子供の頃から悪ガキであったKenだが、当然といえば当然だが、思春期を迎えた。
中学に入学したKenちゃんは、野球部に入部した。当時のクラブ活動の華と言えば野球部である。Kenちゃんは、「野球部に入れば、女の子にモてるだろう。」と、普通の悪ガキにありがちな、淡い幻想である。
僕は独身なので、今はどうなっているのか知らないのだが、当時の新入部員は野球部員とは言え、球拾い専門である。「オエー!」だか「ホゲー!」だか分からないが、と言うより、日本語として聞き取れない声を張り上げながら、いつ飛んでくるか分からないボールを待ち続けるのである。ハタから見ればバカ丸出しかアブない人の集団である。
数週間経ったある日から、Kenちゃんは練習に行かなくなった。その頃の中学校は、「課外」と名前は付いているが(普通、課外というのは、「任意参加」という意味である。)、加入が義務付けられていた。しかも「スポーツ系クラブ」限定で。まあ、今にして思えば、おかしな制度である。スポーツの得意、不得意に関わらず、強制的に参加させるのである。スポーツが苦手、嫌いな人にとっては、劣等感しか感じない場所であり、苦痛以外の何物でもないのである。Kenちゃんと出身の学校は違うのであるが、僕が通っていた学校も強制参加であった(僕もスポーツが苦手だったので、クラブ活動には行かなかったが、近隣の学校とは違い(公立ではなかったので)、自由な雰囲気があったため、全く問題にならなかった。)。公立ではないので、校区も無く、入学試験に受かれば、何でもOKという学校で、同級生に生まれたときの病気が元で、歩行が困難な奴がいた。その彼にさえ参加を強制させていたのである。もっとも、僕と同様サボり専門であったが、一般の公立校だったなら、おそらく彼は特殊学級に強制的に入れられていただろう。
話は脱線したが、Kenちゃんが行っていた学校は、普通の公立学校だったので、クラブの参加に関しても非常にうるさい学校であった。Kenちゃんがクラブ活動をボイコットした事を問題視したクラブの顧問の教員が、Kenちゃんを呼びつけ、
「なんで、クラブに出てけーへんのや?そんなんでえぇと思っとるんか?」
と、怒鳴りつけた。
普通の子なら、「すんません。明日から出ます。」と屈服するか、「体調が悪いんで。」とか言い訳をするのが普通である。しかし、Kenちゃんは普通ではなかったのである。
「ほな、レギュラーにしてくれるんけ?レギュラーにしてくれるんやったら出たるわ。」
と答えたのである。
呆気にとられた顧問の教員は、
「勝手にせぇ!」
と、捨て台詞を吐き、立ち去ったそうである。
中学入学後、わずか数週間で教員に捨て台詞を吐かせたKenちゃんは、後日、ますます問題児化していくのであるが、その時点でその教員どころかKenちゃん本人でさえ知る由は無かった。
その事は職員会議で、大問題になったそうである。
このまま退部させて、どこのクラブにも参加していない状態を作れば、第2、第3のKenちゃんが発生しかねない。どこかのクラブに参加させなければ。という話だったそうなのだが.....
Kenちゃんは、練習もさせてもらえない球拾いが嫌でクラブへの参加を拒否したのである。
つまり、その時点でスポーツ系クラブの参加はあり得ないのである。当時の学校は、個人の権利は完全に無視され、秩序こそが大事という空気があった。他のスポーツ系のクラブに入れた所で、結果は同じであり、やはり第2、第3のKenちゃんの発生を恐れた教員は....
特例で文化系クラブへの参加でOK
という答えを出したのである。しかし....
どのクラブで面倒を見る?という話になった。人間の本質は怠け者で、しなくても良い苦労など、したくないものである。ましてや、入学早々、教員に捨て台詞を吐かせる学生の面倒など誰も見たくはないのである。当然と言えば当然だが、押し付け合いだったそうである。
どういう経緯で決定されたか分からないが、結局、彼に一番似合わないクラブ...
吹奏楽部に決まったのである。
楽譜が読めなかったKenちゃんは、当然拒否した。しかも、吹奏楽は団体競技なので、おいそれとサボれないのである。Kenちゃんにとっては最も不向きなクラブである。
そして教員が一言。
「オレも辛いんや。我慢せ~。」
Kenちゃんは、やはりその一言にムカついた。しかし、次の一言で、そのムカつきも吹っ飛び、二つ返事で入部してしまったのである。
「まあ、女の子はぎょうさんおるからな。」
そう、彼は
現金なガキ
だったのである。
責任感のカケラも無い彼は、その後、練習そっちのけで女の子と遊びまくっていたそうである。
顧問の教員も完全にサジを投げていた事は言うまでもない。