視力が低下しました
大学病院に行くには紹介状が必要でしたので近所の総合病院に紹介状を書いてもらうために行きました
眼科の患者数の大半を占める高齢者の白内障患者の皆様は昨年の1月からコロナを警戒して通院を控えていたようです
しかしながら、辛抱できなくなり、今年の3月頃から患者が押し寄せているそうです
眼科の待合室が患者で満ち溢れお隣の待合室までに溢れています
予約患者が沢山いらっしゃる状態のなか、初日は問診と視力検査のみ…
次回は2週間後
2週間がたち 視力はますます悪くなりました
視線を追う検査と眼圧の検査をしましたそしてまた1週間後~
私は、悪化する目に不安を感じ、飲み薬も目薬も頂けないのですか?と思わず質問しました
すると 多分、白内障と思うけどマダマダ検査しないと解らないから…
ふと思ったのは
なまじ検査の道具が沢山有るから総合病院の医者は検査器材を使いたがり、ひと通りの終わるまでは 紹介状を書いて貰えず、相当時間がかかる…と勝手に思いました
3回目 光の調節をしている瞳孔を広げた状態にするため目薬をさして目の底の写真をとりました
そこで ようやく紹介状を書いてくれました
さて会計を待っている間に大学病院の予約センターに連絡しましたら、初診は一ヶ月待ち
医師からの緊急性があれば、その限りではない…と
医師は口添えを拒み、自分の病院の系列病院なら連絡できると…
行っていた病院は眼科と問わず全ての手術をそちらの病院に回していました
1週間後
また検査から行う事になりましたが、一ヶ月かかった検診をその日に済ませました
目の悪くなる進行具合が早く、3ヶ月は手術の予定が埋まっていましたが、3週間後にこじいれて頂きました
手術日が迫りますと同時に、左目が悪化してきました
ついには右目同様、先生が目先5センチにかざした手の指の本数さえも見えなくなりました
先生は白内障と判断され、両目を日帰り手術
その先生の腕は素晴らしく、早いと、看護士が別の患者に話していて「早ければ5分とも」
いよいよ、始まりました…術式は北里大学病院が開発した方法で出血も殆ど無いため、血をサラサラにする薬を服用していても問題ない…
と言われました
目に麻酔を掛けての手術ですから、先生方の声が聞こえました
右目から始まりました
あれぇ~ボロボロだ
これじやあレンズを入れられない…
これは白内障じゃない!!
すると補佐の先生が左目はキャンセルしましょう…
内心、すでに2ヶ月近く会社を休んでいて収入もなく苦しく、キャンセルの言葉に絶望しました
先生が 左目どうします?と聞かれたので
お願いいたしますと
席を離れていたらしい助手にあたっていた先生が戻ってきて左目の手術準備をしている執刀医に 「やるんですか?」と驚いて聞いてました
執刀医の先生は「ああっ~」と
私は、左目は後から悪くなったので一部の望みをかけていました…
先生は やはりボロボロだ…
おや?レンズが乗るかも知れない
奇跡だ…レンズが乗った…と聞こえると同時に視野が広がりました
白濁を取り除き右目も、おぼろげながら風景は見えるようになっていますが左目はよく見えました
左目のレンズは5~10年後にはボロボロの所においてあるので落ちてしまうと言われました
白内障では有りませんでした
目の悪いときの感想
電車
目が見にくく、ホームと車両の隙間や車両との段差が恐く 乗るときは扉の戸袋につかまり乗ります
いつもドア付近に私は、立っていましたが目が悪くなり、そこに立たれていますと 恐くて電車に乗れませんでした
目が不自由な方の為の黄色に塗られたブロック
白濁していて全体が白く見えますが黄色は見えましたが汚れている所は見えなくて壁にぶつかったり大変困りました
自販機の白にもよくぶつかりました
バスはステップと縁石に苦労しての乗降でした
また道路を歩いているときは、ないはずの壁が光と影の具合で見えてしまったり、足音が聞こえない自転車にも苦労しました
なにが一番辛かったか…
突然で自立生活が出来ないので親戚に身を寄せていた2ヶ月のあいだ愛猫に会えなかった事です
1週間分のカリカリを入れて、お風呂場でお水を用意して、裏の畑に行けるように窓を開けてました
昨年8月、心臓病で退院してきた時にガラケーの大きさでベットの下に住み着いていた仔猫
よそに引っ越さず辛抱強く家で待っててくれました
まだ視力が不安定で、毎朝20分ほどで歩ける道を目が見にくいので40分ほどかけて自宅へ
車と人が少ない朝4時に会いに行っています
真っ黒な仔猫
黒猫は健康の神様だそうです
ハッキリ見えませんが 撫でた感じ 抱っこした感じでは痩せていませんが、毛艶は悪くなったみたいで、撫でるとバサバサです
右目は再手術
明日、日程は決まるかも知れません