渋谷南口にねちこい歌声が響いていて結構不快だった。
でも映画を見たらそう思わなくなったが、映画に入り込んでしまえば「敵国の言葉じゃ!」なので漢字に直しました。
巧い映画じゃない。
泣かせるための映画でもない。
そうしようと思えば、死の場面でいくらでも泣かすこと出来る。しかしこの映画の死に見せ場は無い。
死を覚悟し死に向かう男。
それを見て、なんていじらしいんだろうと思っていた。なぜそうまでして戦争へ身を置く?それは男だから。なぜ?女より身体能力と体力が優れていた。ただそれだけで男だからと戦争へ行くのだ。
行かなければならない。重責と覚悟と恐怖を一粒も漏らさず全て背負い込んで、それでも立ち上がろうとする姿がいじらしかった。守ってあげたい、支えてあげたいと思った。なぜそうまでする?なぜ立ち上がれる?昭和の良き母、良き妻も誕生するわけですよ。男が男なだけで偉かった時代、それなりの物を背負っていたのだ。
何気なく戦いは始まっており、ボコンボコンにやられる。
死に見せ場無し。
ただ平坦に死んでいく。一人一人にドラマなどなく死んでいく。延々と累々と死んでいく。結構な役どころも、エキストラも平等に。
実際こんなもんだろう。
創られた世界って言うけれど、私はこの映画、できるだけ事実に近いものにしようとする意思を感じた。実際戦争を体験していないのだから、アレが大げさだとか美化されているとかわからない。
でも、何かもものすごく伝えたくて、技巧に走りきれなかったこの映画、口下手だけど思いはすごく伝わっている。
そして、現代の日本で絶対に同じ事は起きない。行けと言っても行かないでしょう?それでいいしそれがいいよ。かつて男が背負っていたものの半分を女が背負うようになり、その分男女が同じ高さに立つようになったよ。
最後、この映画には不要ではないかと思っていた現代のシーンで泣けてきた。映画を回想していたせいもある。エンドロールでカットされた本編以外の映像が惜しげもなく流れるが、どうせならタイタニックぐらい長くてもいいから、思い残すことなく創ってみて欲しかった。
by S☆