前回の記事で、急遽長野に行きました、と書きましたので、今回その事についてお話ししたいと思います。
ちょうど前回の記事は運動会でした。
その運動会の日の夜、父から久しぶりにLINE電話が来ました。
いわゆるビデオ電話です。
父から電話が来る事が多いですが、稀にこちらからも連絡する時もあります。
すると、父の顔がアップで、近くに母が座っていて、まぁそんな感じで話をするんです。
画質が鮮明ではないのですが、あぁ実家のリビングだなぁとわかります。
ここ数年、年に一回帰省できればいいかなってとこでした。
しばらく会わなくても、今の時代は、こうして話ができて様子が見られる。ありがたい事です。
ただやっぱり、年は取るもんですね。
父もだいぶ髪が薄くて、おじいちゃんになったし、母も、シワが増えて、以前より痩せこけたなぁという印象。
特に母は高齢者になってから、脳梗塞をきっかけに大腸がんが見つかり、大手術をしました。
11年前のブログでも、ちょこっと書かせて頂きましたが、結果は順調で、通院だけでほぼ良くなっていました。
しばらく元気でした。
要支援Iで、歩行器で歩くようになっても、時々出かけていました。
コロナ明けに私が4年ぶりくらいに帰省した時、分杭峠という所に行きたくて、バス停まで父が連れてってくれましたが、その前に道の駅で家族で食事もしました。
私が覚えてる限りでは、それが両親と出かけた最後だったのかなぁ?
その後も、父から贈られた画像で、歩行器をつかんだ母と紅葉を楽しんでる様子も伺えました。
さて、最近の話に戻ります。
5月末に父から電話が来た時、母がもう寝たきりになっていると知りました。
GW後、部屋で転んだことをきっかけに、もう歩けなくなったそうです。
家では、姉が世話してるので安心でしたが、最近は週2でヘルパーさんを呼んでお風呂に入れてあげたとの事です。
糖尿病を心配して、甘いものを姉が管理していましたが…
もう好きなものを食べさせてあげて良いのではと病院の先生がおっしゃっていたそうです。
ただ最近は、一口がやっとで、ほとんど食べられなくなったそうです。
その話を聞いて、びっくりしました…
もう、長くないんだ…
父からは「覚悟しといた方がいい」と言われたので「わかった」と伝えました。
次の日、父から電話が来て、母がまだ起きてるので、繋いでくれました。
だいぶ顔が痩せこけた印象です。
この日は私が髪の毛を切ったので、伝えたら
「あんたは短い方が似合う」と言ってくれました。
昔と同じ事を言ってくれました。
痩せこけてるのに、声はしっかりしてて、普段の母らしい感じでした。
次の日、今度は姉が、かなり久々にLINEをくれました。動画付きでした。
そこには母が寝返りを打ちながら私を呼び、元気ですか?と一言。
ただ、昨夜と比べると急に弱った印象でした。
「こんにちは
色々忙しいとは思うけど、出来れば話が出来るうちに来れると良いかと思います」
と姉が一言。
今すぐ会いに行きたいけど…土日に行けるように何とか調整してみる事にしました。
主人は用事があったので、私一人で行きました。
主人もJRの時刻表を調べてくれて、助かりました。
はるばる鈍行で7時間半🚃
長旅だった。
おばも二人、一人は横浜から来てくれて、父と4人で外で食べて、家へ向かいました。
家にはいち早く、兄夫婦と去年生まれた甥っ子が東京から来てました。
甥っ子は初対面。画像で見た時より大きくなってました。
そんなこんなで、みんなで母のいる部屋へ行き、一人一人挨拶しました。
母の声が掠れていました。
それでも「遠くから来てくれたんだ。大変だったね。ありがとう。ご苦労様」
と私達に何度も気遣って言ってくれました。
みんなで写真を撮ろうとなって、何枚か撮りました。
最近はこうしてみんなで集まることもなかなかないから、良かったです。
次の日は、もう午前中のうちに出るので、母に挨拶しました。
朝、姉が、いつものように母の世話をしました。介護は手慣れていました。
固形物はもう食べれなくて、流動食がやっとな感じだったそうです。
肌が黄色かったけど、その朝は白目まで黄色になっていました。
これまで何度も病気に打ち勝って来たのに…
癌が肝に転移したらしく、肺にも水が溜まっているせいか、少し大きく息をしている…
そうか…
これが最後の挨拶かもしれない…
そう思って、母の手を握って挨拶しました。
「うちの主人も、お義母さん具合どう?ってメールで心配してたよ」
「ありがとう。みんなによろしく伝えて」
「わかった。伝えるね」
母は声なき声でした。
「離れてても心はいつも一緒だからね」
そう伝えました。
ありがとう…
「じゃあ、行くね」
と私は元気に「行ってきまーす!」部屋を後にしました。
お昼頃の電車に乗って、飯田線でうとうとして、東海道線で帰って来ました。
静岡は雨でした。
主人が駅改札に迎えに来てくれました。
傘と長靴を用意してくれました。ありがたし。
バスで靴を履き替えて、無事に家に到着しました。
もう19:00を回っていました。
携帯を確認したら、姉からLINEが入っていました。
「今日はありがとう。お母さん、4時頃に眠るように亡くなりました。大往生でした」
…そっか…
最後みんなに会えて良かったね。
きっと安心して旅立ったんだね。
本当、大往生でした。
姉にもお疲れ様でした!と伝えました。
ただ、この後も、葬儀の手配などで父と共に忙しかったと思いますが…
葬儀は4日後に行われました。
今度は主人と一緒に電車ではるばる長野へ行きました。
長旅…
平日の飯田線は、しばらく車両貸切状態でしたが、長野に入ってから、突然、高校生がいっぱい乗ってきました。
夕方、実家に着きました。
母の部屋に行くと、綺麗に化粧をされた母が眠っていました。
翌日、葬儀は家族葬でしめやかに行われました。
お櫃に入った母を足元から、いわゆる正面から見た時、一瞬、母の目が開くかと錯覚しました。
それほどに最後、綺麗に周りを花で囲み、お見送りをしました。
先週、あの時、挨拶出来て本当に良かった。
悔いはない。
覚悟もしてた。
でも、なんだか不思議でしょうがない。
母が骨になって帰ってきて、なんだか不思議。
まだ81だったのに。
父の話によると、母は「80まで生きたから悔いはない」と言っていたそうだけど…
もう後5、6年は生きてくれるだろうと勝手に思っていたから、つい先月までは…
だから思ったより早すぎて…
なんというか、もしかしたら、まだ、この現実を受け止めきれてないんじゃないかと思ったりして…
でも世の中には、愛する家族が不慮の事故で突然この世を去ってしまわれた方がかなりいて、残されたご家族の、あの受け止めきれない切なさを思うと、いたたまれない。
そう思うと、私は幸せ者だ。
小さい頃から
夜、爪を切ると親の死に目に会えない
という噂を聞いていても、結構夜に爪を切ってたし。
静岡にお嫁に来てからも、長野にささっと帰れる距離じゃないから、あぁ、親の死に目に会えないんだなって勝手に未来を諦めていたこともあった。
でも、今回ちゃんとお別れできた。かもしれない。
心はいつも一緒だよって言ったから、毎日母との思い出がよぎるけどね。
世間では、ガッツ石松さん、中村珠緒さんがこの世を去られて。
バルセロナでは、ガウディの長年の建設期間を経て、ようやくサグラダ・ファミリアが完成したというニュースが希望的な2026年6月上旬。
母が、この世を去りました。
実家に飾ってあったこれ。
私が幼稚園の頃作った作品。
もちろん字は保母さんが書いたものだけど。
これからもきっと、そのまま飾ってあることでしょう。
PS:次の日、天竜峡駅から帰る事になり、姉が送ってくれました。
素敵な古民家カフェがあるみたいよと、ランチをご馳走してくれました。
ハキハキした優しい姉です。
天竜峡駅前のテンリュウ堂さん
お店も平日だからか、貸切状態
ここではチキンカレーを頂きました。
私好みのランチ🍽️
1500円
長旅が癒されました。ありがとう。
はるばる静岡市に戻って来たら、駅から海まで何故か局地的に雨☔また雨か…なんで此処だけ雨か…
さらにPS:
実は先月かな?数年ぶりに燕がうちの玄関の外に住み始め、賑やかです。
今月に入ってからは、赤ちゃんも顔を出してきました。
数羽は、もう飛べるようになったかな?
でもさっき、主人が帰ってきたとき、2羽、下に落っこちてたらしくて…
まだちっちゃかったのに、生き絶えてたって…
ショック😨
近所に埋められないので、主人が自転車で、ご実家に行って埋めてくれたみたい。
お義父さんも「ツバメの墓」と書いてくれたみたい。ありがたいです。
そんなお義父さんはマスクしてて😷風邪引いてたそうです。ピークは越したみたいだけど、ちょっと心配です。
さて、明日からまた頑張らなきゃ。
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TAMAGOの歌を
聴きまくれ❗️
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