当たり前のように過ごした夏休みも残すところあと二回、どうすればこの4ヶ月間を思い出にできるかを考えていた。
よく考えれば私が小学生の頃さも当たり前のように夏休みを消費した。
遅起きしてみてちょっと公園に寄ったら友達がいたのでおにごっこに混ぜてもらい、昼食を食べて暇になる。何もすることがなく床に伏せてみるも面白くない。いつのまにか目を閉じて起きればまだ日は高い。6時頃だろうか、溜まっている不法投棄されたような課題の山を崩していき気づけば夕飯、風呂に入りゲームをして寝る。
きっとこれらの記憶は数日を継ぎ接ぎ1日にまとめたものであるが確かに通った道達である。
ただ日々を生きていただけでこんなに素晴らしい心模様を浮かべられるのであれば夏休みの計画なんていらないじゃないか。つけるべきは日記だ。
夏の計画を立てる理由、それは保身だ。何もしないことを恐れ、非日常に触れる必要性に目を向けつづけた結果、一番楽しかった記憶から片足ずつ離れていった先にある人工的な感動が手に入る。そんなもの私はいらない。
大人は子供になれると言うが、なら、この夏に対する焦燥感は何だ。喉の詰まるような呼吸に合わせ脈打つ首元、こんなものは十年前の私は感じたことはない。
今が満ち足りず「あの夏」を酒のつまみにするようでは、あの頃のように生きることはできない。そう感じる。