息子の小学校受験の時のドタバタもいずれ書いていこうと思いますが。。

まずはこのシリーズの完結を優先する事にします。



息子は無事小学校に合格し、楽しい学校生活を送っております。1年生が終わる年の1月。

義父から夫が呼び出され、社長の座を譲り受けました。

ただ、義父は会長となり、まだまだ権限は義父にありです。

給与体制も明細書の記載額面は増えても、あくまで義父からの給与と言う名のお小遣いを手渡しされるのは変わらずです。手渡しされる金額も何一つ変わりません。お金に関しては全て義父が操作しています。

それでも夫が社長になったことで、少しずつ何かが変わるものと思っていました。


社長の座を譲り受けて1ヶ月経たない頃、また義父に呼び出され、三女を会社に入れてやってくれ、との話をされました。

ちなみに義父の会社は謂わゆる同族会社。

私は嫌な予感しかありませんでした。40歳も過ぎると周りでは遺産相続で揉める兄弟も出てきているからです。

しかし夫は会社は一人でも多い方がいいんだと、私の意見も聞かずあっさりと受け入れ、自ら積極的に手続きをしたのです。

この三女がくせ者でした。

その頃の私はまだ、アスペルガーもしらず。。夫の兄弟の事もよくわかっていませんでした。

ただ、この後起こる大事件とほぼ同時期にアスペルガーを知ることとなります。


三女を会社に迎え入れた後、夫が精力的に仕事をするかといえば、生活は全く変わりません。義父から言われたことだけをやる毎日。大体、ビル管理なんて対してやる事なんてないんです。月末の伝票整理くらいかな。なので、夫は毎日ダラダラと家に居て、昼寝、ゲームを繰り返していました。

私は社長になったこのタイミングで生活を変えて行かなければと、夫にビルのテナントに挨拶して回るとか、書類上義父の名義になっているものの名義変更とか、何か資格をとるとか、色々とアドバイスをしました。

ですが。。義父に言われてないから!の一点張り。

あんまりうるさく言えば、喧嘩になるので、放っておくしかありませんでした。


そして3月。息子がインフルエンザにかかった時のこと。

私は茶道の先生方との打ち合わせがあり、家でダラダラしている夫に息子を頼み、(と、言っても朝病院へは私が連れて行き、一通りの段取りをつけて、後、寝ている息子の様子だけみていて下さいという状態です)私は外出しました。


これが後に大変な事にる訳ですが、続きはまた。

次回は夫の家族について触れておこうと思います。