私は努力できない

1.努力も才能のうち?_part1

 

自分の性格が嫌いだ。

 

そのひとつに将来の計画を立てるのが苦手なこと、がある。

 

小さい頃から目標ってないし、「将来の夢」なんてもってのほか。(憧れたことはあるけど、夢なんてたいそれたものではない。)

理想は高いくせに、何かを始めても三日坊主。「これやるぞ!」って意気込んだものの、とてつもない気分屋の自分が顔を出し「まあ明日でいいか」と、ほとんど続いたためしがない。

 

「努力」って小さい頃から死ぬほど聞いてきた言葉だけど、大人と言われる年齢になってみてそれが一番難しいことに気がついた。

 

学生の頃までは、勉強はやればある程度できたし、運動も得意、裁縫も絵を描くのも、やってみると出来る方だった。何かを一生懸命続けることがなかったので、それ以上に上達することはなかったが。器用貧乏の典型。(気づいていなかっただけで小さい頃から本質は変わっていないのだろうな。)

 

ただ、大学受験だけは、自分が「今までの人生で最後に努力したとき」と言っても過言ではない。本番と運に強く、第一志望に合格した。

将来これになりたいとか全く考えてなく、好きだった歴史や文化について学びたいと思った。

学生時代までは、これで問題なかったのだ。

 

 

困ったのは、就職活動が始まってからだ。やりたいことがない。さあどうしよう。

 

 

無力な自分に嫌気がさしながら、そんなこんなで、なんとか社会人1年目、銀行に入社。

 

怒涛の顧客対応に疲弊する毎日。

自分が、繊細でネガティブであることを、初めて知った。(これまで自分のことを本気でポジティブ思考だと思っていた。)

 

 

営業に配属された時には、2ヶ月で吐き気がするようになった。

 

幸い周りの方々に恵まれ、相談を真摯に聞いていただき、融資課に係替えすることができた。

好奇心は旺盛な方なので、新しいことを覚えることは苦ではなかった。飽き性だけど。

 

融資担当になってからは、穏やかな仕事生活を送っていた。が。

銀行では資格をたくさん取らなければいけないのだが、興味のないことは一切頭に入ってこないのだ。やる気も出ない。

元々、興味があるという理由で入社したわけではなかったので、でしょうねという感じではあるが。

 

母に相談すると「私はやるべき課題に対して「そういうもんかな」と思って、出来る方だからな〜」とのこと。(いいな)

 

さらに仕事では、注意不足でミスをしまくる自分をいちいち責め、自分は社会的に仕事ができる方ではないと徐々に実感し、後輩の方が仕事ができることを羨み、じわじわと、じわじわと、この空間にいることがしんどくなってしまった。

(特段努力もしないくせに、自分の仕事の出来なさに嫌気がさしているあたり、本当に理想主義で自分は「なんでもできる」と思い込んでいたのかも。ネガティブなのに謎の自己愛だな。)

 

 

パートナーにも何度も相談し、1年くらいかけてやっと辞めることを決意した。

入社から3年半で、初めての社会人生活に幕を閉じた。

 

 

 

2.努力も才能のうち?_part2

 
「辞めたら旅行に行きまくるぞ!!」とルンルンで仕事を辞めたので、次の計画などなかった。
3年半頑張ったのだから、少し休息したい、社会から遠ざかりたいの気持ちでいっぱいだった。
辞める前から、Webデザイン系は気になっていたので、挑戦してみようかなどうしようかなと思ってはいた。
 
3ヶ月ほど、お金の計画もせず遊びまくったせいで、お金がなくなった。(あほ)
仕事辞めて初めて気づいたけど、生きてるだけでこんなにお金ってかかるの、とびびった。税金高すぎ。
 
 
ずっと頭の隅にいた、職業訓練に通うこと。やっと応募してみようと重い腰を上げた。
面接は無事通った。
 
いつもそうなのだが、最初はめちゃくちゃやる気に満ちているのだ。
説明会を聞いて、「よし!これが第一歩だ。これからコツコツ勉強してスキルを身につけるぞ!」と。
 
その意気込みは、三日と持たない。
家に帰ると、のんびりしてしまい「まあ明日から頑張ればいいか」と布団にくるまってしまう。
「おい、職業訓練の復習は?」と。わかっていながら先延ばしにしてしまう。まあこれも小学生の頃からだ。
 
最近知ったのだがこれを「現在性バイアス」というらしい。
 
さて、ここでも大した努力もできずに5ヶ月の訓練を終えて、1ヶ月の就活。
Webデザイン系で未経験OKのところは、よく見ると「人材系」で、最初はコールセンターに行かされるものばかり。まともなところは書類がなかなか通らない。なんとか、契約社員で1社内定をもらった。
 
 
人数が少ないベンチャー企業で、前とは雰囲気も全然違い、自由度が高くて新鮮だった。
 
しかし結論から言うと、3ヶ月で切られた。
スクールに通う前提で内定もらったはずだったが、「長期で育てる余裕がない」と言われた。(あれ?)
 
でも、個人的に環境が合わないかもと感じており、2ヶ月たったところで感情を失いかけていたので丁度良かったということもあって、契約終了を受け入れた。本当のところは、見込みがなかったからか、仕事ができなさすぎたからか、単純に社風に合わないと思われたからと思っている。経営が微妙なのもあるかもだが。
 
本当に実力主義で、短期間で成果を求められる環境だった。
でもここでも、私は努力してスキルを上げようとできなかった。しなかった。努力ができない人間だと悟られたのかもしれないな、とも思っている。
 
 
 
デザイナーになりたいかもという久々にできた目標を、諦めた。
正確には、契約が終わるとわかった時、「やっぱりな、自分ってこんなもん。できるわけがない。」と思って、その時は諦めようとした。
 
世間から見たら、え?諦めるの早くない?と思うかもしれない。
 
でも、昔からどうせ無理、と「諦め癖」があるのだ。自分に期待していないくせに、自分には「まあやればなんでも、ある程度できるしな」みたいな根拠のない自信?がある。
 
「もう諦めた」「いや、何も努力していないのに諦めていいの?」「まだ諦めるのは早い」「いやでも、自分にはそこまでできない」「いやでも」と葛藤していた。葛藤している間になんかやれよ。面倒くさいやつだぜ。
 
 
 
新年を迎えてもうすぐ1ヶ月が経とうとしている。(←NOW)
「とりあえず一旦、今は諦める。」の方に傾いたところだ。
Webデザインを目指すためのポートフォリオを作るという「努力」ができないと判断したからだ。
あと今年は何かとお金が必要なのだ。
 
 
「努力」ってどうやったらできるの。
 
色々書いておいて、ふと、「努力すればするほど叶うもの」と思ってしまっているのでは?と思った。
本当は、どちらにせよ結果なんてわからない。
 
「努力をしたのに叶わなかった」という自分が傷つく状態になりたくないから、「努力」ができないのではないか?
自己防衛心の最上級行っちゃってるのでは。
 
「叶わなかったけど一生懸命やり切った」の方が、自己肯定感上がりそうなのにね。
「叶うかもしれない」のにね。
 
というかそもそも「努力」っていう言葉がデカすぎるのでは。何かをコツコツ頑張った先に、結果的に「努力した」という事実が待っているのではないか。
努力できる人は、「さあ!今から努力するぞ!」と思っているのではなく、「できることから一生懸命やった」結果、「努力家」と言われる人になるのでは。
 
考えすぎて意味わからんくなってきた。
 
何せ、「努力できる人」も「努力はしないけど目の前のことをこなせる人」も、「毎日仕事に行ってる人」や「少しでも何かを続けられる人」も、みんなが輝かしく見える。
 
どうしたいの自分。もう少し頑張れよ自分。