津山城跡
津山駅から徒歩10〜15分程です
周辺には歴史民俗館、つやま自然のふしぎ館、津山郷土博物館などの施設があります
津山観光センター
お土産物を購入できたり、マンホールカードが貰えます
入口付近
向かって右側に『つやま自然のふしぎ館』があります
今回は時間の都合で寄れませんでしてが、動物の剥製や昆虫類や人体標本類など、約20,000点が展示されているそうです
『桜の名所百選』にも選ばれたそうです
春に訪れてみたいですね
この先に料金所があります
史跡 津山城跡
【現地説明文】
津山城跡
国指定史跡 (昭和三八年九月二八日指定)
津山城は、もと山城のあったこの鶴山の地に森忠政が慶長九年(一六〇四)に起工し、元和二年(一六一 六)の完成まで一三年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城です。
往時には五層の天守閣がそびえていましたが、この天守閣は弓狭間・鉄砲狭間・石落し等の備えを持ち、唐破風・千鳥破風等の装飾のない実戦的なものでした。
また、本丸・二の丸三の丸には、備中櫓をはじめ、栗積櫓・月見櫓等数多くの櫓が立ち並び、本丸には七〇余の部屋からなる御殿と庭園がありました。
この城が築かれた当時は、我が国の築城技術が最盛期を迎えた時期にあたり、津山城の縄張りの巧妙さは攻守両面において非常に優れたもので、近世平山城の典型とされています。
明治六年(一八七三) 廃城令によって城郭は公売され、翌年から八年にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されましたが、豪壮堅固な石垣は残りました。
その後、明治三十三年(一九〇〇) 城跡は鶴山公園として津山町の管理となり、昭和三八年に国の史跡に指
定されました。
丘陵地に建築されたお城なので、かなり階段があります
【現地説明文】
城郭構成
津山城は、吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い山 (鶴山)を利用して築かれた「平山城」といわれる形式の 城郭です。
山頂を平坦に削って本丸とし、本丸を囲むように二の丸、三の丸が高い石垣によって階段状に配置され、南を大手、北を搦手としています。
三の丸下段の南西、北側は総曲輪を形成し、その周囲を土塁と堀で固めています。
一方の東側は急な断崖であり、その直下に南北に流れる宮川を自然の防御線としています。
本丸への通路は、大手、搦手とも鍵の手状に曲がる「枡形虎口」が繰り返形成されており、きわめて防御を意識した構成となっています。
城内の櫓の数は六〇棟を数えます。
これは全国にある他の近世城郭と比べ ても多い方で、城内には建造物がひし めき合うように建ちならぶ堅固な城郭構成をなしていました。
城内最大の表中門
表中門は、三の丸から二の丸にいたる通路の正門にあたります。
門の形式 は、一階部分が城門、二階部分が櫓となる、いわゆる櫓門で、城内に存在する門の中で最大です。
櫓の東側は神石垣上に載り、西側は鉄砲櫓の高石垣に取り付いていました。
門の櫓部分の長さは十六間(約三十二メートル) もありました。
これは大阪城や江戸城の城門に匹敵するほどの規模です。
発掘調査により、東西方向に三列、 南北方向に五列(東端五石、西端四石) の礎石が確認できました。
備中櫓の外観は漆喰仕上げで通常の櫓と同様だが、 本丸御殿指図には備中櫓がその東に接続する長局・到来櫓とともに描かれており、これらの建物が御殿の一部として認識されていたことを示している。
さらに指図よると内部には御座之間や茶室を備え、建具には「唐紙」を用いるなど、内部は完全に御殿建築であり、なおかつ繊細で女性的な仕上げであったことがわかる。
そのためこの槽は、本丸御殿の最奥部という位置からしても、 城主にごく近い間柄の女性もしくは主自身の生活空間の一部として用いられたと考えられている。
このような特異な構造をもつ櫓は類例が少なく、 津山城の建物の中でも特徴的なものであるため、復元整備の対象となったものである。
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(202010)