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岩戸五番
 初めての本格的な夜神楽で、目新しいことを多く見聞したためか、昂ぶって深くは眠れなかった。目を覚ますと四時で、上の方から相変わらず神楽囃子が聞こえていた。戻ってみると廿一番の舞が始まったところであった。高千穂神社と順番がかなり違っていて、廿一番岩潜り、廿二番七鬼神である。これらが終わったのが五時過ぎであり、空が白み始めていた。

神楽舞なほ十余番残しゐて白みくるなりひむがしの空
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 岩戸五番が始まったのは七時半で、この頃になると一度は半減した観客が増え始めた。やはり夜神楽終盤の山場であり、地元の人だけでなく、寝に帰った宿泊客たちもタクシーで駆けつけて来た。
 柴引き以降の五番に伊勢が付け加えられて、六番でも岩戸五番と呼んでいる。ある時期に天照大神を祀る伊勢神宮への信仰が高まり、このようになったと聞いた。いずれも時間は十分から二十分と短い一人の舞で、その地区の舞上手が起用されるようである。それぞれの舞については、その後に訪れた他の地区と比較しながら、あとで詳しく述べることにする。
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  雲下し
 上田原では岩戸五番の最後の舞開きが終わると、繰下し(注連引きとも呼ぶ)と雲下しの二番を残すだけになった。まず四人の舞い手が、外注連の中央の竹柱から引いた四本の麻の紐をそれぞれ持ち、神楽歌を合唱しながら舞って神を送り出す。この地区では竹柱を縛っていた紐をゆるめておき、舞い手が最後に竹柱を神庭側へ引き倒してしまい、その際に付けてあった色幣を外して観客に渡す。これを家の神棚に飾ると、家内安全がはかれると、地元の人たちで奪いあう状況だったので、欲しかったが遠慮した。
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 最後に長老達が、天蓋を吊っている紐を持ちながら、雲下しの舞をした。天蓋を激しく振ると仕込んであった紙片が紙吹雪となって大団円を迎えた。

「雲下し」のフィナーレ果ててまさをなる天へ神々帰り給へり
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すべてが終わったのは九時半だった。神楽宿の主人や舞い手の人たちにお礼を言い、帰途についた。国道へ下りる段々の田に降りた霜に、あらためてその朝の寒さを実感した。

舞の果てて満ち足りて去る神楽宿めぐる棚田に霜の真白し
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高千穂夜神楽の紹介シリーズの第1回はこれで終了します。
他の記事もありますので、しばらく間を開けて別の場所の夜神楽を紹介します。