おはようございます。

 

食のチカラを使いこなし、自らの夢を叶える子どもたちを育成する

食べトレⓇインストラクターの よしだたみえ です。

 

今日もお忙しい中

ブログにお越しいただき、ありがとうございます。

 

 

昨日に引き続き、被爆を食事で乗り越えられたかた

をご紹介しますね。

 

 

その方のお名前は、平賀佐和子さん。

 

当時9歳だった佐和子さんは、

学校の校庭で遊んでいて被爆されました。

 

 

B29が飛んできて、しばらく見ていたら

ピカッと太陽中に入ったようにすべてが光り、

気づいたときには、爆風で飛ばされていて、

頭、髪、まつげも出ているところは全部直射で焼け焦げて、

足の裏もやけどした状態だったそうです。

 

 

お母さんの懸命な手当ての中、あまりの苦しさに

「死にたい、殺してくれ」

といったほどだったとか。

 

 

それでもなんとか命をつなぎ、

原爆の炎から逃れているときは

本能的に無性に梅干が食べたくなり、お姉さんやお母さんの

分までお願いして梅干を食べていたそうです。

塩分をとった分、お水もたくさん飲んだそうです。

 

 

20歳になるまでに、体のあちこちにできた

ケロイドは良くなったけれど、ケロイドが消えてからも、

診察に行けば、血液検査で引っかかってばかりで

髪が全部抜けたこともあるそうです。

 

 

その後も原爆症のことがずっと心に残り、

結婚はしないと心に決めていた佐和子さんは、

その後、玄米採食に出会われます。

 

 

もともと玄米をすすめてくれた今のご主人の勧めで

マクロビオティックの創始者である桜沢如一先生に

会いに行かれ、

 

 

そこで、桜沢先生に、

「玄米とゴマ塩」といわれ、

一か月間この2つのみをとって過ごされたそうです。

10日目くらいで、生理でもないのに黒い血が下りてきたときには

ご主人に相談されたんだとか。

 

 

その後は、お味噌汁とおかずを少しとって、

顔のボツボツもすっかりきれいになったそうです。

 

 

その後佐和子さんは結婚され、7人の子どもにも恵まれました。

子どもも玄米食で育てるために、

小学校の給食は断ってお弁当を持たせていたとか。
現在は孫14人という大家族に恵まれ、

元気に過ごしていらっしゃるそうです。

 

 

その後も、食事の勉強を続けられた佐和子さんは

自然食料理研究家として、書籍も出されています。

『自然食あらかると』(新 泉社)

 

 

「梅干しと水」「玄米とゴマ塩」。

体の声をきいて、これと決めたものを信じて続けた結果、

被爆を乗り越え、たくさんの家族に恵まれた佐和子さん。

 

自身が食事で救われたからこそ、

伝える側に立たれたことも

とても共鳴できるお話でした。

 


 

最後までお読みいただきありがとうございました!
 

食べトレ®️インストラクター
よしだたみえ

 

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