駅前


相対式ホーム2面2線を有する地上駅です。駅舎があり、中華料理のお店が入っています。駅舎側から高松駅方面のホームへは跨線橋で行く事ができます。


高松駅方面


松山駅方面

駅舎

跨線橋


駅名標

桃太郎電鉄の石像



鬼無の桃太郎伝説

 盆栽と植木で全国にその名を知られる鬼無町は、おとぎ話の桃太郎の鬼退治発祥の里でもあります。

 その昔、女木島の洞窟(鬼ヶ島・鬼の大洞窟)を根城に備讃瀬戸一帯の海上を荒らしていた海賊(鬼)を一宮田村神社に住む姉の倭迹々々日百襲姫令(やまととととひももそひめのみこと)のもとを訪ねて来た、第7代孝霊天皇の第8皇子・雅武彦命=桃太郎が住民の難を知り家来とともに鬼退治に立ち上がります。そして、その家来とは泳ぎが上手で航海術にたけた備前牛窓・犬島の住人(犬)、綾歌郡の住人で陶芸家である猿王館・猿尾・猿飼(猿)、弓の名人で各地の地理に詳しい鬼無佐料の雉ヶ谷の住人(雉)です。

 こうして犬・猿・雉いわば陸・海・空の三軍を統率した桃太郎は自分を育ててくれた老夫婦にいとまごいをし、おばあさんが作ってくれたきび団子を腰に勇ましく出発しました。そして、いよいよ鬼ヶ島沖で海戦が行われましたが、たちまち桃太郎軍が打ち勝ち鬼の大将を取り押さえました。そして宝物を持って意気揚々と帰り着いたところが今の中津です。

 また怒って逆襲しにきた鬼を返り討ちにし、全滅させてしまいました。そしてこの時、鬼の屍を埋めたのが鬼が塚で、この里がのちに鬼無と言われるようになりました。

 鬼無にはおじいさんが柴刈りに行ったとされる柴山やおばあさんが洗濯をしたとされる本津川の支流には洗濯場など、鬼無には物語にゆかりのある地名がたくさんあります。

 後に地元の人々が桃太郎の偉業を称え、桃太郎こそまことの神様であると祭ったのが今に残る鬼無権現桃太郎神社なのです。
桃太郎は『子どもの守り神』として愛されています。

(駅に掲示されていた説明文より)


桃太郎は岡山というイメージですが、果たしてどちらが正しいのでしょうか?



観光名所


鬼無町観光案内図


・鬼無権現桃太郎神社




桃太郎神社へは鬼無駅から徒歩15~20分程で行く事ができます。