インプットしたり本を読んだり所謂(いわゆる)
「学ぶって作業」は自分の中に点をたくさん
打つことだと最近ようやく実感として持つようになった。
この点は使わなければ忘却の彼方へ葬られる
でも、どこかに確実に点としては存在している
孔子の書いた論語を読む人を皮肉った言葉がある。
「論語読みの論語知らず」って
福沢諭吉が学問のすゝめの中で書いている一節
いろいろ知っていても、実行にうつせず
あーだこーだ言うだけの場合
まさにこのパターンが当てはまる。
残念ながら80%〜90%の大人もこれに
当てはまってしまうのが現実
言葉を知っているよりも日常の中でどれだけ
実行にうつせているか、使いこなせるかの方が
遥かに尊い
むしろ、何も知らなくとも素直な子供のように
好奇心全開で行動に移せた方が良い
シンプルだし見ていて気持ちがいい
知っている→理解している→腑に落としている
これは近いようで大きな差がある事が
実感としてやっと分かるようになってきた。
これを人に教えたり、書いたりする中で
点と点とが線になっていく
しかし線であるだけでは不十分
これが社会性を帯びて初めて点と点が線となり
面になるこの面の部分が広くて大きいほどその人の
価値は大きく影響力を発揮できる部分となる
人の出した答えよりも自分で思考錯誤した中で
得られることの方が圧倒的に大きい
だから体験、経験の価値は大きい
さて、やることは多い、ただ愉しみだ。
