ゴルフ文化研究所
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ゴルフ人気

最近ゴルフの人気が復活していますね。


石川遼くん人気だけではなく、普通に周辺にゴルフをする
人が増えてきたように思います。


ゴルフ場も土日はけっこう先まで予約で一杯、平日ゴルフ
に行ってもけっこう混んでいたりします。


かつての70年代の日本のゴルフブームや今の韓国のよう
な、プレーできない、バカ高い、マナーが悪い、というような

状況にならないよう、息の長い人気にしていく必要がありま

すね。


その人気絶頂時代、70年代前半には同じ週にプロトーナ
メントが同時に開催されるという事態もありました。


先週のB.ジョーンズ選手の大逆転イーグルで盛り上がっ
た太平洋マスターズの初期のころや、同時期に定期的に開
催されていた日米対抗戦などは、とにかく外国から有名選
手を招待する関係上、そのスケジュール調整が難しく日本
プロツアーとバッティングすることがしばしばあったようです。


ちなみに太平洋マスターズはアメリカのマスターズ出場選
手を日本に連れてこよう、という壮大な発想があったそう
です。


実際すごいメンバーが招待されていました。


日米対抗戦もそうですが、いつか同じようなことがまた実
現される、そんなゴルフ環境になるといいですね。
(MK)


ゴルフ場接収?

戦前、戦中には敵性スポーツであったゴルフはたいへんな迫害
にあい、禁止的な高い税率を課せられたり、名前をゴルフでな
はく「打球」に変えられたり、皇国臣民の本務を尽くすことが
「目的」となったりしました。


そしてゴルフコースは芋畑や戦後の進駐軍の慰安のために強制
的に接収されたわけです。


いくつかの名門ゴルフコースは閉鎖の憂き目にあいましたが、
多くは先人の方々のたいへんな苦労の末、生きながらえ今に歴
史を刻んでいます。


戦後の高度成長とともにゴルフは一気に大衆化を果たし誰でも
が楽しめるスポーツに進化していったのですが、一方で現在に
至るまで「ゴルフ利用税」なる理不尽な差別的高税率がかけら
ていたりなど、ゴルファーとしては必ずしも喜んでばかりはい
られない環境が未だに連綿と続いていることを忘れてはなりま
せん。


実は今を遡ること40年も前、1960代も終わりのこと、世
はまさに高度成長の真っ盛りの時期にゴルフコースの強制的な
接収に似たようなことが現実におこっていました。


それは荒川の河川敷や多摩川の河川敷にあったゴルフ場が、都
の要請によりゴルフコースの一部を事実上強制的に都に接収さ
れたということがあったのです。


どんどん都市化が進み、公害や緑の少ない殺伐とした住環境が
ようやくまずい、という風潮になり、そういうことが国会で問
題として取り上げられたという時代背景があります。


荒川でいうと赤羽のあたり、多摩川でいうと六郷のあたりにな
ります。

市民の憩いの場を提供するということで、快く無保障で都に提
供したゴルフコースもされば訴訟に至り敗訴したケースもあっ
たようです。


多摩川の六郷ゴルフ倶楽部は訴訟にいたるずいぶんともめたよ
うですね。


六郷といえばJR京浜東北や東海道、横須賀線といった首都圏
大動脈の多摩川の橋のあたり、川崎駅の対岸にあたります。

今では一体何面あるのかわからないほどの広大な野球場とサッ
カー場となっています。


ゴルフコースは影も形もなくなっています。


サッカーや野球場に並んで市民憩いの手軽なパブリックゴルフ
コースが、例えハーフでも、7Hでも5Hでもよいので併設さ
れているといいのにと思います。


ピンシーカー

ウッドの重心位置をいろいろ工夫することにより、いわゆる
慣性モーメントを高め直進性を高めたりたり、球を上がりや
すくしたり、スライスしないようにするといったことが当た
り前のようになっています。


テーラーメードのクワッドシリーズも、ヘッド後方のネジを
調整することにより、その人にあった特性のクラブにカスタ
マイズできることから人気を博しています。


このネジ(=重り)によりカスタマイズするというコンセプ
ト、実は25年も前に実現されていました。

それは“ピンシーカー”と呼ばれるクラブ、ベテランの方で
あればよくご存知のブランドではないかと思います。


25年前の当時はウッドはまだウッドの時代でしたが、パー
シモン素材のヘッドの後方にネジ穴が一つあり、そこに付属
の重さの異なる重りを六角レンチで付け替えることによりバ
ランスを調整するという画期的なものでした。



ピンシーカー



戦中ゴルファー Part4

第二次大戦中、多くのゴルフコースが日本軍から接収される
ことになりました。


ゴルフ場のランキングでいつもトップ常連である名門兵庫県
の廣野ゴルフ倶楽部もそうしたゴルフコースのひとつでした。


昭和19年には当時廣野の代表取締役であった川崎重工の社
長の決断によりコースの農地転用が決定されています。


グリーンを残してあとは耕して芋畑に変っていきました。


コースを保存するためにはそういう選択肢しか無く、多くの
ゴルフコースが似たような経緯をたどったとのこと。


廣野については終戦直前には急遽コース内に滑走路を作るこ
とになり工事が進められましたが途上で終戦を迎えています。


今の廣野の状態からすると、そんなことがあったことは全く
想像もつかないことです。


戦争が終わるとともに、今度は米軍により接収という事態が待

ち受けていました。


敗戦により米軍の慰安設備はすべて日本側が提供せねばなら
ないということがあり、ゴルフコースも次々と米軍に接収されて

いったわけです。


多くのゴルフコースは米兵や将校、その家族たちの憩いの場
となりました。


わたしの想像ではありますが、結果的にこれが幸いして多く
のゴルフコースが存続することになったのではないかと思い
ます。

戦後の混乱期、食糧難の時代にゴルフコースはそのままであ
ればますます荒廃していったのではないかと想像するからです。


昭和26年の平和条約締結により接収も解かれ、ゴルフコー
スは日本人の手に戻ってきました。


ところでわたしの住む近くに米軍のゴルフ場が今でも2つあ
ります。(多摩と座間)


一般の日本人は当然プレーできない米軍専用ゴルフコースで
す。(ただし米軍に勤務していれば日本人でもok)


東京ベッドタウンの住宅密集地のど真ん中に巨大なネット
で防護された広大なゴルフ場があるのはとても違和感があり
ますが、こうした歴史経緯からするとその存在意義について
もいろいろな意味でわかる気がします。


コネがあれば一度プレーしてみたいですね。


別な意味での歴史を感じることはできるかもしれませんから。

戦中ゴルファー Part3

第二次大戦前からの戦時体制下、欧米からもたらされた「敵性」
スポーツであるゴルフは受難の時代を迎えました。


その一つとして、ゴルフ用語の英語表記が強制的に日本語に修正
されたことを紹介しましたが、今回はゴルフ規則そのものがどう
変わったかを紹介します。


戦争開始直後は日本ゴルフ協会は存続していたのですが、ついに
昭和17年に解体され「日本体育協会打球部」にということにな
ってしまいました。(「打球」とはゴルフのことです)


それにあわせてゴルフ規則についても改変されました。

まずゴルフ規則は「打球競技規則」という名称です。


そして規則の最初に書かれる競技の目的は以下のとおり改変され
ています。


「打球競技は皇国臣民の本務を尽すに必要なる精神力並びに体力
 を養うことを目的とす」


またマナーについては以下のとおり。


「打球競技者は武士道の精神に則り、公明かつ真摯なる態度、及
 び敢闘の熱意、並びに必勝の信念を以って競技を終始すべき」


ゴルフは皇国臣民の本務のため武士道の精神をもって闘うものに
なってしまったわけです。
(つづく)

女子プロの歴史

今年の8月、はじめてゴルフの「聖地」セントアンドリューズで
開催された全英女子オープンは見事オチョア選手の独走ぶっ

ちぎりでの優勝で幕を閉じました。


伝統を重んじるスコットランドはゴルフの総本山、セントアンド

リューズは、その倶楽部ハウスについては長年女子禁制とな

っているなど、なかなか女性にとっては敷居の高い世界であ

ったと思いますが、ついに女子オープンの開催に至ったという

ことからも時代は変わったということを実感します。

プロである以上、参加することではなく、勝つことに意義を見出

さなければならないのでしょうが、今回の全英オープンに限っ

ては参加したことに意義があるといってもよいのではないでしょ

うか。


多くの女子プロゴルファーがカメラを片手に練習ラウンドをこな

していたと聞きましたがさもありなんと思います。


ちなみに日本で最初に女子オープンが開催されたのは1968

年12月、TBS女子オープンと銘打ってTBS越ケ谷ゴルフクラ

ブで開催されています。


女子プロは意外と歴史は浅いです。

フラッグ

全英女子オープンの予選2日目は日没サスペンデッドと
なりました。


2日目は不動選手ががんばっています。


さて、開催地のセント・アンドリューズ、ご存知のとおり
スコットランドの海辺のゴルフ発祥の地です。


そのクラブハウス(正確にはR&Aのクラブハウス)の正面
玄関前にはためくクラブフラッグが“SALTIRE”と呼
ばれるX字クロスの旗です。


この旗はスコットランドの国旗でもあり、西暦800年ヨー
ロッパ暗黒時代の戦乱期にスコットランドが建国されたとき
にできあがったものとされています。


背景の青地は空を意味しています。


海辺の町セント・アンドリューズ、このクラブフラッグは帆船
から取り外されたマストに取り付けられているといいます。


そのマストは19世紀に喜望峰ルート最速記録を樹立した
かの有名な「カティサーク号」のメインマストだと聞いたこと
があります。




今はどうなっているのでしょうかね。


それにしてもまさしく歴史のかたまりです。


raflag

戦中ゴルファー(用語編)

第二次大戦前からの戦時体制下、欧米からもたらされた「敵性」
スポーツを愛するゴルファーにとっては受難の時代を迎えました。


その一つとして、当時は野球などでもあったことですが、用語
から敵性言語である英語が禁止され日本語に変えられたという
ことがあります。


例えば以下のような具合です。


 ゴルフ : 打球
 クラブ : 打杖
 ティ・グラウンド : 打出シ区域
 ティ・アップ : 乗セ球
 スルー・ザ・グリーン : 普通区域
 キャディ : 球童
 カジュアル・ウォーター : 不定水溜
 グリーン : 球孔区域
 ストローク・プレー : 打球競技
 マッチ・プレー : 区数競技


日本の柔道は今や国際スポーツですが、“一本背負”はどこの
国へ行っても“IPPON-ZEOI”ですよね。


英語に訳すのはとても難しいです。


ゴルフも同じです。“GOLF”や“GREEN”“TEE”
には歴史的な語源があり、意味合いが込めれています。


“GOLF”が“打球”、それは無いだろうと。


ただ、言え一つだけ気に入った表現があります。

それは“球童”。これはなかなかいいと思ってしまいました。


全米プロ開催

今年最後のメジャー、全米プロ(PGA CHAMPIONSHIP)
がいよいよ8月9日より開催されます。


今年の開催コースは数々のメジャートーナメントの開催地ともなった
名門、Southern HillCountry Club(SHCC)です。


SHCCは南部、テキサスの真上に位置するオクラホマ州第2の年、
タルサに所在します。


1935年に開設され以下の数々のメジャートナーメントの舞台となり
ました。


 1946年 全米女子アマチュア (優勝者 ザハリアス)
 1958年 全米オープン (優勝者 トミー・ボルト)
 1965年 全米アマチュア (優勝者 ボブ・マーフィー)
 1970年 全米プロ (優勝者 デーブ・ストックトン)
 1977年 全米オープン (優勝者 ヒューバート・グリーン)
 1982年 全米プロ (優勝者 レイ・フロイド)
 1994年 全米プロ (優勝者 ニック・プライス)
 2001年 全米オープン (優勝者 レティーフ・グーセン)


昨年の覇者ウッズの巻き返し連覇はあるのか。


2001年全米オープン以来の開催、嵐の予感を感じさせる中南部、
どんなドラマが待ち受けているか。とても楽しみです。


* 写真はSouthern Hills 最終ホール、18番
* のアプローチビュー。

* ここからのアプローチショットが勝敗をわけます。


SHCC



戦中ゴルファー Part2

第二次大戦前からの戦時体制下、欧米からもたらされた「敵性」
スポーツを愛するゴルファーは受難の時代を迎えました。


例えば税率が次々とアップしていき、終戦前には150%にまで高

まっていきました。


一方でコースそのものの軍による接収や閉鎖も次々と行われて
いきました。


多くは耕作地として転用されいきます。


戦後にはそうしたゴルフ場も再開されていくのですが、再開され
なかったゴルフ場として、日本最初の本格的日本人ゴルフ倶楽部
である“東京ゴルフ倶楽部 朝霞コース”があります。


接収といっても陸軍に対して売却された形となったためのようです。

この朝霞コースは、アリソンバンカーで有名なアリソン氏が設計
したコースで、フェアウェイにアンジュレーションを人工的に作り
出すために1メートルもの客土をしていたり、排水のための水道管
が縦横に張り巡らされ、スプリンクラーも設置されるなど、当時で
は最高のコースとして評価されていたとのこと。

(続く)

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