何もしてない時間を積み重ねるとだんだん憂鬱になってくる。

朝起きて、布団の上でゴロゴロして、スマホ触って、パン食べて、またゴロゴロ。

気づいたらお昼になって、昼ごはん食べて、気づいたら夕方、、、。

 

夕方くらいでその日1日を振り返ると、生産的な活動がなくて萎える。

萎えるくらいなら、向上への意欲を最初から手放しておきたかった。

何か将来のためになることはできたか、この考えが常に意識の側面にべったり付いて剥がれない。

時間を評価してしまう癖をなくすことができればもっと簡単に今幸せになれたと思う。

1分前であっても過去は全て記憶でしかない。

だから積み上げてきた時間の内容は全て記憶で、それに意味を与えて評価判断するのは常に今この瞬間。

今この瞬間の思考は本人が心の底から望めば手放すことができるらしい。

自分がまだ時間を評価してしまうのは「時間」という概念に執着してるから。

頭の中では「過去は記憶で、未来は妄想、その二つは現在の体験」ってわかってても心の底からそう理解してない。

無意識の次元ではやっぱり過去と未来が実在すると思ってる。

もっと時間を機能的な存在として捉えたい。

非常に難しいとは思う。

それが難しいと思い知ったのは浪人時代。

積み上げてきた「努力した記憶」が無駄になってしまうのではないかという恐怖が上から圧迫してきて、明日もその明日もその明日も明日も明日も勉強することへの嫌悪感が足を引きずる。

その瞬間感じた憂鬱を消すために何度も「時間は概念」「今この瞬間が現実」て言い聞かせた。結果、その憂鬱を脱却することは不可能に思われた。

その経験をしててもいまだに脱却を試みるのは、理論上可能であると思ってるから。

強靭な忍耐と集中力があれば、脳の前頭葉を根底から作り変えることができる。はず。

 

過去に辛いことがあった、とか

未来はおそらく辛いことが起こる、とか

それらの思考が無意識を支配して染めてしまわぬよう、現在の自分の思考の機微に傾注しつつ日常生活をこなしていこう。