『至福』
辞書で調べてみると、この上ない幸せと記してある。
「そうなの、私はケーキを食べているときが至福のときなの」
「キミといられるこの瞬間が至福のときなんだ」
人それぞれ感じ方は異なると思うが、小生思うに、そこには無防備さが必要だと思ったりする。
「あ~~~」
誰しもが思わずこの一言を発してしまう、温泉に浸かった瞬間。
「ねえ、聞いて聞いて! 5日ぶりに出たのよ、こんな大きいの……」
5日も溜めたものが一気に出れば、思わず手ぶり付きで誰かに話したくもなるだろう。
「……」
声にはせずとも大きく、とはいえなるべく相手に判らぬよう静かに息を吐き、余韻に浸る。もちろんムフフなときを過ごした場合もこれに当たる。
そんな場面を思い浮かべてみるといい。いずれも無防備なこと、この上ない。無防備だからこそ至福を感じる。何かしら新たな発見をした気分だが、先日またさらなる発見があった。
*
髪を切られながら寝落ちするという、初めてのお店なら決してありえない無防備極まりない至福のときを過ごす中、半ば朦朧とした頭にこんなセリフが聴こえてきた。
「これはちょっと調べてみないといけませんねぇ」
一瞬、夢を見ていたかと思ったが、続くセリフのやり取りにテレビの声だと気付いた。
「頼みましたよ、助さん……」
画面は小生の座る椅子からは真横の位置にあり、それを遮る形でご主人はハサミを振るっているから、映像を見ることはできないが、間違いない、水戸黄門だ。その後も髪を切られている間、時折チラチラと画面が見えるものの、じっくりと見ることはできない。が、セリフだけは耳に入ってくる。
「お主も悪よのう」
気になる……。が、かと言って水戸黄門が見たいと宣言するのも何やら気恥ずかしい。意識を耳に集中させる。そうこうするうち、髪を切り終え、顔そりパートへと移り、椅子が倒された。蒸しタオルが顔に載せられ、いよいよ映像は見えなくなる。さらに意識を耳に集中させる。
「やっちまえ!」
クライマックスが近づいてきている。
「カキン! カキン! うぉっ……」 立ち回りが始まったようだ。「カキン! ドスッ……グフッ……」 峰打ちか? 情景を思い浮かべる。つづいてバタバタと音がする。次々と悪者の家来たちが現れてきているに違いないが、助さん格さんは片っ端からなぎ倒しているはずだ。そろそろか? と思っていたら、キタッ!
「えーい、えーい、静まれ! 静まれぃ! この紋所が目に入らぬか! ……」
画面は見えなくても映像は目に浮かぶ。そんな映像を目に浮かばせながら、不覚にも胸がアツくなってしまった。展開が判り切っているにも関わらず、終わり方を知っているにも関わらず、なぜか胸に響いてしまった。映像を見ていないからなのか、覚醒しきっていないからなのか、顔にカミソリを当てられているという、どうにでもして状態が感情を増幅させたのか、この辺り定かではないが、いずれにしてもこの判り切ったストーリーに思いがけず心を動かされてしまったのは確かだ。近ごろは何かにつけパワハラだとか、何たらハラスメントだとか、単に注意や指導を受けただけで訴えるような人も少なくなく、何かにつけやりにくさが増してきているような気がする中、改めてこのドラマのパワーを見つめ直すときが来ているような気がしてしまったのだ。となれば、善は急げ、これから少しずつ周囲にも広めたいなどと思ったりしているのだ。
というわけで、もしこれを読まれたなら、ぜひぜひ改めて水戸黄門に触れていただきたい。なお、その際には画面を見ることなく音だけで楽しまれると、さらによろしいかと思う。
後から来たのに追い越され、泣くのが嫌なら、さあ歩け!