【実語教】 | Miraiのブログ

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山は高いから貴(たっと)いのではありません。
樹(き)があればこそ、それが貴い存在となります。

人は、太っているから貴いのではありません。
智があればこそ、それが貴い存在となります。

冨は一生の財産ですが、死んだらそれで終わりです。
けれど智は、万代の財(たから)です。
なぜなら命が終わっても、魂に刻まれるからです。

玉(魂)は磨かなければ光りません。
光りがなければ、石や瓦(かわら)と同じです。
その智は、学ばなければ得ることができません。
智の無い人を愚人といいます。

倉(くら)の財(たから)は朽ちてしまうことがありますが、
心の財は朽ちることがありません。

たとえ千両の金(こがね)を積んでも、
一日(いちにち)の学に及びません。

血を分けた兄弟でも、志が何時も同じとは限りませんが、
智によって得られる慈悲の心は、天下の人々を兄弟とすることができます。

財物は、永遠のものではありません。
才智を財物とすれば、これは消えることはありません。

宇宙を成すのは地水火風の四大です。それは日に日に衰えます。
ほっておけば魂(心神)も衰えるものです。
幼いうちから勤学しなければ(老いるほどに衰え)、
歳をとってから悔いても遅いのです。

書に親しむことを倦(や)めてはいけません。
学文は、怠ってはなりません。
睡眠時間を削ってでも書を読み、
食べる時間を削ってでも、終日(ひめもす)学び習いなさい。

たとえ良い師に出会ったとしても、
自ら学ぶという姿勢がなければ
徒(いたづら)にご近所さんと交わるのと同じで、無益です。

学問するとは言っても、繰り返し読むのでなければ、
それは隣の家の財(たから)を数えるのと同じです。

君子(善人)は智者を愛します。
小人(悪人)は、カネを持つ者を愛します。

たとえ財があり、身分の高い人のに近づいて
カネを得ることがあったとしても、
それは霜に花が咲くようなまぼろしにすぎません。

たとえ貧しくて賤(いや)しい家の出であったとしても、
智の有る人は、
宛(あたか)も泥中の蓮(はす)です。

父母は天地と同じです。
師君は日月(じつげつ)と同じです。
親族は、たとえていえば葦(あし)と同じです。
夫妻は雨露をしのぐ丈夫な瓦と同じです。

父母には朝夕に孝しなさい。
師君には昼夜に仕えなさい。
友と諍(あらそ)ってはなりません。
自分より目上の者には礼節と敬意をつくし、
自分より格下の者は、たいせつに思って常にかえりみなさい。

人として智がないということは、
木や石に生まれたことと変わりません。
人として孝がない者は、畜生と同じです。

戒(いまし)めと定(さだ)めと恵(めぐみ)の三学(*1)のの友と交わらなければ、
どうして七学(正しい法・修行・真実・快さ・自由・集中・心)を持てましょう。
慈悲喜捨の四等(しとう)の船に乗らなくて、
誰か生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、欲求不満、心身苦しみの八苦の海を渡れましょう。

注(*1)三学
三学の「定」は禅定に入ること、「恵」は「三慧」で聞慧・思慧・修慧で、聞慧は耳や目から入ってきた情報・知識、思慧はそれについて禅定をする中で繰返し考えてみること。修慧は思慧の結果得られる智恵。


仏の道は広いけれど、
殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・愚痴の十悪の人は道にすら入れません。
極楽浄土の都に楽しむといっても、
放縦の者は、そこに行くことはできません。

老人を敬うことは、父母を敬うことと同じです。
幼ない者を愛することは、子弟を愛することと同じです。

自分が他人を敬えば、他人もまた自分のことを敬ってくれます。
自分のの親を敬えば、人もまたそれぞれの親を敬うようになります。
自分が立身したいなら、まず他人を立てなさい。

他人の愁(うれ)いを見たら、ともに憂いなさい。
他人の嘉(よろこ)びを聞いたなら、ともに悦びなさい。

善を見たら速やかに行き、悪を見たらすぐに避けなさい。
悪を好む者は禍(わざわい)を招きます。
それは、鐘を打てば響くのと同じです。

善を修行すれば、福がやってきます。
それは、自分の影が、自分の身に随うのと同じです。

冨んだとしても、貧しかったことを忘れてはいけません。
始めは豊かでも、後には貧しくなることもあるのです。

地位を得ても、地位が低かったときのことを忘れてはなりません。
地位を得ても、それを失うこともあるのです。

芸事を極めることは難しく、しかも手を抜いたらすぐに技量が下がります。
書道もまた同じです。

食べものは身を養いますが、その根源には法があります。
身体があれば、そこには命があります。

常に百姓の辛苦を思いなさい。
そして必ず学問に努めなさい。

それゆえに初心の学者は、まずはこの実語教を暗誦しなさい。
それが学問の始めであり、終身まで忘れてはならないことです。