エホバの証人と関わるようになって頻繁に聞くようになった言葉です。

エホバの証人以外で聞いた記憶がありません。

個人的な印象ですが基本的人権の幅が狭められているゆえに、頻繁に使用するようになったのではないでしょうか?

あれができない、これもできない、これしていいの?

こんなことばかりでした。

たとえば娯楽に関して、選ぶ内容によってエホバの主権を支持しているか、サタンの側につくかというような考え方です。

これが至る所にあります。

そうなると当然全てに関して選択の幅が狭まります。

結果として主な関心事が兄弟姉妹との交わりとなってしまいます。

なぜなら安全性が担保されているからです。世との交わりには危険性が担保されていると考えているように見えました。

子供から老人まで交わりに1番の関心を持っているように見えました。(勿論私の主観です)

あの人たちは交わりを楽しんだんだ。あの人たちは何人かでどこどこへ行ったんだ。

これは抑圧された故の反応に見えました。

エホバの証人以外の一般社会ではなかなか見られません。

狭いコミュニティが生み出した産物です。

世界的な兄弟姉妹関係と謳いながら狭い場所に閉じ込められている惨めな人たち。

交わりという言葉を連発する背景にはそのような立ち位置があるように感じます。