、マサトシを身代わりに警察へ出頭させて欲しいと頼まれたという事であった。

そして川野は、その事でこれから店にお礼の大金を持って現れると言ったそうだ。

不安な表情で、僕を見つめるタエ。

「分かった。俺に考えがある」
僕はタエにそう言うと、彼女へ作戦を説明し始めた。




 1時間後、代議士川野幸吉が息子のシゲオとボディーガードの王鷹を引き連れて「フェイ・ダナウェイ」へ現れた。

「どうも、どうも奥さん!」
川野はそう言いながら手を振って店の中へ笑顔で入って来た。

ボディーガードの王鷹は、相変わらず無表情のままだった。

 店内には、タエ1人しかいなかった。
彼女は店の1番奥にある広い席へ、3人を案内して座らせた。

「奥さん、話はさっき言った通りだ」
「どうかこれでシゲオを助けてくれないか?」

川野はカバンから札束を3つ出し、テーブルの上へポンと置いた。
その額は、300万程だと思われた。

「結構ですッ!そんなものいりません!」
タエは強く断った。

「お金困ってるんでしょ?奥さん…?」
「女手1つじゃ生活も大変でしょ?」

いやらしい笑みを浮かべ、川野は言う。

「いいですか奥さん?もらえるもんはもらっといた方が良いですよ」
「どうせあなたは断る事が出来ないんだから…」
「それにこんな店、私の力でいつでも潰せるんですからね…」

タエを追い詰める川野。

「結構ですッ!帰って下さいッ!もう帰ってッ!」
タエは頑なに拒絶する。

「ねぇ父さん…、このおばさん王鷹に頼んで横須賀湾に沈めちゃえば?いつもみたいにさ…」
隣にいたシゲオがヒヒヒ…と笑いながら言う。

「これこれシゲオ、そんな事いうもんじゃありませんよ」
「この奥さんだって馬鹿じゃないんだから…」
「ねぇ奥さん?、あんただってまだ死にたくなんかないですよねぇ…?」

そう言った川野の笑みに、タエはゾッとした。

「はぁ…まったく…、じゃあいくら欲しいんですか!?」
「あと100万出しましょう!それでどうです!これ以上はもう出せませんよ!」

川野がイライラしながら、追加の札束をテーブルに置いて言った。

「結構です。お金の問題じゃありません…」
タエはビクビクしながら言う。

「あのねぇ奥さんッ!うちの息子の将来がかかってんですよッ!」

「うちのマサトシだって将来がありますッ!」

「私は代議士だッ!シゲオは私の息子だ!あんたんちみたいな喫茶店の息子とは訳が違うんですよッ!」

「うちの息子をバカにしないで下さいッ!もう帰ってッ!帰ってッ!」

タエが泣きながら川野を追い返そうとすると、王鷹が目の前に立ちふさがりタエを突き飛ばした。

「あっ…」
突き飛ばされたタエは転んだ拍子に、横のテーブルに置いてあった花瓶を倒してしまった。

 それはマサトシからもらった、カーネーションが生けてある花瓶だった。
倒れたタエの横で、床に落ちた花瓶がコロコロと転がっていた。

 王鷹は無言でタエに近づく。
そして足元にあったカーネーションを、邪魔だとばかりに軽く蹴飛ばした。

「あっ…、何するんですかッ!」
カーネーションをかばう様にタエがうずくまる。



 僕らはその状況を、2Fのマサトシの部屋にあるパソコン画面から食い入るように見ていた。
そのやり取りを、店のスカイプカメラから見ていたのだった。

「どうだ?今どんな気持ちだ?」
僕はマサトシに聞く。

マサトシはブルブル震え、泣きながら画面を見つめていた。

「苦しい…胸が苦しくて死にそうだよ…」
マサトシが言う。

「お前の母親は、お前の事でいつもそういう気持ちで生きて来たんだ!」
「分かったかッ?、親の気持ちがどんなもんかってのがッ!」

「分かったよ…、もう母さんを泣かせないよ…、だから母さんを、母さんを助けて…」
懇願するようにマサトシが僕に言う。

「お前はここで待ってろ」
「それから警察に急いで電話しろ。証拠はもう押さえた。あとは警察が来るまで俺が時間を稼ぐ」
僕はそう言うと、1Fの店の方へ小走りに降りて行った。


「ど~するんですか!?、奥さんッ!」
うずくまって泣いているタエに、川野がしゃがみ込んで聞く。

「そこまでだ!」
僕は川野の背中に呼び掛けた。

「誰ですかあなたは…?」
川野が振り返り言う。

「ふふ…、俺か?、俺は正義マンだ!」
「おせっかいで黙ってらんない、タチの悪い正義マンだよ」

「面白い事いう人ですね」
フフフフフ…と、不気味な笑みを浮かべて言う川野。

「王鷹…」
川野が王鷹に殺れと目で合図した。

ジャキッ!

王鷹が腰から特殊警棒を取り出し、僕の方を向いた。

以前も話したが、僕は剣道をそれなりにやって来た有段者である。
僕ら武道を志して来た者たちは、みんな自分の「間合い」というものを持っている。

「間合い」とは、相手の剣は届かないが、自分の剣は相手に届くという、自分にとって有利な制空権をさす。

 そして僕ら剣道の高段者たちは、相手の剣を目でかわすのではない。
相手の手がピクッと動いた瞬間に、その軌道を瞬時に読んで剣をかわし、一太刀喰らわすのだ。

だから僕は自慢じゃないが、素人の繰り出すパンチなど喰らった事なんか一度もない。

 王鷹が僕の前に立ちはだかった。
向かい合う2人。



「お前ホントにマトリックスに似てるなぁ…」
無表情の王鷹に言う。

王鷹が特殊警棒を振りかざした。



ビュンッ!

かわすッ!

ビュンッ!ビュンッ!

かわすッ!かわすッ!

僕は、すんでのところで王鷹の警棒をかわし続ける。

(さすがにコイツは素人とは違うか…。)
王鷹の鋭い打ち込みに、手ぶらの自分が分の悪い事に気が付かされた。

(何かないか…ッ!?)
僕は壁際に追い込まれたッ…。

僕は、バケツに突っ込んであるモップが、足元にあるのを発見した。

しかし王鷹はすぐ目の前だ。
絶体絶命だ。

 そのとき王鷹の顔目がけて、灰皿が飛んで来た!
王鷹の顔に当たった!

瞬間、僕はモップをつかんで、王鷹のみぞおちに7分の力で突きを食らわせた!

グッ!

王鷹は警棒を放し、前のめりに沈み込んだ。

 灰皿の飛んできた方を見ると、マサトシが「やったぞ!」と笑みを浮かべて僕を見ていた。

「ナイスアシストだ」
僕はマサトシに言う。

 そして僕は川野とシゲオに向いて言った。
2人はブルブル震えていた。

「あれを見ろ!」
「あれはスカイプカメラだ」

2人は、ハッとしてカメラを見た。

「お前たちが今やっていた悪事が、すべて全世界に生中継されてたんだよ!」
「嘘だと思うんなら、この店のHPを見てみろッ!」

 僕がそう言うと、シゲオが慌ててケツポケットからスマホを取り出し、操作し始めた。

シゲオはその画面を確認すると、父親の幸吉にも「父さんこれッ!」と言って見せた。

 動画に自分たちが映ってる事を確認した川野幸吉。
画面横のチャットには、映像を観てる人から次々とコメントが寄せられていた。

「うそ!なにこれマジ??」

「川野って政治家の?」

「やばく無いこれ?」

「映画みたいだな」

「かっけー」

チャットに次々と入るコメント。

がっくりとうなだれる川野。

「父さん外見てよ!」
シゲオが慌てて父親に言う。

「フェイ・ダナウェイ」の窓からは、たくさんのやじ馬が集まりだして、店の中を覗き込んでいる姿が見えた。

「うわぁあああ~、もうお終いだぁ~!」
頭を抱え、沈み込むシゲオ。
同時に、パトカーのサイレン音も遠くから聴こえて来た。

「おい、クソガキ!」
シゲオの背中越しに立った僕は言う。

「マサトシから聞いたぞ。お前、ロックミュージシャンでクスリやらねぇやつなんていないって言ってるそうだなぁ?」

シゲオは聞いてるのか聞いてないのか分からないが、無言で沈み込んでいる。

「クスリやるやつなんてのはなぁ、お前みたいなファッションでロックやってる、中身のねぇクソ野郎だけだッ!」
「ロックはファッションじゃねぇんだよ!生き方なんだよ!分かったかクソガキがぁッ!」

シゲオは黙っていた。
どうせこんなやつに言っても無駄だと分かってるが、僕は黙っていられなかった。

僕がそう言い終えると、そのタイミングで警官隊が店の中へ続々と入って来た。

「終わったな…」
僕は沈み込んでぐったりしてるタエと、その横で介抱しているマサトシに言った。




「臨時ニュースです!民自党の現職議員である川野幸吉福祉大臣が逮捕されました!」
駅前の大型TVモニターから流れる、川野議員逮捕のニュース。

 殺人事件関与の疑い、恐喝、そして息子シゲオの薬物の件と、どのチャンネルをつけても、連日そのニュースで持ち切りだった。

 僕はそのニュースを「フェイ・ダナウェイ」のカウンターで珈琲を啜りながら、店のTVで観ていた。

カウンター越しには、タエとマサトシの親子が笑顔で働いていた。

「俺さ、高校辞めて調理師学校に通うことにしたよ」
マサトシが僕に言った。

「そうか…、大変だと思うけど頑張れよ」
僕がそう言うと「ワイルドな道を選んだよ」と、マサトシは笑顔で僕に言った。

彼の笑顔には、後悔の欠片など微塵も見えなかった。
母タエは、マサトシの言葉を黙って笑顔で聞いている。



 そして、タエがグラスを拭いているすぐ脇には、マサトシがくれた、あのカーネーションが花瓶に生けて置いてあるのが見えた。

fin








今回のポイント
タエとマサトシの親子が、その後、どうなったかは最終回で分かります。


次回予告
バイクの音は、空き地にいるナツたちにも聴こえていた。

「なに、あの音?」と10歳の少女ナツが言う。

「あ!」
三平が突然叫んだ。

「俺さっきここに来る前に、マサトがバアちゃんちに嫌がらせをしに行くって、電話で話してるの聞いたんだッ!」

「マサトはバアちゃんちの塀に、いっぱい落書きして、すぐ消されちゃったから、またやりに行くって仲間に電話してた!」

「大変!やめさせないと!」
三平の説明を聞いたナツが言う。

「みんな!オバアちゃんを助けにいくわよッ!」

「……」

「どうしたのよ!みんなッ!?」
ナツが助けに行こうと言っても、向かおうとしない仲間たちにナツが聞く。

「俺の父ちゃん、マサトの父ちゃんの会社で働かせてもらってっから逆らえねぇよ…」
三平が言う。

「あたしもママが、マサトの家でやってるスーパーでパートしてるから無理だわ…」
一人の女の子が言った。

「俺んとこも…」

「うちも…」

「無理だよ…」

「なによあんたちッ!、そんな大人の都合なんて、わたしたちには関係ないじゃないッ!」

「もういいッ!わたしは行く!」

「三平のいくじなしッ!」

「あっ…、ナツ!」

ナツはキョウの家に向かって走り出した。