イチローの言葉の一節である。感動的である。
野球は、物理的に言えば、球を投げて打って、、、とそれだけのものである。
しかし、なぜ、かくも多くの人に愛されるのであろうか?
能力的に超人的に優れているものを見た感動、その背景に隠された多くの努力や人の関わりに対する感動、人間の極地の世界がそこに垣間見ることができるからであろう。
イチローの場合はその全てを備えている凄みがある。
イチローは毎朝カレーしか食べないなど、極めてルーティーンな行動を取ることが知られている。
そのことから察するに天才ではあるが、完全な自信を持っている訳ではないことが伺い知れる。
はっきり言えば、弱さを持っている。
自由奔放に本能だけではやっていけないという弱さが見て取れる。
実際、彼の体格は決して恵まれているわけではなく、努力を伴わなければ、怪我にも泣くし、ここまでの結果は出せなかったであろう。
自身で自分の弱さを知り、かつ、苦しみながら、恐らく孤独にも耐えながら、必死の思いで日々戦っていることだろう。
そんな彼だけに心のよりどころは、努力し続ける自分に対する満足感、プライドであろう。
人に言われることよりも、自分で自分に満足することに大きな価値観を置いているはずである。
そのイチローをして、ヤンキースの選手、ニューヨークのファンは次のような言葉を言わせしめた。
”――仲間がベンチから出てきた時は驚いた
ちょっとやめてほしいと思った。うれしすぎて。僕のためにゲームを止めて、時間を僕だけのために作ってくれる行為はとても想像できるものではない。ただ、ただ、感激した。”
厳しく自分を律し、孤高の意思を持つイチローをして、やはり感激せしめるものは、人の感情であった。
世界の最高峰の舞台で、数万人がすべてイチロー一人を祝福している。
世の中悪意が渦巻いている中、数万人が一心にイチローを称えている瞬間は神々しいものがある。
人間、心に暗いものを持っていない人はいないが、最終的には性善説を信じることができる瞬間だ。
イチローの偉業に対して真に感動できる力、
それを磨き続けるために、平凡な我々も自身の更なる幸せのために頑張り続けなければならない。
