というのはなぜ起きるのだろう
食事は毎日欠かさない。しかしゲームは途中で辛くなる時がある。
考えてみると必ず行う必要のあること、身体精神的に受動的であり、自分ではどうしようもないことはマンネリ化が起こらない。食事という行為をマンネリ化してしまうと生きる上で大きな損害が生まれてしまう
一方ゲームや勉強、スポーツは生きる上で必ずしも必要ではない(ここでは金銭を稼ぐには勉強が必要といった将来の過程の話をしているわけではない。あくまで今やる気が起きているかに主観を置いている)。ここにマンネリ化が生まれると考えている
では好きな事をしているときはどうだろうか、動画編集が楽しくて次から次へと案が浮かぶときには動画編集への愛情に対する永遠を感じてしまう。ここにはマンネリ化は生まれない。
動画編集に飽きた、でもそれを続けたい。そんな2つの精神のギャップが生まれた時、同時にマンネリ化が生まれる。
まとめるとマンネリ化は、生きるだけでは必要のない、自分が能動的に働くことで生まれる事柄に興味魅力やる気を失ったものの続ける意志がある場合に起きやすいと考える。
私はライブ配信をしている。毎日9時半から健気に配信をしている。リスナーも毎日来てくれる。
続ける意志はあるが自分のトーク力に呆れ配信で人を楽しませる魅力が感じられなくなった。マンネリ化を感じている。
続ける意志だけで、夜2、3時間画面の前でゲームを楽しむのがルーティンとなっていたのにこうも心がぷつりとなると思わなかった。これも精神のギャップ故だろう
続ける意志が厄介と感じている私は、辞めるのが正解なのだろうか。
今までやってきたのはなんだったのだろうか、ただ時間を捨てただけではないのだろうか。
ならば過去の配信の価値を見出すために続けるべきだと考えている。本来配信はリスナーを楽しませるのが目的であるため、配信理由が自分の過去の配信の価値を高めたいというのは理想と対極の位置にある。
苦しい。殴り書きすればこの感情を払拭できるかと思ったが1年半以上の月日はそう離れることなく、今はただどうすればいいかわからない