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韓国散策memo

韓国散策で
撮った写真と一緒に
調べたこと、感じたことを
memoのように綴っています。
個人的なmemoなので
転記・転載はご遠慮下さい。

本 이화동:梨花洞(イファドン)というマウル 本
 

 
韓国の昔の都を囲むソウル城郭・漢陽都城周辺には
 
「성곽마을:城郭村」と呼ばれるマウルが幾つかあります。


ナクサン-13a

朝鮮王朝時代に景福宮を中心として
 
北岳山(プガッサン)・駱山(ナクサン)・仁王山(イナンサン)・
 
南山(ナムサン)にまたがるように築かれた
 
全長約18.2kmの서울성곽・ソウル城郭
都城地図02

이화동:梨花洞(イファドン)は駱山公園周辺の
 
マウルのひとつでもあります。
 
本 이화동:梨花洞(イファドン)の由来 本
 
朝鮮王朝 11代王・中宗(チュンジョン)の時代以前、1500年頃、
 
今から約500年前から、この辺一帯は梨畑でした。
 
ここに建てられた停子(東屋)が梨花停:이화정(イファジョン)
 
と呼ばれたことから、「梨花停洞:이화정동(イファジョンドン)」
 
という地名になったと言われています。
1900年頃まで残っていた梨花停は
 
植民地時代に壊されてしまい地名も梨花洞となりました。

ナクサン02
景福宮から市内バス(601)で10分程乗り
 
「韓国放送通信大学」で降りると梨花洞はすぐです。
梨花洞51

한국방송통신대학교:韓国放送通信大学校
 
大学の敷地内を通り抜けて進んで行くと・・・

ナクサン-02a



ナクサン-03

낙산공원・駱山(ナクサン)公園の案内に出てきます。
 
写真、階段の奥の方に見えているのが

이화장:梨花荘(イファジャン)です。
 

ナクサン-04

メモ 이화장:梨花荘(イファジャン) メモ
 
1945年の独立後、韓国で初代大統領となった
 
이승만:李承晩(イ・スンマン)が暮らしていた伝統家屋で
大韓民国政府樹立の準備した場所でもあります。
 

梨花荘-01

 
別棟の組閣堂は、
初代内閣を組織した歴史的な建築物で、
敷物や木の椅子などは当時のままだそうです。


「大韓民国建国大統領李承晩博士記念館」として
歴史資料、家具、遺品等を展示し、1988年開館しました。

 

本 梨花荘(イファジャン)は文化芸術家の古宅等と共に

ソウル市の「近代遺産1000ヶ所」に選ばれましたが、

工事の為現在は休館中です。(最終確認:2016年6月)


メモ 이승만・李承晩(イ・スンマン) メモ

李承晩(イ・スンマン)[1875年~1965年]は
李氏朝鮮初代国王・李成桂(イ・ソンゲ)の五男の
太宗(テジョン)=李芳遠(イ・バンウォン)の長男で
譲寧大君(ヤンニョンデグン)の16代末裔 となります。

ふたば 譲寧大君は世宗(セジョン)・ハングルを制定した4代王の兄。

王族の出身であることを誇りにしていた李承晩は
少年時代は科挙合格を目指していました。  
(1894年に科挙制度は廃止されたので途中で断念)
その後「独立協会」、別称「開化派」に参加しました。
 
 
本 「開化派」は、「開化党」「独立派」「独立協会」とも呼ばれ
甲申政変の金玉均、
第二次日韓条約により売国奴と呼ばれている李完用
等が主導していました。  
 
 
李承晩は、26代王高宗(コジョン)が独立協会を
解散させた事に伴い逮捕され、
拷問の末、1904年まで獄中にいました。  
 
日露戦争勃発後、危機感を抱いた高宗(コジョン)により、
李承晩は釈放され、アメリカ大統領ルーズベルトへの  
書簡を託されました。(←失敗しました)
そのままアメリカの大学で博士号をとり、  
その後ハワイに居住しながら
朝鮮独立運動に携わっていきます。  

 
1919年2月1日、日本植民地期に
 
「日本帝国による合併は無効である」と宣布した『大韓独立宣言書』は、
 
2.8独立宣言や3.1独立運動の先駆的役割を果たしました。
 
その『大韓独立宣言書』の左下には
 
署名者39人の名前が明記されていますが、
 
その中に李承晩(イ・スンマン)の名前も入っています。
 
 
植民地とされた朝鮮半島では
 
日本政府の厳しい監視と弾圧があったため
 
大韓民国臨時政府上海で樹立されました。
 
その初代大統領が李承晩でした。
 
1945年、日本が敗戦したことで、朝鮮が解放され
 
在朝鮮アメリカ陸軍の直接支配下となった韓国に
 
李承晩は帰国し、大韓民国政府樹立の準備をし、
 
アメリカの支持を得て大韓民国の初代大統領となります。
 
 
 
12年間続いた李承晩の独裁政治は、戒厳令をひいても
 
ソウル市民3万人の退陣要求・デモを退ける事は出来ず、
 
1960年アメリカに亡命します。
 

  
ナクサン-03
 
階段の手前の案内版には 「낙산공원 ↑ 420m」 と。

メモ 낙산공원・駱山(ナクサン)公園 メモ

 
山の形が駱駝(ラクダ)に似ていることから駱山(ナクサン) 
と呼ばれるようになった「駱山(ナクサン)公園」には、 
史跡第10号に指定されている城郭 
한양도성・漢陽都城(ハニャントソン)があります。
 
また、国の文化観光部(公共美術推進委員会)の企画事業
「ART in City 2006 - 駱山プロジェクト」によって 
パブリックアートスポットとなり、観光はもちろん、
ドラマのロケ地としても有名な場所となっています。
 


ナクサン-05

文化観光部(公共美術推進委員会)の企画は
 
이화동 낙산(梨花洞 駱山/イファドン ナクサン)プロジェクト
  「路上美術館」とも呼ばれています。
 
 
プロジェクトのテーマは
「繫ぐ、混ぜる、共に調和する」
 

駱山プロジェクトは約70人の芸術家と住民によって

約80個もの作品があり・・・

 
当初、このような説明と共に進められてきた企画
 

『梨花洞駱山(イファドンナクサン)プロジェクト』は、

街の活性化をも成功させた事例となっていましたが

同時に、梨花洞を誰も想像できなかった「観光地」へと

変えていきました。

ナクサン-06

* 梨花洞(イファドン)壁画マウルの花階段 *

 
 

駱山(ナクサン)周辺には城郭村が幾つかありますが
「梨花洞」を歩くと、

生活の匂いがしないと感じることが多々あります。


ナクサン-07  
 

 

 
 
ナクサン-08  
 
 
お洒落なカフェや小さな可愛い博物館が
 
このマウル(村)の歴史とも住民とも関係なく増え続け、、、

ナクサン-09  
 
 
 
プロジェクト当初から住民の反対があり
可愛い壁画しかなかった梨花洞に、注意書き
 
「ごみを捨てないで」「住んでる人がいます。静かに。」
 
を見かけるようになってから数年後・・・
 

 
 
「花階段」の「花」が消えました。

 梨花洞005
 
 

 
 2016年4月15日、住民によって「花」が消され、
その8日後には
近くの「魚の階段」の「魚」も住民の手によって消されました。
 

ナクサン-10a  
 


気が付くと、観光地を歩いていた足は

 

山の中、梨花荘の裏山を歩いていました。

   

「裏山での散策を楽しんだ」

 と言われている李承晩(イ・スンマン) 
 



 ナクサン-11a
 

李承晩(イ・スンマン)直筆の石碑がありました。
 
「敬天愛人」
 
경천애인 ・・・天(神)を敬い人(民)を愛する
 

ナクサン-12aa


「漢城(朝鮮王朝時代)」「京城(日帝時代)」「ソウル(解放後)」
 
同じ場所が三つの名称で呼ばれた全ての時代を生き
 
大韓民国の初代から3代まで大統領を歴任し
 
そのあまりにも酷い独裁政治と虐殺

済州島四・三事件、麗順事件・・・
 
 
李承晩(イ・スンマン)が亡命したのが1960年。
1965年に亡命先のハワイで息を引き取りました。


ナクサン-13a

59年前、李承晩が歩いた

 

이화동:梨花洞(イファドン)という마을(マウル)を歩きます。

 

2014年9月21日
 5年前のこの晴れた日が  
私が初めて이화동:梨花洞(イファドン)を歩いた日でした。
 
 
   

    チューリップ MEMO チューリップ   


写真:2014年9月21日

 서울시 종로구 이화동에서 

ソウル市 鐘路区 梨花洞(イファドン)にて

 文:2016年6月5日 

加筆:2019年10月8日