ここにサンドイッチがある。
 
 
どこにでもある、何の変哲もないサンドイッチだ。
 
一つはハム、一つはたまご、そしてもう一つはポテトサラダ。
 
 
まずまず無難なカルテット。
 
どうやらツナは選考から漏れたらしい。
次に期待したい。
 
話を戻す。
 
ここにサンドイッチがある。
 
もし、最初に何を食べるのかでその後の人生が変わってくるとしたら、
最初に何を選ぶだろう?
 
 
好きなものから食べるのか?
それとも好きなものは最後にとっておくのか?
或いは消化のよい順、
どれが消化がよいのかを別途検証する必要はある、
若しくは他の理由の順番から食べるのか?
 

いずれにせよ、
その食べる順番でその後に起こるすべての事象が、
徐々に、
確実に、
決定的に、
否が応でもなく、
変わってくるとしたら、
 
 
僕は最初に何を選ぶべきなのだろうか?
 
 
 
 
①「自殺が増加、、、」
②「連続無差別通り魔、、、」
こんなニュースを目にする頻度が多い。
 
 
そしてマスコミはその理由を
この閉塞的なご時世や社会の所為にする。
 
 
これは一見当たっていそうで、
実はそうではなかったりもする。
(少なくとも自分はそう思う。)
 
 
「自殺するのが流行りなら、長生きするのも流行り」
ミサイルマンという歌の1フレーズ。
僕の好きな歌詞の一つだ。
 
 
そう、流行。
①や②は明らかに感染、流行り、すなわち連鎖なのだ。
マスコミが大々的に報道すればするほど、今後も連鎖していくだろう。
 
では①、②を減らす方法は何か?
答えは簡単。
 
報道しなければいいのだ。
 
昔、ヨーロッパのある国で自殺がまさしく“流行”した。
そしてその自殺対策として何をしたかというと
国はマスコミと協定して自殺の報道を制限した。
すると自殺は減少した。
という実例がある。
 
自殺についての報道は特に、
遺書やその方法を報道すると
それを“真似る”人が増える、
すなわち連鎖するのだ。
②も同様のメカニズムで連鎖するのだろう。
 
報道制限なんて表現の自由の侵害だ。
断固反対だ。
そんな意見がメラメラと吹きあがるだろう。
 
もちろんその通りで
①はできても(報道する内容を工夫するとかで)
②については与える社会的影響の大きさを考えれば報道制限なんて難しいだろう。
すなわち②はとめられない連鎖なのかもしれい。
 
 
Q:じゃあどうすればよいか?
 
A1.景気をよくする
→うーん、時間かかりそう、、
 
A2.社会をよくする
→抽象的すぎるし、どうにかならんかねえ?民主党ではまだまだ難しい、、
 
 
Q2:じゃあどうすればよい?
 
僕はこう思う。
 
負の連鎖には正の連鎖を。
 
つまり正しいこと、ほっこりしたこと、Happyなことをもっともっと報道する。
 
タイガーマスクのランドセル寄付の記事なんて素晴らしい。
 
もっともっと「幸福新聞」(なんか宗教の新聞みたいだけど)的なニュースを垂れ流す。
もちろん事実のもの。
 
誰かが誰がを助けました的な
どこどこ小学校が落書き掃除をしました的な
どこどこのセブンイレブンの寄付金がすごいことになってる的な
まるまる線の列車内でA君がおじいさんに席をゆずりました的な
 
年1回の偽善チャリテイ番組とかじゃなくて、
毎日少しずつでも、小さくてもいいからたくさんのHappyを連鎖させる。
 
こんなでどうでしょう?
 
 
と、
ふと思った寒の入りの夜だった。
 
 
とても久々の投稿がこれとは。
我ながら寒い。
まあいいのだ、
寒の入りなので。
 
 
 
 
 
動くとするか
 
 
 
 
 
 
 
from 大仏