皆さんのなかにもこの『引き寄せの法則』という言葉を聞いたことがあるという方は少なくないのではないかと思うのですが、私自身もこの『引き寄せの法則』というものに関してはそれなりに勉強しているのですね。

この法則は非常に魅力的なものであり、シンプルに説明すると「自分が心からそうなると思ったものは実現する」という法則となっているのですが、それでもこの法則をあまり思い通りに使いこなすことができていないという方もいるのではないかと思うのです。

今回の記事ではそのような方たちに対してちょっとしたアドバイスのようなものを送りたいと思っているのですが、私が思うに「引き寄せの法則を使いこなしたいけどなかなか使いこなすことができない」というタイプの方の最大の特徴は「引き寄せの法則によって幸せになる!」というふうに考えてしまっているということなのではないかと思うのですね。

要は『引き寄せの法則』を使いこなし、自分の望みを叶えたり自分が欲しいと思っているものを引き寄せたりすることによって幸せになろうとしているのではないかと思うのですが、個人的にはこのような考え方は少し危険なのではないかと思うのです。

なぜなら「引き寄せの法則を使いこなすことによって幸せになろう!」というふうに思うということは、少なくとも現時点では「幸せではない」というふうに考えているということになっていると思うからなのですね。

要は『引き寄せの法則』を使いこなし、自分の望みが叶うことによって自分は幸せになることができるというふうに考えていることから、それは裏を返せばまだ望みが叶っていない現時点では「幸せではない」というふうに考えているということになるのではないかと思うのです。

しかし非情なことに『引き寄せの法則』というのは「似たような波動が引き合う法則」であることから、現時点で「私は幸せではない」という波動を出しているという方はその波動と同調する現実、すなわち「不幸な現実」を引き寄せることになるのではないかと思うのですね。

大切なのは『引き寄せの法則』というのは似たような波動がお互いに引き合う法則であることから、現時点で「私は幸せ」というふうに感じている方にはより幸せな現実が引き寄せられ、逆に「私は幸せではない」「私は不幸」というふうに感じている方にはより不幸な現実が引き寄せられるということなのです。

そのような経緯から考えるに「引き寄せの法則によって幸せになろう」というふうに考えられており、現時点で「自分は幸せではない」というふうに考えられているという方に関しては「幸せな現実」というのは決して訪れないということになるのではないかと思うのですね。

それではこのような方たちが『引き寄せの法則』によって幸せな現実を引き寄せるためには一体どうすればいいのかということなのですが、私が思うにそれが「現状に幸せを感じる」ということなのではないかと思うのです。

これは多くの方が引っかかるポイントなのではないかと思うのですが、大切なのは「現時点で幸せを感じているからこそ『引き寄せの法則』によってより幸せな現実が引き寄せられる」ということなのではないかと思うのですね。

現時点で自らの人生に対して強い不幸感を感じており、『引き寄せの法則』によってそのような現状から脱却しようと思われている方もいるかもしれないのですが、その考え方は間違いなのではないかと思うのです。

大切なのは『現状に幸せを感じる → 引き寄せの法則によってより幸せな現実が引き寄せられる → より幸せになる』という構図を理解することであり、現状に対して幸せを感じることができているからこそ『引き寄せの法則』によってより幸せな未来が創られるということなのですね。

しかしその一方で『引き寄せの法則』によって不幸な現状から脱却しようとされている方に関しては『現状に不幸感を感じる → 引き寄せの法則によってより不幸な現実が引き寄せられる → より不幸になる』という構図となり、より不幸な現実が創られてしまうのではないかと思うのです。

そのような経緯から考えるに現時点で『引き寄せの法則』によって幸せを引き寄せようしている方のなかには「引き寄せの法則を使いこなすことができれば幸せになることができる!」というふうに考え、『引き寄せの法則』によって不幸な現実から脱却しようとされている方がいるのではないかと思うのですが、そのような考え方をしている限りはなかなか幸せな未来を引き寄せることはできないのではないかと思うのですね。

 

なぜなら何度も繰り返すように現状に対して強い不幸感を感じているという方はより不幸な未来を引き寄せてしまうことになるからなのです。

私が思うに「引き寄せの法則を使いこなすことによって幸せになろう!」というふうに考えられているという方の多くは「引き寄せの法則によって不幸な現状から脱却しよう!」と思われているのではないかと思うのですが、これでは現状が『不幸』ということになってしまうことから、決して幸せな未来を引き寄せることはできないのではないかと思うのですね。

大切なのは引き寄せの法則を使いこなすことによって不幸な現状から脱却し幸せになることができるというふうに考えるのではなく、現状に幸せを感じているからこそ引き寄せの法則によってさらに幸せな未来が引き寄せられてくるというふうに考えることなのではないかと思うのです^^

 

近年は芸能人の不倫が大きく世間を騒がせているような気がするのですが、それでも私が思うのは『結婚』というのは人間の本能から考えると非常に不自然な行為なのではないかということなのですね。

近年は昔のような「誰もが大人になったら結婚するのが当たり前」というような風潮はなくなってきたことだと思うのですが、それでもぼんやりと皆さんのなかにも「自分もいずれ結婚するのだろう」というふうに思われている方がいるのではないかと思うのです。

皆さんのなかにはどこかのタイミングで「この人となら‥‥」というふうに思える異性との出会いがあり、その人と一生添い遂げることになるというふうに考えられている方もいるかもしれないのですが、個人的にはこれは人間の本能から考えると非常に不自然な話なのではないかと思うのですね。

多くの男女はこれまでに異性と交際した経験があるのではないかと思うのですが、その際はほとんどの場合がどこかで交際が終わり、結婚まで関係が進むというケースはほとんどなかったのではないかと思うのです。

大抵の場合カップルというのはどこかのタイミングでどちらかが相手に対する恋愛感情を失い破局することになるのではないかと思うのですが、そのような経緯から考えるに私はこのような「どこかのタイミングで生涯添い遂げる異性と出会うことができる」という考え方は非常に不自然なものとなっているのではないかと思うのですね。

そもそも我々人間は「この人とだったら一生添い遂げることができる!」というふうに思える異性と必ず出会えるという保証はなく、むしろそのようなケースは非常に稀なのではないかと思うのです。

実際に生涯添い遂げた夫婦を考えても、その多くは死ぬまでお互いのことが好きだったというよりは、どこかのタイミングで配偶者に対して愛想は尽きたもののそれでも子供のためや生活のために恋愛感情はなく好きでもないものの、一生添い遂げたというケースのほうが圧倒的に多いのではないかと思うのですね。

そもそも『結婚』という制度から考えるに我々日本人の多くは「この人となら一生添い遂げることができる!」と思える方とどこかのタイミングで出会うことができるというふうに考えてしまっている節があるのですが、実際にはそのようなケースは非常に少なく、そのような相手は見つからないことがほとんどなのではないかと思うのです。

稀に「この人が大好き!」とお互いに思うことができる方と出会い、一生お互いに対する愛を感じながら添い遂げることができるという夫婦もいることだと思うのですが、それでもそのようなケースは非常に少ないのではないかと思うのですね。

そして日本もかつては『一夫多妻制』という制度が敷かれていたというのですが、実際に一夫多妻という制度が大切であるかどうかというわけではなく、現代の『一夫一妻』という制度は人間の本能には根付いていないのではないかということなのです。

皆さんのなかには現時点でまだ結婚しておらず、さらには異性との遊びが好きであるという方がおられるかもしれないのですが、そのような方のなかには「自分もどこかのタイミングで『この人だっ!』と思えるような人と出会い結婚するのだろう‥‥」というふうに思われている方もいるのではないかと思うのですが、本当にそう上手く事が運ぶのでしょうか?

やはり私が思うに『一夫一妻』という制度、すなわちどこかのタイミングで結婚し、基本的にはその配偶者と一生を添い遂げるという形式は人間の本能にはまったく根付いていないものなのではないかと思うのですね。

そしてそのような理由から現代でも結婚後に他の異性と交際したり関係を持つ、すなわち『不倫』が多数起こることになるのではないかと思うのです。

大切なのは「どこかのタイミングで『この人だっ!』と思える人と出会い、そしてその後の人生はその人と生涯添い遂げることが当たり前」という考え方は常識的なものではないというふうに考えることなのではないかと思うのですね。

やはり女好きな人、男好きな人というのは何歳になっても「遊びたい!」という思いが抜け切れず、例え結婚したとしても異性からモテたいという思いや遊びたいという思いは依然として持ってしまうものなのではないかと思うのです。

そのような経緯から考えるにやはり『一夫一妻』という制度は非常に違和感があるものとなっているのではないかと思うのですね^^

 

本田圭佑選手や中田英寿選手のような多くの方から脚光を浴びるようなカリスマ性はないものの、泥臭いプレーと強い気持ちで長年日本サッカー界を牽引している存在と言えば岡崎慎司選手なのではないかと思うのですね。

岡崎慎司選手は本田圭佑選手と同様に自らに関して「才能がない」というふうに語っているのですが、それでもその才能のなさを尋常ではないほどの努力でカバーし、20代半ばの頃には日本代表のなかでも最も安定感のあるフォワードとして活躍しました。

岡崎選手は足が速いわけでもなければ背が高いわけでもなく、足元の技術、体の強さ、どれをとっても先天的に非常に恵まれているとは言えないのですが、それでもあの本田選手でも舌を巻くほどの努力をし、日本代表のなかでも替えの利かない選手となったのですね。

まぁこのように岡崎選手は才能がないながらも尋常ではないほどの努力をし、その結果日本代表の選手にまで成り上がったのですが、そんな岡崎選手は非常にネガティブな性格として知られているのです(笑)

例えば岡崎選手は長年プロサッカー選手としての生活を送っているのですが、なんでも試合の前はいつもネガティブな気分になってしまうようで、試合の直前には「試合始まってほしくないなぁ‥‥」「相手のディフェンダーめっちゃごついやん‥‥」などと考えてしまうというのだとか‥‥(笑)

岡崎選手は当然ながらサッカーが好きで頑張っているのですから試合前はワクワクした気分になるものなのではないかと思っていたのですが、実際には試合前になると非常にネガティブな気分になってしまうということのようです(笑)

そしてこのように岡崎選手は非常にネガティブな性格として知られているのですが、彼はあまり自分に自信がないようでサッカー選手としての実力以外の部分でも非常にネガティブな言葉を並べているのですね。

例えば彼は自らに関して「大一番に弱い」「プレッシャーに弱い」「華がない」「顔が悪い」などというふうに語っているのですが、岡崎選手はここまで自分の弱点とハッキリと向き合っているのです。

確かに人間である以上は誰もが完璧とはいかないためこのような欠点は誰もが持っているものなのではないかと思うのですが、それでもこのように自らの弱点と真正面から向き合えるという方はあまりいないのではないかと思うのですね。

そしてこのように彼は自らの欠点と真正面から向き合っているのですが、それでも彼はこのような欠点が原因で「自分のことが嫌い!」「〇〇さんのように生まれてきたかった!」などというふうには決して語っていないのです。

要は自らこれだけ自分の欠点を挙げ、そしてその欠点と向き合っているのですがそれでも決して彼は劣等感に苛まれてしまっているというわけではないのですね。

それでは一体なぜ彼がこれほどまでに自らに自信を持つことができていないにもかかわらず、劣等感に苛まれてしまうことがないのかということなのですが、私が思うにその理由は「欠点があるからと言って人間として劣っているわけではない」というふうに思うことができているからなのではないかと思うのです。

もっと言うと彼は自らを含めすべての人を「対等な存在である」というふうに思うことができているからこそ、自らの欠点が原因で劣等感などに苛まれてしまうことがないのではないかと思うのですね。

逆に自らの欠点が原因で強い劣等感に苛まれてしまうという方の多くは私が思うに「優れている人間であればあるほど価値がある」「人から称賛される人間であればあるほど価値がある」というような価値観を持っているのではないかと思うのです。

そしてそのような価値観を持っているからこそ特定の欠点が原因で強い劣等感に苛まれてしまうことになるのではないかと思うのですね。

例えば岡崎選手は自らに関して「顔が悪い」というふうに語っていたとのことでしたが、だからと言って彼は自分が「人間として劣っている」「人間としての価値がない」などというふうには思っていないことでしょう。

しかしここで仮に彼が『顔立ちが整っていて異性からモテる人間=価値がある人間』『顔立ちが整っておらず異性からモテない人間=価値がない人間』というふうに考えていれば、やはりこのような欠点が原因で強い劣等感に苛まれることになっていたのではないかと思うのですね。

大事なのは顔立ちや特定の能力、社会的地位や年収などを『人間としての価値』に結び付けて考えないことなのではないかと思うのです。

このようなものを『人間としての価値』に結び付け「優れている人間であればあるほど価値がある」という価値観を持ってしまうと自らの特定の欠点が原因で強い劣等感に苛まれてしまうことになるのではないかと思うのですね。

当然ながら我々人間は誰もが欠点もあれば他者よりも劣っている点があるのですから、誰もが自らにあまり好きになれない部分を持ち合わせていることでしょう。

しかし私が思うに大切なのはそのような欠点や他者よりも劣っている部分を『人間としての価値』に結び付けて考えないことなのではないかと思うのですね^^
 

 

皆さんのなかにも過剰な劣等感を感じており、「自分は価値のない人間なんだ」という思いに苛まれてしまっているという方が一定数いるのではないかと思うのですが、私が思うに強い劣等感を感じてしまう最大の理由は「他者を信頼することができていないから」なのではないかと思うのですね。

人間である以上は誰もが自分に嫌いな部分を持っており例えば「俺は自分の容姿が悪い」「俺は運動神経が悪い」「俺は度胸がない」というふうに感じているという方や「私はスタイルが悪い」「私は料理ができない」「私は汗っかき」というふうに感じているという方など、自らに何らかの不満を持っているという方は多いのではないかと思うのです。

人間である以上は誰もが完璧な存在とはいかないことから例え一芸に秀でていたとしてもやはり誰もが欠点を持っているのが当たり前のことであり、例えば運動神経は抜群であるものの頭が悪い、容姿が抜群に整っているもののスタイルが悪い、頭が良くお金持ちであるものの上がり症で女性とまともに話すことができない、など誰もが長所もあれば短所もあるのが普通なのではないかと思うのですね。

このように人間である以上は誰もが他者よりも劣っている点や欠点を持っているものだと思うのですが、大事なのは「誰もが誰も劣等感を抱いているわけではない」ということなのではないかと思うのです。

例えば現時点で劣等感に苛まれてしまっているという方のなかには「俺は運動ができないから劣った存在なんだ。もっと運動神経が良くなれば自分に価値を感じることができるようになるのに‥‥」というふうに思われている方もいるかもしれないのですが、それでは運動ができない人の誰もが誰も劣等感に苛まれてしまっているのでしょうか?

当然ながらそのようなことはなく、なかには運動神経が悪く運動が苦手であるけれどもそれでも自らにしっかりと価値を感じており、自分に自信を持って生きている方はたくさんいるのではないかと思うのですね。

これはどのような欠点を持っている場合にも言えることなのですが『欠点を持つ=劣等感を感じる』ということではなく、同じ欠点を持っていながらもそれが原因で劣等感を感じてしまうという方もいればまったく劣等感を感じないという方もいるのではないかと思うのです。

例えば「私は容姿が悪く異性からモテたことがなかった。だから私は価値のない人間なんだ」というふうに思われている方がいるのではないかと思うのですが、それでは世の女性のうち容姿が悪い女性の誰もが自らに価値を感じることができず劣等感を感じているのかと言えばそのようなことは決してないのではないかと思うのですね。

そのほかにも例えば「私はスタイルが悪いから‥‥」「俺は身長が低いうえに足も短いから‥‥」「私は生まれつきポッチャリしていて汗っかきだから‥‥」などという理由で自らに価値を感じることができないという方が一定数いるのではないかと思うのですが、大事なのは同じ欠点を持っていながらそれが原因で劣等感を感じるか否かは人によって変わってくるということなのです。

人間である以上は誰もが決して完璧とは言えないことから特定の欠点が原因で自らに不満を感じてしまうということは誰にでもあることなのではないかと思うのですが、それでもそれが原因で劣等感を感じるか否かは人によって大きく変わってくるということなのですね。

それでは同じ欠点を持っていながらもなぜそれが原因で劣等感を感じてしまうという方もいればまったく劣等感を感じないという方もいるのかということなのですが、私が思うにその最大の理由は「他者を信頼することができている人とできていない人がいるから」なのではないかと思っているのです。

私が思うに特定の欠点が原因で自らに価値を感じることができず強い劣等感に苛まれてしまうという方は他者を信頼することができていないからこそ、特定の欠点が原因で強い劣等感に苛まれてしまうことになるのではないかと思うのですね。

それでは『他者を信頼する』とは一体どのようなことなのかということなのですが、それが「他者は自分を無条件で愛してくれる存在である」というふうに考えるということなのです。

人間である以上は誰もが欠点を持ち自らに不満を抱いていることだと思うのですが、それでもそれが原因で強い劣等感に苛まれることがないという方は「自分は愛されている」という認識を持つことができている方なのではないかと思うのですね。

そして例え欠点があったとしても、他者よりも劣っている部分があったとしても「自分は愛されている」という認識を持つことができているからこそ強い劣等感に苛まれることもなく自らに価値を感じることができるのではないかと思うのです。

その一方で自らに価値を感じることができないという方は「優れている人間しか愛されない」「自分のような劣った人間は愛されない」という認識を持っているのではないかと思うのですね。

要は人間として優れている人しか価値がなく愛されないと思っているからこそ特定の欠点が原因で「自分は誰からも愛されないんだ」「自分はこの世界の片隅でひそひそと生きていく存在なんだ‥‥」というふうに強い劣等感に苛まれてしまうことになるのではないかと思うのです。

大事なのは他者が自分のことを愛してくれる存在であるというふうに認識することであり、そしてそれが他者を信頼するということなのですね。

他者を信頼することができていないと「優れている人間しか愛されない」というふうに考えてしまうことになることから、特定の欠点が原因で自らに価値を感じることができず強い劣等感に苛まれてしまうことになると思うのです^^

 

最近はニュースの多くがコロナウイルスの話題で持ちきりとなっているのですが、そのなかの1つに堀江貴文さんと餃子屋の騒動というものがあるのではないかと思うのですね。

なんでも堀江さんは2名の友人と広島県内にある餃子屋に餃子を食べに訪れたというのですが、その餃子屋は堀江さんたち一行の3名のうち1名がマスクをしていないことを理由に彼らの入店を拒否したというのです(マスクをしていなかったのは堀江さんではなく友人のうちの1人だったそうです)。

そしてその後堀江さんとその餃子屋は口論となり、結局堀江さん一行はその餃子屋で食事をすることができなかったというのですが、この一件が堀江さんのfacebookにより公表されたことにより大きな話題になっているというのですね。

今回は記事ではこの件に関して見ていきたいと思うのですが、まず気になるのは堀江さんと餃子屋とでは主張がまったく違うということなのです。

前述したようにこの一件が公のものとなったのは堀江さんのfacebookによってなのですが、堀江さんの投稿によると餃子屋の対応は非常に悪いものであり、どう考えてもおかしいものであるというのですね。

堀江さんは2名の友人と共に餃子屋を見つけその餃子屋に入ろうとしたのですが、その際「マスクを着用していない方は入店することができません」というふうに断られたというのです。

そして堀江さんの投稿によるとその際に堀江さんは決して怒ったりも語気を強めたりもせずに丁寧に「どの程度マスクを着用していなければならないのですか?」というふうに尋ねたというのですね。

要は「マスクを着用してください」とは言われてもどう考えても食事の際にはマスクを外さなければならないことから、食事中にどの程度マスクを着けていなければならないのかを訪ねたということなのです。

食事をしている最中はずっと外しておいてもいいのか、それとも餃子を一口口に入れるたびにマスクを着け直し、食べ物を口に運ぶ瞬間以外はずっとマスクを着けていなければならないのか、ということを尋ねたのではないかと思うのですが、堀江さんによるとこのように尋ねても店側は「うちはマスク未着用の方は入店できません」と一点張りだったというのですね。

そしてその後も議論が進まず店側の一点張りの主張に頭を悩ませていると、奥から店主のような方が現れてきていきなり「ホリエモンか?」と言われたというのです。

堀江さんは店主が現れたことによりもう一度同じように尋ねたというのですが、結局その店主もまったく話が通じず最終的には「面倒くさいから入店しないでくれ!!」というふうに言われ入店することができなかったというのですね。

このようにして見るとこの話は堀江さんではなく餃子屋の店主のほうがどう考えても悪いということになりそうなのですが、あくまでここまでは堀江さんの主張となっていることから餃子屋の主張とは異なったものとなっているのです。

それでは続いては餃子屋の主張について見ていきたいと思うのですが、残念ながら同店の主張は以前はブログで見ることができる状態となっていたようですが、現在(2020年10月5日)はその記事が非公開となっており見ることができない状態となっているためブログに綴られている主張はほとんど分からない状態となっているのですね。

そのため現時点で集められる情報だけをもとに考えてみると、餃子屋は堀江さんとの騒動後、情報系番組『グッとラック!』の取材に応じたとのことで、同番組では堀江さんに関して「クレームを付けに来た人としか思えない行動ばかりをしていた」「(堀江さんに)声を荒げられたため店内から『堀江さん?』と聞いたら、『今堀江は関係ねぇだろ!!』と言われた」などと主張しているというのです。

また現在は閲覧できない状態となっているようですが、堀江さんとの騒動が起こった際には店側は堀江さんに関してブログで「タチの悪いクレーマー」と書いていたというのですね。

そのような経緯から考えるに堀江さんの主張からはまったく読み取れないものの、店側からすると堀江さんの振る舞いは相当酷いものとして映っていたということのようなのです。

まぁこのように堀江さんと餃子屋ではまったくと言っていいほど相手に対する意見が食い違っており、堀江さんの主張を聞くと間違っているのは店側であり、店側の主張を聞くと間違っているのは堀江さんのように思えるのですね^^;

そして我々のようにまったく関係のない部外者に関してはこれ以上は知ることができないのですが、それでもこの騒動を受けて店側は休業することを発表したとのことなので店側には大きなダメージがあったということなのでしょう。

堀江さんとの騒動があった餃子屋は店を一般人から特定されており、そして同店に多くのいたずら電話がかかってきていることから店側は電話の着信音を切ることにしたというのですが、そのせいで予約や注文なども受けられなくなってしまったことから休業することを決断したというのですね。

まぁこのように堀江さんの振る舞いは店側に大きな影響を与えたということになるのですが、個人的には店側の主張に1つだけ気になることがあるのです。

それが「堀江さんがこちらが提示するルールを守らなかった」というふうに主張しているわけではないということなのですね。

確かに店側が主張するように堀江さんがタチの悪いクレーマーのような振る舞いをしていたというのであれば堀江さんが店側から追い返されるのは仕方がないことだとは思うのですが、それでも私が気になるのは店側は堀江さんの態度に言及するばかりで、堀江さんの主張に関しては一切語っていないということなのです。

仮にここで堀江さんが「お前ら店側の主張なんて知らねぇよ!!俺たちはマスクなんか着けずに勝手に入らせてもらうからな!!」というふうに店側の主張を一切無視したため店側が彼らを追い返したというのであればその店側の対応には納得なのですが、実際に現時点で集められる情報を集めてみても堀江さんがそのような振る舞いをしたという情報はないのですね。

そして店側の主張によると店主の視点からは堀江さんが悪質なクレーマーのように見えたというのですが、それも堀江さんの主張が正しいからこそ堀江さんのほうが怒っていたというのであれば決して堀江さんは『タチの悪い悪質なクレーマー』などということにはならないことでしょう。

仮に堀江さんが店側の主張を無視して「お前らの言うことなんて知らねぇよ!!」と言い店側に強引に押し入ったというのであればそれは問題かもしれないのですが、そうではなく店側の主張と食い違い口論になっていただけだというのであれば決してそれだけで『悪質なクレーマー』とはならないことだと思います。

また店側は堀江さんたちに対して「お店はマスク未着用の方は入れません」というふうに主張されたというのですが、この主張そのものは正しいものだと思うのですね。

もちろん食事をするお客さんが餃子を口に運ぶ際にはマスクをとることになることだと思うのですが、その一方で例えば複数人で来店して他の方と色々話をする場合には『食事が来る前』と『食事が終わった後』はマスクを着けたほうがいいことでしょう。

やはりマスクを着ければ自分から他者へとウイルスをうつしてしまう可能性が減るのですから、きちんと着けたほうがいいに決まっているのですが、おそらく同店もそのような主張でマスクを未着用の方は入店できないというふうに主張されたのではないかと思うのですね。

そして堀江さんもそれが分かっているからこそ決して「俺たちはマスクがなくても入る!!」というふうに主張されたのではなく、「どの程度マスクを着けておけばいいんですか?」というふうに尋ねたのではないかと思うのです。

この「どの程度?」というのは分かりにくい表現となっているかもしれないのですが、要は食事をするにもかかわらず店のなかでずっとマスクを着けるなど不可能であることから、どのタイミングでマスクを着けておかなければならないのかということを聞いたのではないかと思うのですね。

極端な話餃子などの食べ物を口に運ぶ際以外はずっとマスクを着けていなければならない、すなわち食べ物を口に入れた瞬間だけはマスクを外し、その後口に入れてからはすぐにマスクを着け、マスクをした状態で咀嚼しなければならないという状況であれば非常に煩わしいことでしょう。

そして店側からそのような要求をされたとなれば「美味しそうだけど面倒だから‥‥」という理由で彼はこの餃子屋で食事をするのではなく、同店に来るのはコロナ騒動が明けてからにしようと思ったのではないかと思うのですね。

まぁこれはあくまで私の予想なのですが、仮に堀江さんがこのように主張されたというのであれば決して彼の主張は間違いではなく、聞くべきことだったと考えてもいいのではないかと思うのです。

もちろん店側から「マスクを着けなければ入ることができません」と言われたのであればしっかりとマスクは着けるべきだと思うのですが、彼はなにも「マスクを着けない!!」と主張したのではなく「どの程度着けなければならないのか?」と聞いただけだというのですね。

そして堀江さんと店側の主張には食い違いがあるもののこの堀江さんの主張が本当に正しいものだとすれば、個人的には堀江さんの姿勢はそれほどおかしいものではなく別に間違ったものではないと思うのです(とは言え大半の方は彼のように質問するのではなく言われたとおりにマスクを着けるのでしょうが‥‥^^;)。

今回の堀江さんの振る舞いに関して批判の声が上がっている理由の1つとして堀江さんが「マスクを着けない!!」と主張したのではないか?と思われている方が一定数いるからではないかと思うのですが、実際には堀江さんは決して「マスクを着けない!!」と主張されたわけではないということなのですね(あくまで堀江さんの主張をもとに考えた場合です)。

そして店側は堀江さんに関して「悪質なクレーマーのようだった」と主張されているというのですれば、実際にはその肝心の『クレームの内容』が分からないことから店側の主張に関してはそれほどよく分からないのです。

仮に堀江さんが店側に対して「なんでマスクなんて着けなきゃいけねぇんだよ!!」というふうに食ってかかったというのであればそれはおかしいということで入店禁止にするのが正しいことだと思うのですが、実際にはクレームの内容がよく分からないのですね^^;

ただ我々が理解しておかなければならないのは決して堀江さんは「マスクなんか着けねぇ!!」と主張されたわけではなく、「店内ではどの程度マスクを着けていなければならないのか?」というふうに聞いたということなのではないかと思うのです。

堀江さんの主張を見ても店側の主張を見ても決して堀江さんに関して「マスクを着けようとしなかった」「マスクを着けないまま店内に入ろうとした」などという主張が書かれているわけではないのですね。

そのような経緯から考えるに個人的には堀江さんの振る舞いはそこまで間違ったものではないことだと思うのですが、皆さんはどう思われたでしょうか?

個人的には店側の主張が詳しく分からない限りはどういいようもないのですが、それでも個人的には堀江さんの主張はそこまで間違ったものとも思わないのですね^^;