ダイビングを始めようと思います。
今日、ライセンスを申し込みました。
ダイビングは前からやってみたいと思っていて、ちょうど良いタイミングかも知れないと思ったので、勢いに任せてライセンス取得の契約をしてきました。
繁盛期らしく、ライセンスを取得できるのは8月下旬になりそうだけど、楽しみです。
もうずっと悩んでいた事があり、昨日それに対する自分なりの答えを見つけました。
とても格好の悪い自分を人に見せ、でもそれは思ったより嫌な事じゃなく、終わった後はこれで終わったという安堵感に充たされました。
今は脱力感というか、やる気がまだ出ないけど、それでも前に進まないといけないのは分かってる。
事が終わった後、もうどうにでもなれ、という気持ちで夜の街へ飲みに出ました。
夜の街は、混沌としていて、自分もそれを構成する一部だと思えた。
何をする気も起きなくて、でも1人でいると気がおかしくなりそうだった。
同年代ならまず入らないようなうらぶれたパブに入って、年上の女と話をした。
自分の日常には全くいないタイプの人達で、その話は理解の範疇を超えている内容が多かった。
世の中には色々な人がいて、皆それぞれが、望む望まないにかかわらずその時自分に与えられた役回りをこなす。
今この瞬間に、赤ちゃんに母乳をあげる母親がいる事を想像して、今この瞬間に、包丁で誰かを殺すホステスの事を想像してみる。
どうして人の役回りには差が出てしまうんだろう。
幸せの傍らで暮らす人がいるのと同じくらいの数の人が、不幸な境遇に嘆いている。
自分達の世界はとても不平等で、それはでも仕方のない事で、でもどうしようもない苛立ちに我慢が出来なくなる。
パブを出てフラフラして、次に入った薄暗いけどカジュアルなバーには、やっぱりちょっと変わった女バーテンダーがいて、でもその人には暗いところがなく、自分が落ちているのが分かると、初めて会ったのに色々な話を聞かせてくれた。
見た目は恐そうで、きっと悪い事だってしてきたんだろうけど、昨日自分に向けられた好意にはただ優しさだけがあった。
人の優しさや嫌らしさがよく分からなくなる。誰かに優しい人だって他の誰かに同じように優しい訳じゃなく、でもそれって、ちょっと恐い事だ。
世界が自分というフィルターを通して見る物ならば、誰からも優しくされずにきてしまった人には世界はとても毒々しいエネルギーで充ちているのだ。
誰からも優しくされ、愛された人には世界は優しい風があるおだやかな草原のように思えるのかも。
自分を変えれば世界は変わるだろうが、その自分の大部分を確立するのは小さい時の環境で、いつからでも人は変われるだろうけど、大人が変わるのはとても大変だろう。
何が書きたいのか良くわかんなくなってきた・・。
自分が中学の時、大阪に蒸発した女友達がいた。
いわゆる不良で、つっぱってたけど、仲良くなればとても優しい女の子だった。
昨日、酔った自分は大阪に行った日の彼女の心境を想像した。
環境をどうする事もできない中学生の女の子には、選択肢は限られている。
まっとうな中学生の生活をしていれば、大阪に1人で行って、蒸発などできる訳がないのだ。
大人にはつっぱって、かなり悪い事もするけど人間的に曲がった事をする事もされる事も嫌いで、家庭科の時間には妙にはしゃいで、周りに作った物をほとんど無理やりに食べさせていたあの子は、今は生きているんだろうか。
飲み明かして店を出たら、もう外は随分明るくて、自分からは負の感情がすっかり消えていた。
誰もが幸せの傍らで暮らせるような世界になればいいのに。
脈絡もなく突然、本気でそう思った。
人の世界は、人の感情で満ちている。
