大学の途中から精神科に通うようになった。夜に上手く眠れなくなったからだ。だから、今でも寝る前に効き目があるのかないのか分からない薬を飲んでから寝る。確かなことは、飲まずに寝ると次の日がとんでもなくマズいことになるということだけだ。

楽観的だった中高生時代

昔はそんなに眠れなくて困ったことがない。学校の課題があってもやらなかったし、テスト前になっても「寝ないと知識が定着しない」とかいってなんにもせず寝てた。要はなんにもしなくても明日はやってきて、それでもまた次の日がやってくると無邪気に信じていられたからかもしれない。

こういう癖は高校3年生くらいまで続いていた。幸いなことに私立の中高一貫校だったおかげで高校受験という試練を経験せず、幸か不幸か、人より子どもなまま大学受験に備えることが出来た。とりあえず、高校に籍がある間は定期試験で赤点をとっても上手いこと明日は来た。同じクラスの同じ学年の自分と同じような人間と同じように人生が進んでいくと信じていられた。

大学進学、来ない明日、休学

運が良かったのか、僕は浪人することなく都内のそれなりの大学へストレートに進学した。すると、なんの疑問もなく来るはずだった明日を迎えるのに凄まじく辛い経験しなければならなくなった。

大抵の大学は単位制で、学期末に試験やレポート等の評価方法で成績が決定する。そして、僕の進学した学科の必修科目が極悪だと有名で、授業に耐えられずに脱落する学生や、試験結果もあえなく再履修になる学生がたくさんいた。僕は、明日が明日にちゃんとやってくるように、受験生のときよりも沢山勉強しなければならなくなった。

しかし、僕は大学に入るまで自分で勉強をしたことがほとんどなかった。高校までの定期試験は、せいぜい前の定期試験のあとから次の試験前と範囲が決まっていて、授業をちゃんと聞いていれば問題なくパスできるものだった。僕にとっての中高生時代は、ただ学校へ行き、椅子に座り、授業をぼーっと聞き、友達と談笑し、部活へ行って寄り道して帰る、というただそれだけだったのだ。

大学の授業は思ったよりも自分で積極的に図書館などで資料を探す必要があった。それをしなくても進級できるのは過去問をどこかから手に入れてきたり、真面目にやってるやつのノートを借りてこれる連中だろう。とはいっても、それに気がついたのは卒業に少し近づき始めたタイミングである。中高生時代を引きずっていた僕は、講師の決めたシラバスと授業で用意されたレジュメ、教科書、その他資料だけを参照して、その限られた範囲でものを作り提出するものだと思っていた。そうでないとフェアじゃないとも思っていた。案の定、評価は芳しくなかった。

僕はそれに耐えられなくなったのか、大学へ行けなくなり、休学することになった。すると、今まで僕が享受してきたあの「明日」が来ないのである。来る日も来る日も「明日」は来ることなく、まるで時間が止まったかのように、出口のない何もない場所に閉じ込められたかのように、信じていた「明日」は来ないのである。

復学、勉強、そして戦い

しばらくして大学へ通えるようになった。見知った顔は一つもなく、ひとり孤独に、まるで場違いに感じられる僕の「学生生活」が始まった。それは以前の中断された形だけの学生生活ではない、不思議な空間の不思議な時間の流れであった。

休学する際に部活やその他とは関係を切ってしまったため、授業以外に特にやることはなかった。前から興味があった哲学の分厚い本を読もうと、ついでに空きコマに昼寝をしに行こうと、図書館に入り浸った。

図書館に通うようになって、授業の内容に関する本を事前に読んでいた、ということが多くなった。まるで進研ゼミのようだが、その体験から自分で勉強するようになった。卒業要件が全然足りていなかったので、とにかくコマを埋めようと色んな学科の授業を取った。そして、授業を聞き、図書館で関連する文献を読み、必死にレポートを書いていった。すると、分からないことをどう調べればいいのか、まるで絵を描く際にアタリ線をつけるように上手く情報を引き出す力が身についた。

残りの単位を得るために、僕は戦っていた。あまり個人的な人付き合いは避けていたので、僕は誰にも頼らず単位を勝ち取り、「明日」を手に入れていった。単位が一つ認定されると、その分だけの「明日」がやってくる。止まっていた時間は動き出した。というより、自分の力で時間の歯車を回し始めたといった方がいいかもしれない。

孤独、そして明日への不安

ひとり周りの群れから外れていくうちに、僕が少年のときの「明日」はこの先自ら勝ち取って行かなければならないことを知った。今のこの時も、仕事のために、キャリアプランのために、スキルアップのために、色んなことを将来から、つまり「明日」がやってくるように耐えず努力をしている。

ただ、どこかで不安がよぎる。今自分がやっていることは本当に「明日」に繋がるのか。「明日」が来たとして、その先の「明日」はあるのか。そういう不安がきっと今の不眠症の底にある気がする。

無邪気に「明日」を信じられた、あの少年の日へ思いを馳せる。学校へ行き、教師の話を聞き、友達と談笑し部活に行って帰る。家では母が夕飯の用意をしてくれていて、お腹いっぱい食べて、友達とメールのやり取りをして、寝る。源泉徴収票や年金の手続き、納税や年金とは無縁に、ただいるだけで存在が許された幼年時代を想う。そして今日も明日も、私は「明日」が来ることを祈ってひと仕事終えて床に就く。