我が愛する人の幸せなくして、
我が幸せはあらず
これ、究極の自己愛也と我覚ゆる

愛せないという形でないと愛せない  
そんなストイックで
ストレスフルな愛もありかと思う

こちらを愛するあなたは愛せず
こちらを愛さないあなたが愛しい


愛するか愛さないかは 
自分の意思の自由にはならないのだから
学びたかったら 痛い目をみることだ



事に当たって

いや、相手だってああじゃないか
こうじゃないかと批判するのは簡単

おそらくは、その場の精神衛生にも
よいだろう


しかしそれでは自己向上はない

すべてを冷静に受け入れる心が大切

子供をほったらかしの親がいて

子供はこどもで 親がまったく放置だからぐれちゃって


でも親は、そんな子供を ぐれたことにだけ怒って悪循環

そんな状況って 親子にかかわらずいろんなところである

きっと 親子だと それが見えやすいだけ

人は 自分のこととなると まるでよく見えない

もし この世に神様ってのがいるのなら

きっと最低最悪の事態にならないように配慮してくれてるって

そう思うんだ


でも 人なんて 神様みたいに聖人君子じゃないから

「最悪だ!」って思うんだろうな

そこが人間の愚かさなんだろうよ きっと

でも、 その最悪の状態ですら  
きっと 最悪からは多少離れたところに設定されてるんだと思うんだ

きっと いつもいつも どうにか立ち直れる程度の緩衝材を置いてくれている


でも

みんなみんな 自分のことばっかりで手一杯だから

人なんて みんなみんな 好むと好まざるとにかかわらず 自分勝手だから

きっと そんなことを思う余裕すらないんだよ

そもそも自分勝手っていうけど  人が 一人の自分として存在する以上

自分勝手ってのは 避けられないことなんだよね  

だって 自分が存在するから 回りも存在するんだ・・・


だから 最終兵器はつかっちゃいけないな

それは自爆行為


相手に与えるダメージも大きい分

自分のダメージもおっきくなる


自分が立ち直れなくなる




今月に入って、介護の職員が突然バタバタと数名、急に辞めた。

「現場はてんやわんやだっ!」状態になっている。

施設や病院の人手不足や、出入りの激しい理由の大きなひとつに「人間関係」がある。  
女性の多い職場だ。そして、いろいろな意味で女性はおっさんよりも「移動しやすい」。





世間では若者が減り、年寄りが増えているので、シルバー市場の開発が盛んである。
ガキのおもちゃの集大成なゲームセンターまで、生き残りを賭けて高齢者向けに
「仕切りなおして」いる。

すぐそこにも、「団塊の世代」という「カモネギ」がいる。


 
また、高齢者側にも様々なニーズがある。

小口軽貨物輸送の赤帽は、高齢者ユーザーによって成り立っている部分が
相当にあるようで、高齢者は優良顧客だそうだ。
それ故、赤帽の方でも、単に運輸業にしぼらず、便利屋のようにしているという。
つまり、「大手にマネできないことをやって」成り立たせている。



介護保険のご厄介になる前のプチ年寄りな爺婆は、今後、社会の優良顧客となるのである。



介護保険外の「デイケアもどき」 
シルバーサロンみたいなのは、結構あちこちにできてくるのではなかろうか?

会員制とか、カラオケ健康法とか、「法律に縛られず」にいろいろやれそうで、
なかなかかなりの脅威ではある。

その分、いろんな産業から参入もしそうで、他業種にはチャンスであろうが、
本家本元の介護業者にとっては、またまた打撃になりそうなヨカンヌでもある。



そんなところはツイッター フェイスブックの活用も盛んに行うだろう。


なにしろ ラーメン二郎でさえ、相当前からメルマガを発信してるのだ。


 


実際、私自身、今現在「高齢者向けに話し相手をする業者」をフォローしている。

これからスマホはもっと進化して、最後にはPCを抜だろう。 
PCはスマホに収束するのだ。 今後の年寄りはパソコンだって自由自在に使いこなす。
何しろ、それらパソコンを「作った」世代なのだから。


     


今後の歳よりは、今までの、「水戸黄門や大岡越前を見せておけばおとなしい」年寄りとは
別人種である。




ディズニーは、あれほど高くあんなに待つのに、 
何故あれほどリピーターがいるのか?

多方面からの、「人」の分析は、ますます必須。

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昔 万葉の歌人は 
月にいろいろな思いを託し 詠った 


すなわち

「私が今見ているこの月を 遠く離れたあの人も 今 見ているだろうか?」
 
という「距離」を表したものや


「私が今見ているこの月を 遠く離れたあの頃の人も見ていたのだろうか?」

という「時間」を表したものなどいろいろである



「そっちは天気悪いのかな? 梅雨だから 見えないかな?

 こっちは月が 見えてるよ  前に あなたが 

『同じ月を そっちとこっちとで 一緒に同時に見よう』

そう言ってたのを思いだしながら見てた・・・」



そんなメールが届いたので 窓から月を眺めてみた

今 一緒に同じ月を 同時に見ているんだな・・・


梅雨のこの時期にしては 今夜は月が綺麗に見える

眺めと長雨 これも万葉歌人が多用した掛詞である


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うたた寝に 恋しき人をみてしより 夢てふものは 頼みそめてき

想いつつ 寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを

              (どちらも小野小町)



ルナには 月の他に「狂気」の意味がある

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フェイスブックより勝手に転載

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これは日本の東北大震災で自らを犠牲にしてわが子を守ったある母の本当のお話です。
地震の鎮まった後、救助隊は、ある若き女性の家に到着し、
そこで瓦礫に埋もれた彼女の遺体を発見しました。
しかし、彼女の遺体はどういうわけか奇妙なことに膝立ちし、
あたかも祈りを捧げるかのように身体を前方にやりながら、
両腕に何かを包み守っているかのようでした。
倒壊した家屋は彼女の背中と頭にのしかかっています。

数々の困難な状況にありながらも、救助隊リーダーは狭い壁の隙間に手を入れ、
なんとか彼女の身体に触れようとします。
彼は、彼女はまだ息があるものと信じていました。
ですが、彼女の冷えて硬直した身体は、彼女はもうすでに亡くなっていることを物語ります。

彼と隊員たちは、その家を後にし、隣の倒壊したビルに向かおうとします。
そこで途中、リーダーは想うところあり急遽彼女の家に引き返す指令を出しました。
そこで再び跪き、今度は瓦礫の隙間から彼女の遺体の下の小さな隙間に手を入れてみます。
そこで彼は突如興奮して叫びます。「子供だ!子供がいる!」
そしてチーム全体が協力し合い、彼女の遺体周りの瓦礫を除去してゆきました。
するとそこには、母の身体の下で、花柄の布に包まれた生後三ヶ月の小さな男の子がいます。
その母の姿は、明らかにわが子を救う究極の自己犠牲の姿でした。
家が倒壊する時に、彼女は自分の身を投げ打って息子の命を守ったのです。
救助隊が救い出した時、幼い男の子は、未だ静かに眠りについたままでした。

医師は速やかに幼子の様態を確かめに駆けつけます。
布を開くと、そこには携帯電話も包まれています。
そのスクリーンにはこう書かれていました。
「もしもあなたが生き残れたなら、わたしがどれだけあなたを愛していたか、
しかと憶えていてね。」

携帯はそのままその場の全員に手渡され、そのメッセージに皆むせび泣きました。

「もしあなたが生き残れたなら、わたしがどれだけあなたを愛していたか、
どうか憶えていてね。」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まだ学生だったころ、テレビで子殺しのニュースをみた。
母親は当所「子供が居なくなった」と警察に届け、テレビの取材にもそう答えていた。
ワイドショーでは、行方不明の時の頃から、犯人として逮捕される時まで、連日放送
していた。

彼女は、3人の娘のうちの一番下を殺し、公園の砂場に埋めたのだ。
しかも長女と次女に、子供が普段使っている食器のちゃわんを使って砂を掘るのを
手伝わせて・・・・


その数年後に勤めた病院で、数奇なことに、この女性と出会うことになった。
つまり、彼女は統合失調症だったのだ。

娘殺しは、その病がなせる業であった。

他にも、「足電が来た!」(足から感電するような電波が入ってくるとのことらしい)と言って、
いきなり生後数ヶ月の乳児をマンションのベランダから地上に向かって投げ捨てた母親。

親がおらず、乳児院で育ち、養子としてもらわれ、中卒で働くのが一般的だった時代に
大学までだしてもらい、教師になったものの、養母を風呂で溺死させた中年男性。
彼は警察が来て検死、他、処置をしているあいだ、和室で正座し、お笑い番組を、
ニコリともしないで眺めていたという。

等、その後いろんな例を診ることになった。

妹の死体を埋めるのを手伝わされた長女はその後、母親のような人を助けたいと
看護師になったそうだ。




大分の例も記憶に新しい。

こういった事件が起こるたびに、であった患者さんたちがふと脳裏をよぎる



あなたが虚しく過ごした今日という日は 昨日死んでいったものが 
あれほど生きたいと願った明日

 (出典はいろいろな説がありすぎて不明 もっとも誰が言ったかなどたいした問題ではない)


ツイッターでフォローしてたこともある富良野メロンパン。

実際に走ってるのや、営業してるのも見たことある。

で、ツイッターでは毎日「今日は○○で営業してまぁ~す」と
ツイートされていた。

アメブロのグルっぽやいろんなSNSのコミュニティ、
街BBSなんかでは、「今日は××で営業してたよ~」
なんていう情報のやりとりが盛んに行われていた。

果ては専用スレッドまであちこちにあった。

「先日買い損ねたので次回は絶対!」なんて
熱烈な書き込みもあった。

おかげでこちらはその営業エリアに無駄に詳しくなってしまった
なんていう副作用まであったくらいだ。

ほんのつい数ヶ月前のことだ。



それが今では、ほとんど話題にならず、たまに出てくる書き込みは、

「そう言えば久しぶりに富良野メロンパンの車みたけど
 誰もお客さんいなかったな」

とか、

「売れてるのかな?」

「駐車場で営業していたメロンパンの車、売れてないみたい
 だったけど、店の中で売ってたお爺さんとおばあさんが
 夫婦でやってるたこ焼き屋、あっちは繁盛してたね」

 

なんて書き込みに変化してきた。

そして話題はメロンパンからたこ焼きへとシフトしていくのだった。


メロンパンの販売状況ツイートは、この一ヶ月程、何も呟かれていない。

註)上記はツイッターおよび、北海道北見関連スレッドのみでのことである。
  アメブロ上では富良野メロンパンのブログはそれなりに更新されており、
  内地等の他地区では成り立っているところも当然ながらあると考えられる。


http://www.pabrata.com/index.html

http://www.pabrata.com/pabrata/fc/fc.html
つまり、物理的な死の前に、
社会的な「死」が存在する。



自分が高齢化して、
デイに通うようになったり、
ホームヘルプを利用するようになったり、
果ては、施設に入所するようになったら、
相当なショックを受けるのではなかろうか。


つまり、社会的に「抹殺」されるのを恐れているのである。


施設に幼稚園の園児が慰問に来たとき、
「くだらねえなぁ~」とぼやいた爺さんがいたが、
実際、素直な本音なのであろう。

高齢化にあれこれと口をだす、
その人の人生に介入するということは、
相当に激しい「余計なお世話」であるのが
実際のところなのかもしれない。