昨日はめっちゃ疲れた。めちゃくちゃ悔しかったし残尿感半端ない。ほんで今日の朝、シャワー浴びてる時に気づいた。何に対して嫌気がさしてたんか自分の中ですっと納得のいく答えが見つかった。それまではほんまに何に対してなんかわからんかったし考えようともせんかった。でも一番嫌悪感を向けてた相手は自分やとわかってほんまによかった。

 

昨日は小学校時代の友達のYと飲みにいっててそこで散々お金持ってて稼いでるという話、色々な経験をしてきたという話、わかりやすくゆうとエゴイストが繰り広げがちな大自慢大会。そーゆうのを2時間ほど聞いてそのあとYと今でも仲がよろしいSがきた。Sは幼い時からバイオリンんを弾いてて今はあんま売れてない割にそこそこ名前のあるバイオリニストらしい(さっき調べた)。衝撃やったのは彼も同じジャンルの人間で、めちゃくちゃバカにするようなトーンで「え、バイトとかしてんの?何やってんの?え、日雇い?何それ?どんなことしてんの?ヘェ〜俺もやりたいわぁ〜」ゆうててはぁなんなんこいつきっしょって心の底から思ってしまった。世の中にはそうゆう人間もおる。ドラマとか漫画に出てきそうな、汚物感がすんんんごいキャラ。それが現実に、しかも小学校時代の友達として自分の人生に登場した。今こうして日記を書くことによって昨日を追体験してる。鼓動が早くなる。やっぱムカつく。ここまで書いてきてまだ発見はある。これだけの悪口をつらつら並べてそれによって不快な感情が込み上げてくるってことは、自分の中に少なくとも羨望があるってゆうことやと思う。嫉妬してる。それと同時に劣等感を感じてる。人は自分の思考が定義した物差しを使い自分と他人を計測する。庶民的な自分の思考が持ってるそれはたぶん、財力とか、これまでの人生に対する満足度とかを測定してるんやと思う。そしてその物差しで測った結果自分が目の前の相手より劣ってた。やから羨望と劣等感が意識にものぼらんような深い無意識下で湧き上がって、それに起因する怒りの感情、憎悪、それから軽蔑することを私の思考は選んだ。軽蔑できる点を頑張って探し出して自我が傷つくのを必死に守ろうとする、自尊心が損なわれへんよう必死に奮闘する。例えば五分前の自分のみたいに「ドラマとか漫画に出てきそうな、汚物感が、、、」てゆうことなる。

 

自分が一番ムカついてるのは、彼らのようなエゴイストと同じ物差しを持ってる自分自身。そのことに今朝、気づいてだいぶスッキリした。理由のわからん嫌悪感ほど残尿感が残るものはない。気づけてよかった。

 

エゴイストはなんで醜いのか。それはメディアとか小さい頃の教育とかが色濃く影響してるんやと思う。いわゆる社会通念。肝心なことはそうゆうスタンスで生きてる人間はどうあがいても持続的で半永久的な幸福が望まれへんってこと。

エゴイストは物質的に満たされてることが多い。それは彼らが努力をした結果なんか、それとも逆に物質的に満たされた後で優越感に浸りたくて強力な自我を育てたんか順序はわからんけどどちらにせよ貪欲な自我を抱えてる。

快楽は海水に似てる。飲めばその一瞬だけ喉の渇きがなくなる。でもすぐにもっと喉が渇いてもっと飲みたくなる。満たされるのは海水が喉を通るその一瞬だけやから。もし自分が持続的な幸福すなわち精神の安らぎを得たかったらまず確実に一つ言えることとして自我、煩悩を捨てなあかん。人を見下したりせーへん心は同時に、自分はこの人に見下されてるって思うことも減るし仮にそれがわかったとしても嫌悪感は気にならん程度しか生まれへん。自分はそうゆう人間になりたい。

慈悲深く謙虚な人ほど全体としての幸福度は高くて科学的にもそれは証明されてる。脳科学的に言ったら前頭葉が発達してストレスに強くなって別の部位では幸福を感じるセロトニンとかの幸せホルモンって呼ばれる神経伝達物質が放出されやすい脳構造になる。ブッダ、キリスト、マザーテレサ、マハトマガンジーを始めスティーブンジョブズ、ケンウィルバーとかがこの脳構造を手にした顕著な例。

 

自分の目標は高校2年の時から大学三年になった今までずっと同じ。精神の平安を実現すること。自我を一刻も早く超克したい。