昨日の朝イチの飛行機で熊本に出張しています。
昨夜、熊本市内での仕事を終え、熊本駅近くの宿へ。
宿に戻り、仕事を片付け同行している先輩と飲みへ。
仕事もうまくいき、馬刺しや焼酎を堪能しながら最高の夜でした。
地震が来るまでは。
突然、ゴゴゴという地鳴りと揺れ。
最初は少し弱め。地震?
徐々に揺れが強くなり、店内に並んだ焼酎ボトルが落下し店員や客は悲鳴をあげる。
揺れがおさまっても、店内の人間皆しばらくぼう然。
ようやく、店長らしき人間が「皆さんお怪我ないですか!大丈夫ですか。」と確認。
客も互いの無事を確認、気遣う。
店からは、申し訳ないが閉店お会計お願いしますと。当然の判断。
会計し、店外へ出る。
居酒屋、スナック、キャバクラ、風俗店等集まる通町筋近くの繁華街。
店外には料理人、夜の姉ちゃん、サラリーマンがごった返し、各所へ連絡したり崩壊した道路や看板の写真を撮っている。
平和な夜が一転、騒然。
自分は、大阪で生まれ育ち、大学から東京神奈川で過ごし、阪神大震災も関東大震災(震源から離れているが)も経験しているが、
当時と変わらない程の揺れ、精神的な衝撃。
やばい、これやばいわ、とかブツブツ言いながら冷静になろうとする。
とりあえず、会社の上司からの安否確認に返信する。
出張することすら伝えてはないが、関西の家族にも無事を伝える。
状況整理も兼ねて、Twitterへ現状報告の書き込みを続けつつ、宿へ戻る。
ホテル前には人だかり。周辺には崩れた壁の一部が散乱している。
どうやら、ホテルからは避難指示が出たらしい。
近くの小学校へ行けとのこと。
先輩と相談し、とりあえず外にいることにした。
なるべく建物からは離れ、繰り返す余震をやり過ごす。
海外からの観光客と思われるグループは一様に不安げな表情で座り込んでいる。
この時点では、単純にやばい、ただ事ではないという漠然とした感覚しか無かった。
もしかしたら、東京では「熊本で多少大き目の地震がありました」の速報が流れている程度なのかもしれない。
とにかく、ネットだけじゃなくテレビも観たいと思っていた。
ホテルのロビーにテレビがあるのを思い出し、
一瞬入れてもらい確認。
官房長官が会見をしている。
全チャンネルが熊本の地震を伝えている。
新幹線が脱線?
「明日の11時、鹿児島の取引先との打ち合わせ」
どないようか。
現実的な心配もし始める。
心配したところで、自然現象相手にどうすることもできないし、自分の安全が第一なのだが。
日付が変わり、深夜1時を過ぎ、
日中は夏日となった熊本も冷え込んできた。
ホテルからブランケットの貸し出しがあり、くるまって座る。
このまま外で朝までか、と覚悟もしていたが、深夜2時頃、部屋へ戻りたい方はどうぞとの指示が出たので従う。
余震が5分に1度くらいで発生していたので、
外にいる方が安全だったかもしれないが、
取引先や会社への連絡にpcを使いたく、何よりも少しでも寝たかった。
結局、揺れるたびに目を覚ましつつ、朝6時起床。
一晩中つけていたテレビからは、引き続き地震の情報が流れている。
すぐに支度をし、
スマホで交通情報をあさる。
新幹線、高速バスともに運休。
再開の目処立たず。
取り急ぎ、客先へ現状報告とお詫びのメールを入れる。
9時過ぎには電話を入れる。
普通バスや在来線等駆使して移動する道を探るがかなり遅くなりそうなこと、
もしご都合よければ伺いたい旨を伝える。
「1日予定は大丈夫。とにかく無理しないで下さい」とお気遣いいただき感謝。
熊本のバスセンターに駆け込み、
受付の女性に
「鹿児島中央まで何とかして行きたいので教えてください。大変な時に申し訳ない。」とお願いすると、
すぐに最適な方法を調べて教えてくれた。
ここでも感謝。
現在、市バスにて八代駅前まで移動中。
八代駅から電車移動。
オレンジなんとか線を乗り継ぎ鹿児島中央駅を目指します。
適宜取引先へ時間等連絡入れつつ。
予定では16時過ぎに着けます。
とにかく落ち着いて冷静に行動します。
自分は無事ですが、亡くなられた方怪我人も多数。
自分のことで精一杯ですが、これ以上被害が出ないこと、早く落ち着くことを願います。