duprezのブログ

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 人は生まれ、そして死ぬ。

 それは絶対の天地の決まり事だ。

 老いと死。人は誰でもその定めから免れることは出来ない。

 だが、時に、自分の持てる全てをかけて、それに抗おうとする

者がいる。

 「火の鳥」といえば、手塚治虫のライフワーク
 火の鳥は、時空をこえて存在する超生命体で、その血を飲めば不老不死になれると言われている。
 特に傑作と評判だったのが「鳳凰編」舞台は東大寺建築のころの奈良時代。我王と茜丸という、二人の仏師を主人公にして話が進んでいく。
 我王は、殺人や強盗を繰り返す悪党です。我王は、生まれてすぐ片目片腕をなくし、醜い顔ということもあり、大変苦しい子供時代を送った。
 そんな我王が生きていくためには、悪事に手を染めるしかなかったのでありました。
 もう一人の主人公の茜丸は、優秀な仏師として、「火の鳥」を彫刻するために旅を続けています。イケメンでさわやかな好男子なんです。

 僻みっぽい私なんか、これだけで茜丸が嫌いになりそうです。
こんな二人が出会って、物語が始まります。

 我王も、私と同じ様に茜丸が気に入らなかったのか、強盗にとどまらず、仏師にとって命ともいえる茜丸の右腕を切り落としてしまいます。
 「俺と同じ片腕になってみろ!」ということですね。茜丸は絶望しますが、そこから立ち直り、我王を許すというところで、第1部が終わります。 

 ここまでの茜丸は、本当にカッコいい! しかし、手塚治虫のことですから、このままでは終わりません。

我王も大衆の為に仏を作り、民間では有名になっていきます。

茜丸は片腕の凄い仏師ということで、宮中に招かれて、皆にちやほやされながら長い年月を過ごします。

そんな二人が、東大寺建立での鬼瓦製作で勝負をすることになります。

 しかし、ちやほやされて腕が鈍った茜丸には、かつての力はありません。勝負は我王の勝ちになりそうなところで、茜丸は昔の我王の犯罪行為を蒸し返した。

 これによって、茜丸の勝利が決まるとともに、我王は罰として残りの腕までも切り落とされてしまいます。

 しかし我王は、自分の境遇に不満を言うこともなく、口に道具を咥えて仏像を作り続けます。一方茜丸の方は、なぜかその後火事にあって、苦しみながら死んでいきます。

 茜丸の場合、焼死するにとどまらず、死ぬときに火の鳥が登場して、茜丸のことを厳しく糾弾するのです。

 しかし、法律上の罪ということで考えると、我王は間違いなく犯罪者なのに対して、茜丸はその犯罪を告発したに過ぎません。法に触れるようなことは何一つしてないどころか、「正義」を実現したとも言えそうです。みっともない行為かもしれないが、それほど非難されることはないのではと、以前この漫画を読んだときは疑問に思いました。

一、をしえの道のみことのり
  われらが日々のをしへなり
  みそらに匂ふ富士の峰
  われらが胸のかがみなり


二、百船ちふねつどひ寄る
  みなとの榮えきはみなし
  榮ゆる御代のみめぐみに
  御くにの花とさきいで舞

 

随分遠い遠い昔なのに憶えていた

若い時は誰にもある

特に10代、思春期の多感な頃の記憶は忘れないんだろう

 人間は限りある人生を生きていく

 中国明代の袁了凡(えんりょうぼん)が書いた『陰隲録(いんじつろく)』では、天が人の行為の善悪によって禍福を下し、天が無言のうちに民を安定させると記している。

 袁了凡(えんりょうぼん)がまだ袁学海(えんがっかい)という名前だった幼い頃、易を極めた孔という白髪の老人から、次のような運命を告げられる。

『お前は将来何歳の時に何の試験を受けて何人中何番で受かり、その後科挙の試験(中国の最難関の官僚登用試験)に合格し、若くして地方の長官になり、結婚はするが子供は生まれず、53歳で天寿を全うする運命である。』

 袁学海(えんがっかい)は白髪の老人孔が話した通りの人生を辿り、徹底した宿命論者になっていきます。

 その後、長官として地方に赴任した袁学海(えんがっかい)は、棲霞山(せいかざん)中にいる雲谷(もや)禅師の禅寺を訪ねます。

 雲谷(もや)禅師にこれまで人生の話をすると、孔老人の宿命論のままに生きようとする袁学海(えんがっかい)の姿勢を大馬鹿者と叱咤し、人は自らの力で立命できると諭す。

 善きことを思い、善きことを行えば、運命はよき方向へと変わっていくということを説いたのです。

 素直だった学海は、その後、妻と共に少しでも善いことを思い、善いことをしようと決意します。

 その結果、生まれてこないと言われていた息子が生まれ、53歳が寿命だと言われていたにもかかわらず、74歳まで元気に生きていました。

 限りある人生、どう生きてどのような最期を迎えるかは自分で決めたい。

生きている実感なんて
幻みたいな
あやふやなものかもしれない
でも、生きていたいという

強い思いがなければ
それすらも
手放すことになるよね


残された時を大切に
なるべく笑顔で過ごそうよ

アインシュタインは「神はサイコロ遊びをしない」と述べ、我々が観測する・しないにかかわらず物体は厳然たる一定の性質を備えており、物理理論はそれらを数学的に書き表して予測するものと主張していました。

一方、インドの詩人・思想家にしてアジア人初のノーベル賞受賞者ラビンドラナート・タゴールは、この世界は人間の世界であり、どんな科学理論も、所詮は科学者の観方にすぎないと考えていました。

 

アインシュタイン

私が見ていなくても月は確かにあるのです。

 

タゴール

人間の意識の中にしか月は存在しないのです。

 

 

タゴール格言

人間は、空間と時間との領域の中に住むほかに、もう1つ別の住居を持つ。

自分の内面の王国の中に

人生は失われた愛によっていっそう豊かになる

「あなたは、誰ですか?」 

もし、誰かに突然真顔で質問されたとしたら、たぶん多くの 人は返答に窮するではないだろうか。

最初に思い浮かぶのは、 自分の名前かも知れない。でも、名前だけがその人のすべてで はない。

 

 それでは、性別や国籍、職業や社会的立場などはどうだろう。 こうした属性は、「わたし」の一面を説明することはできるが、 どれも「わたし」のすべてを表すことはできない。

社会的な立 場が「わたし」のすべてであれば、地位を追われたり職を失っ たりすれば、生きていること自体の意味を失うことになる。

 

「あ なたは、誰ですか?」という問いに対して、「わたしは、私です」 と答えることも可能だろう。でも、その場合には「私とは誰の ことなのか?」という疑問が残ることになる。 

名前や性別、職業や社会的地位といった、「わたし」を取り巻く玉ねぎの皮のような属性をすべて剝いていったあとに、 いったい何が残るのだろうか。

 

「あなたは誰ですか」という問いに答えるためには、 つねに「わたし」の属性が必要であり、それらの属性は「わたし」 を取り巻く「世界」における「わたし」の位置づけと深く関わっ ているのは確かである。

 

「わたし」の存在に意味を与えてくれる「世界」の存在。

 

「あなたは誰なのか」という問いに答えるために、この「世界」と のかかわりが不可欠なことは確かなんだろう。

 

まるで、宇宙を渡る風の様に

時は征服者たちの名も武勲も全て消し去る

我々の過去も遺産も

来た道を見やる者の目にのみ

映るのだろう

自分の人生に意味はあると思いますか?

いきなりこんなことを聞くと”何?病んでるの?”と思われそうですがいたって普通ですよ笑

人生の意味は何かと問われた時の答えは様々だと思います。

”新発見をしてこの世界に形跡を残すこと”。

”幸せな人生を送ること””誰かを幸せにすること”。

”子どもたちに未来を託すこと”

あげればきりがなく人の数だけその解釈は変わってくるはずです。

しかし自分たちの存在や行く末を考えた時に到達する地点を考えると自分が生きている意味が本当にあるのか疑問を持つのは当たり前です。

僕は実は人生に特に意味はないと思っています。

どの人間もいつか消えます。

僕もいずれは死に、この世界からいなくなります。

でも人が完全に消えるのは心臓が停止した日ではなく、痕跡がなくなった時です。

この世界で僕たちは常に何かに制約されています。

会社や学校、仕事や主教、国家や財産、

これらは存在して当たり前かと思うかもしれませんが、

これらは全て意味のない人類が作った物なので、当然意味のないです。

たとえそれが意味のない物でも、僕たちの暮らす社会はそれら架空の価値で動いています。

生きるためにはこのうちのどれかには従わないといけないこともあるでしょう。

しかしここから言えることは、

できる限り自分がやりたい様にやるのが最も正しい生き方だということです。

架空の物に縛られて本当の価値を失ってはいけません。

真の価値とは時間です。

時間は人間が作った物ではなく、この地球上の皆が生まれながらに持っている物です。

お金や、社会的地位などの意味ない物に惑わさず自分の時間を失わないようにするのが一番の生き方です。

この世界での一番大変な生き方は自由に生きることです。

なぜなら自由を奪い、奪われることに慣れた人間が世界の大半だからです。

なので周りのいう社会的価値なんて気にせず、自分の中の価値を作りましょう。

初めから人生に価値はないと思えば、この世界に価値を作るのは他でもなく自分自身です。

またまた、松蛍庵

ここまできたら、ほぼ千葉県民です(^.^)/~~~


5月末が最盛期といっていたホタルが松蛍庵の庭の木にもたかっています(^.^)/~~~


子供の頃しかみることのできなかった

暗闇に浮かぶ夜空の星を見ながら今回もバーベキューで酩酊(+o+)


結構筋肉痛(^_^;)



ホタルの幼虫、意外とグロテスク

ホタルは2週間しか生きられない


先輩ゴルフチームと合流して、夜は東屋でバーベキューパーティーでした

越洲、東光と美味しいお酒でまたもや酩酊してしまいました。


翌日先輩は、畑仕事終了後コメリへ出かけ、即金で倉庫を買っていました\(◎o◎)/!

ジャガイモの次は何を植えるのか・・・・・・。