
1 銭文末尾「渡船宿仲間」は金華山へ渡船する為の牡鹿半島周辺の宿を言うが主に石巻市渡波の宿場町を指すものと思われる。
①江戸時代、石巻市渡波の祝田に金華山への渡船場があった。
祝田には航行に必要な常夜燈(石巻市指定文化財)が残っていて、地附留(古文書)には金華山への一艘の船賃が記録されている。
②祝田の渡船場は金華山詣参(金華山講などの金華山参り)で賑わった。
③「渡船宿仲間」は渡船宿の集合組織の事で、主に祝田の渡船場がある渡波宿場町を指すものと思われる。
2 「奥州金華山」は金華山信仰意味する
①江戸時代お伊勢参り同様金華山参りも盛んに行われた。
②金華山講が存在し観光にとどまらず、金華山の宿坊でお籠りも行われ、代表の詣参人が藩内外から年間10万人が訪れた。
③ 代表の詣参人は金華山のお札や御守りを講の参加者にお土産として持ち帰る使命があった。
3 銭文「海上通宝」は様々な意味合いであった。
① 海の仕事に関する海上安全信仰もあり石巻鮎川地区の古い漁師さんの神棚には金華山通宝が祀られて由来書に記載されてる守護符として貴重された事を裏付ける。
また、船賃として扱われた伝承もある
②当時絵銭であっても幕府の許可が必要で天保通宝は、ほとんどの藩が密鋳造していた
この事もあり、記録は残っていない。
③その他、仙台藩が財政難を助ける為、金華山通宝を鋳造した説がある。
4 奥州金華山通宝は由来の通り守護符(目的は様々)として仙台藩が鋳造し金華山信仰の御守りのお土産、船賃として通用したと考えられる。
5 銭文、極印、古文書から 確証が得られること。
① 「奥州金華山」に関する事
② 「海上通宝」から海に関する事
③ 「渡船宿仲間」から金華山に渡船する宿場である事(江戸時代の仲間は組織の意味)
④ 極印銭の存在で価値が付けられている事
また、卓越した鋳造場所で打刻された事
⑤ 伝承と金華山通宝が各地に広まっている事
⑥ 上記の事から間接的に表れる事実。
・金華山信仰、金華山講(金華山参り)、金華山道の軌跡
・石巻市渡波の宿場町(石巻市史)
・渡波祝田が主な渡船場(石巻市指定文化財の常夜燈と古文書に記載された船賃)
・石巻市に鋳銭場がある事。
以上これらの事が事実です。