「心」ってなんでしょう。それは「自分」とはなにかという問いと似ているかも知れません。ものごとの本性をつかまえるのは本当に難しいことですが、とてもシンプルなコツがあるような予感もするのです。それだけにもどかしい・・・鏡の例えがあります。鏡をのぞきこむと、その前に置かれている対象が映し出されます。<鏡の本性>は見ることが出来ない。ではこの<鏡の本性>とは何か。それは、ものを映し出す力を意味しています。鏡には対象を明晰、純粋かつ透明に映し出す能力があります。このように<鏡の本性>は見えるものではありません。そして、その本性は鏡に映った像をつうじてはじめて知ることが出来るものです。
<心の本性>と呼ばれるものは、「心って何?」と問うた心や思考の彼方にあります。あたかも鏡から抜け出し、鏡に映し出された対象だけを見つめても、<鏡の本性>がつかめないように
<心の本性>を見るためには視点を変えなければなりません。映し出された「心」と<心の本性>は決して切り離せるものではありませんが、コロコロと移り変わる「心」だけを一生懸命見つめても<本性>に到達出来ません。「心」を観察する方法にはきっと一工夫がいるのです。私たちはその一工夫を得るために生涯をかけてきた多くの方々を知ってはいるのですが・・・(*´Д`)=з

整体のお仕事をはじめました。まずはこの業界を知るためにリラクゼーションの企業と委託契約を結んでみましたが、本当に「稼ぐ」ことの大変さを感じています。自分の身体を使っての仕事なだけに、労働の対価を直接的に実感できます。もちろん「稼ぐ」ことを目的にするならばいろんな道がありますし、この業界であっても経営の仕方はいろいろあるとは思いますが、労働に対する報酬の有難さを感じる事が出来るのはとても幸せなことでもあります。先日、お客様から「お茶でも飲んで。」と500円のチップを頂戴しました。整体の料金が3000円のお店ですし、私の報酬はその半分ですので500円というのはとても大きな金額になるのです。お金の話ばかりしていますが、自分の身体を使い、気持ち(気)を使っていただいた規定外の500円です。不思議な気分になりました、このチップはお金であって、お金ではない気がしました。いただいたチップで飲んだお茶は何やら複雑な味で、「これから進む先がどうあれ、今に真心を込める」というメッセージを受け取ったようで、緊張感を味わったのかも知れませんね☆-( ^-゚)v
思わぬトラブルで心が乱れることってよくあります。自分自身が受けたショックや困難ならば立ち直るのは意外と簡単だと思うのですが、自分が他人を巻き込んでしまったり、傷つけてしまった罪悪感はやっかいです。どうしても落ち込んで、引きずってしまいます。
「平常心」、普段通りの平静な心・・・普段が心コロコロの自分ですので平常心を確立するのは至難の技ではありますが、心をなだめるためにイメージの力を使うのは効果的だと感じています。
私の場合、心の世界に“懺悔の滝”や“リフレッシュの滝”があり、そこで滝にうたれます。“平常心の岩”では岩の上で瞑想したりしています。
イメージの力、使い方は百人百様で個性が出ることでしょう。一昔前、自分の意見を押し通すために心のまわりを鉄板で囲ったことがありました。威力は絶大で、しっかり自分の意見を通すことができました。まわりの誹謗中傷なんて何も感じません。ただ、鉄板をはずすとまわりに誰もいなくなっていたけれど・・・  イメージ、意識の使い方も訓練して自分にあったものを探さないといけませんね。アスリート達が下意識という言葉をよく使っているそうです。身体に意識を結び付けておくということのようですが、まさに気功の世界です。イメージと身体を結び付けておくことで、もっと簡単で効果的に「平常心」を保てるようになれそうです。
須藤元気さんの本のタイトル。
今日が人生最後の日だと思って生きるというメッセージ。
何か特別なことをしなくてはいけないというわけではなく、もし今日が最後の日であっても
ごく普通に自分らしいと思える生き方が出来ていれば良いのでしょう。
人生最後の日に、心にもない行動をとるのだけは避けたいと思うのです。
先日、忍野八海の知人から富士山周辺の変化について伺いました。いつ何が起こってもおかしくない状況になっているようですが、たとえ世の中が安定していても、今日を「最後の日」と思って
ひとつひとつの事に判断を下すというのは悪くないことです。
ネイティブインディアンは、とてもすがすがしい素敵な一日を「今日は死ぬのにもってこいの日」と
表現するそうです。もちろん決して後ろ向きな表現ではありません。
memento-mori の精神です
外山先生のお話を伺い、早速本を読みました。
この世が決して見えているだけの世界でないことは、気功やヨガをされている方々には当たり前の話かもしれませんが、あんなにハッキリと現象としてとらえられているとショックを受けますね。
「水」は物質界では特異な存在であるとよく言われていますが、現象として観測できない「意識」の世界でも同様なことが起こっているのでしょう。大海の中のひとしずくである自分が美しい結晶を描き出す生き方をする、カルマをひとつずつ解消するということが、自分だけでなく全体にとっても必要なことであるという事を感じさせていただきました。ハ~、それにしても私は目隠しして、耳栓して生きてるのかなー(T_T)。

今や当たり前になってるネットの世界、飛行機が飛ぶことも不思議な私にとっては謎の世界です。

地球上には電波が飛び交っていて、身体に良いのか悪いのかはわかりませんが、ネットの世界があるように、

波長の違ったところには別の世界があることは十分想像できますね(^O^)/