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『野火』は今井正和さんの第五歌集で、2009年6月に砂子屋書房から出版されました。

著者略歴を見ると今井さんは私より一回り年下ですが、未来短歌会への入会は1987年と私より10年早く、若い頃から活躍されているベテラン歌人です。

2005年の春に北上市の詩歌文学館で、近藤芳美展が開催されました。記念講演のあった初日には多くの「未来」会員が集まり、今井さんとも初めてお会いしました。

懇親会で話し込んだ際に、私から書斎のある館山と周辺に、戦跡がたくさんあり、そのガイドを務めていることに触れました。

中学校の教師をしている今井さんは、戦跡に強く興味を持たれたようで、2007年に夏休みをやりくりして私の書斎に一泊し、赤山地下壕などを見学しました。

米兵がかつて上陸せし岸に佇めばカモメが舞いては降る

赤山の壕に覚悟の死を決めて何を守らん闇の中にて

敵機から銀にかがやく零戦を掩いし壕は荒れ畑の下

晴れわたる里見の城から富士見えてもののふの心遠くに見たる
この歌集では、中学校の教諭として生徒を相手に苦闘する後半が、俄然面白くなります。

作者は短歌を優先したためか、教師としてはクラスを持たない講師として、長年仕事をしていたそうです。館山の戦跡見学前に試験を受けて、2008年4月から私立の中学校でクラスを持って教えるようになりました。

一連の歌には現在の中学校の荒れている様子が描かれ、それに立ち向かう作者の姿が、言葉が多少荒っぽいところもありますが、如実に描かれています。

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いつの間にプランターの花蹴散らされ廊下に散らばる花弁の骸(むくろ)

ドア荒くこの教室に入りくる他クラスの子に授業乱さる

帰り来て想うは今朝の授業抜け逃げる生徒を追いかけしこと

或るときは心に牙を研いでいる獣と思う子供ながらも

今朝もまた不埒な奴らが幅利かすクラスに入る顔こわばらせ

この職にとどまる限り悪餓鬼の相手をしたまま老いてゆくのだ

今朝一人病欠となりし教員の報せに静まる職員室は

荒れるほど仲間は互いに声をかけこの学校に野火の輝き

他クラスの子が教室に居すわりて叱る間授業途切れる焦り

席立ちて教壇の吾の胸を押すこの子に異常な闇巣食うべし

授業時に廊下に群れる女生徒の顔に卑しき貧者の狡さ

自分らのクラスに戻れと言う吾を突きとばす子の顔に憎しみ

同僚が殴り合う二人を引き離す見ている吾に〈無力〉と誰か

昼休み悪の知識も無いような眼鏡の少女に呼ばれてうれし

うるさいと俺はそいつを指さして怒鳴りても聞かぬどうしようもなし

終業のチャイムに安堵する今日はいつもの士気を失くしたらしい

腰パンやピアスした奴らにとりまかれ胸ぐら掴む手は案外強し

平穏に過ぎしひと日の廊下から雷雨の後の西陽見ている

子供らが授業に騒ぐ心中を深く見とれぬ歯痒さ疼く

生徒らは朝会うたびに教師らを呼び捨てにする吾さす時も

どの子でも嘘つく裏切る増長す受け容れることは覚悟を要す

優しさは苦しみ悲しみ経た者と頒かち合うもの今にして知る

青年もいつかは髪が白くなるこの世の定めが鏡に映る

赴任してここの職場に突き刺した棒ではあるが根が生えてきた

素直かと思えば抗う生徒いて胸には清水と泥混じりあう

俺の顔キモイと喚く鞄にはラブちゃんホルダー ふっ、憎からず
新しい仕事についてからすでに3年近く経っています。
その後慣れてうまくこなしていると思いますが、家が遠いために歌会で会うこともほとんどなく、最近の様子は分かりません。

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歌集評は2010年5月以来です。この間にも贈呈の歌集がかなり溜まりました。
贈られた歌集は必ず読んでいますが、歌を抄出して評文を書くのにすごく時間がかかります。

そのためブログでは写真と小文で構成できるものに安易に流れてしまい、「歌集評」を再開するのが億劫になっていました。

今回は歌の抄出まで終っていたので、そのまま載せましたが、これからはその歌集のテーマになっている10首程度を選び、短文の評にするつもりです。

当ブログの一般記事は大分前からマンネリ化して来ており、最近は同じような記事を載せるのに嫌気がさしています。

今後はブログ名にそった歌集評・自作発表および蘭を含む園芸関係にもっと力を入れるように回帰して行きます。

仕事、作歌と歌会、蘭栽培と交友、館山の書斎生活といつも忙しくしており、ブログに割ける時間は限られています。以前にもやったことですが、コメントをいただかない形の記事が今後は多くなります。

昨秋の苦しい時に、訪問者の10万人超えで撤退することを考えていました。
しかしあっさりと超えてしまい、ヤフーのIDを持たない読者(多くは友人、知人など私が開発)が大勢来ていることもあり、今は何とか続けようと思っています。