「正論」はいつからプラスイメージの言葉になったのだ? | マスコミが伝えない大熊真春の真実

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「正論」という言葉がある。

 

「正論を振りかざす」

「それは確かに正論だけど現実的には」

「あの人は正論を言うばかりで全くわかっていない」

 

のように、「正論」を言う人はその場面ではマイナス評価されるものだった。

 

「正論」とは、現実を考慮に入れない机上の理想論のことである。

 

そのようにマイナスイメージの言葉で「正論」を私は見てきた。

 

ところが近年、特にネトウヨ界隈で、

「Aさんのほうがが正論、ゆえに正しい」

「Bは正論。だから絶対。」

と、直接「正論」を「絶対の正義・真理」として評価する用法が目立つようになった。

 

右派言論誌にまさしく「正論」という誌名の月刊誌がある。

(自分から「正論」と名乗っちゃうのってセンスがおかしいよなぁ)

と思ってきたのだが、これはポット出の雑誌ではない。

1973年創刊、それなりの歴史がある。

創刊者たちはどういうつもりだったのだろう。

「批判に甘んじ、恥を忍んで理想論を訴える!」とか?

「空理空論をスタートとして議論を現実に広げよう」とか?

 

でも少なくともネトウヨ界隈の人たちとか現代の「正論」誌は

「現実の分かっていないブサヨのアタマはお花畑。

現実はこうだ、これこそ正論!」

のように、「正論」のほうが現実を踏まえているかのように言っているように見える。