文章を書くのは久しぶりです。
ここ最近の僕はどうも様子がおかしい、
無気力といいますか何をしても不完全燃焼な日々を過ごしているので、
過去にこれほどワクワクしたことがあったのかと再確認するため書き起こしています。
いま僕はダラダラと年齢を重ねていき気づけば、もう25歳 20代半ば、もうすぐアラサーに突入だと薄々感じます。
そんな僕も10年ほど前は高校生という青臭い日々を過ごしていました。
毎日が楽しいというワケではなかったのですが、密かに想いを馳せていた女の子とひとことふたこと話せただとか怖い先輩に挨拶するだとか毎日が違う一日だったと思います。
嫌な部分ももちろんたくさんあったのですがそういう部分も含めて一日を日々体感してました。
そんな僕には仲の良い友人が片手で数えれるくらいいたわけで、
その中の1人とは学校でも休みの日でもしょっちゅう遊んでいました。
また僕らは常にお金が無いとボヤいていましたので遊びはほとんどお金のかからないことばかりしていました。
ある日、公園や街で思いつく遊びはひとしきり試しても何もしっくりこない日があったのです。
そんな時その友人は僕らが乗っていた自転車でできる限り遠くまで行こうと提案し、
僕らは自転車に跨って大阪市内から京都に向けてペダルを漕ぎだしました。
漕ぎ始めて1時間もすると見慣れた街並みはなくなり知らない風景でした。
数時間も漕いでいると京都市内に着いて達成感に満ち溢れていました、お金も使わずこんな楽しい気分になれるのかと興奮したのを覚えています。
そして僕たちは自転車での遠出にハマりました。
土曜日の朝早くにお互いの家の中間地点に自転車で集まり目的地を決めて走り、夕方には到着して牛丼でも食べて大阪に帰る。
大抵日曜日の朝方に家に帰ってきて泥のように眠るんです。
そんなことを暫くしているとお互い乗っていた自転車は所謂ママチャリだったんですが体力もついてきて京都市内までであれば余裕で行けるぐらいになっていました。
例によって京都に土曜日の夕方頃着いた時、いつもならご飯を食べて帰る流れですがお互い不完全燃焼だったのか天の橋立まで行こうという話になったのです。
また、その友人は天の橋立に親戚が借りているリゾートマンションの一室があるので寝床の心配はしなくていいことを教えてくれました。
僕らは京都市内を抜けて京都の上の方を目指しました。
しかし市内に着いた頃は夕方で気づけば市外になると日も暮れて夜道を走ることになりました。
夜道は今まで大阪へ帰るタイミングのみでしたが田舎の方の道を舐めていました。
街灯もほぼ見当たらず車もあまり走らない
頼りになる明かりはママチャリの前輪から照らしている頼りない小さな明かりだけです。
また下調べも碌にせず天の橋立へ最短距離で向かっていたので僕たちは真夜中に山道を走ることになってしまいました。
山道は街灯が一切なく、車に関してはどんな物だったか思い出せなくなるくらい長い時間見ませんでした。
普段都会で遊んでいる僕たちはすっかり夜の山にビビりました。
猪とか出ないだろうか。道を転落してしまったら死ぬのだろうか。オバケとか見たくないなあ。
体力もその頃にはほぼほぼ尽きていて無言のまま自転車が軋む音と息切れだけが聞こえてきました。
しばらくすると「あっ」という声が聞こえ友人は上を向いていました。
長い時間会話をしていなかったので、こいつこんな声してたっけ、と思いつられて上を見ると見た事ないぐらいの星が夜空一面に広がっていました。
お互い顔を見合わせ何ともいえない笑いがこみあげてきました。
僕らは休憩も兼ねて道路の真ん中に仰向けで転がりました。暫くそのまま星を眺めていました。
5分ぐらいだったかもしれないし1時間ぐらいだったかもしれないですが、とにかく僕らは星を眺めて頭を空っぽにしていました。
どちらともなく起き上がりまた自転車に跨り漕ぎ始めました。
そこからは体力は限界だったのですが昼前に天の橋立に着きました。
疲れすぎていたのか記憶がそのあたりはほとんど無くなってしまっています。
ただ覚えているのが着いたタイミングで吉野家に入って食べた牛丼が何かヤバいモノでも入ってるんじゃないかと笑えるくらい美味しいものでした。
空腹は最高のスパイスとはよく言ったものです。
そこから僕らは寝床に着き泥のように眠りました。
気づけば日曜日の夕方に目を覚ましました。
明日はお互いもちろん学校があるのですが帰り道のことを考えると僕たちは中々「帰ろう」と言い出せず3日ぐらいダラダラと過ごしてしまい家に帰ると親からこっぴどく怒られました。
またあの時の牛丼が食べたいものです。