猛暑の最中の8月8日午前に、マウンテンバイクで久しぶりに自宅近郊の
養老川沿いの道を走りました。
前回の記事では、周辺の地図を載せてルートの最初の橋に当たる「霞橋」までの
様子を見ていただきました。
本日は二番目の「廿五里(ついへいじ)橋」までの間で見た情景を紹介します。
百日紅(さるすべり)の花 8月8日に撮影
大きな木で見応えがありました。百日紅と書くだけあって、花期が長く、近寄って
花をよく見ると老化した花が多かったです。7月から咲いていたのでしょう。
養老川沿いの道から外れて梨園に来ました
梨の実 「幸水」と「豊水」がよく作られ、今の時期は「豊水」だと思います
市原は市域が広く、養老川沿いにたくさんの梨園がありますが、千葉県内では
一番ではなく、市川市や船橋市が上位で多分三番目か四番目でしょう。
昔より鳥害がひどくなっているようで、梨畑全体をネットで厳重に囲っています。
この梨園は比較的撮りやすかったですが、他は撮れませんでした。
二番目の廿五里(ついへいじ)橋際で見た伐採した梨園
ここは上部にネットを架けていなかったので、花や実をいつも撮りに来ていました。
よく見ると枝を支える針金が低い位置に張られていて、新しい品種の苗木を
これから植えるのではないかと思いました。
空色の橋桁が廿五里(ついへいじ)橋で、その上は高速の館山自動車道の橋です。
反対側の梨園と稲田 前回載せた稲田より田植えが早くて穂が黄色です
廿五里(ついへいじ)とは珍しい地名ですが、鎌倉からの距離を示しています。
房総は源頼朝と縁が深くて、石橋山の戦いに敗れて海路を安房へ逃れた頼朝は、
体制を立て直して房総半島を北上し、平家の政権を倒して鎌倉幕府を開きました。
養老川の向こう側に大分県の宇佐八幡宮の分社が今も立派に存続していて、
源頼朝はこの社を信奉し、この地域に愛着を持っていたことでしょう。
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