韓国の昔の都を囲むソウル城郭・漢陽都城周辺には
「성곽마을:城郭村」と呼ばれるマウルが幾つかあります。

朝鮮王朝時代に景福宮を中心として
北岳山(プガッサン)・駱山(ナクサン)・仁王山(イナンサン)・
南山(ナムサン)にまたがるように築かれた
全長約18.2kmの서울성곽・ソウル城郭
이화동:梨花洞(イファドン)は駱山公園周辺の
マウルのひとつでもあります。
이화동:梨花洞(イファドン)の由来
朝鮮王朝 11代王・中宗(チュンジョン)の時代以前、1500年頃、
今から約500年前から、この辺一帯は梨畑でした。
ここに建てられた停子(東屋)が梨花停:이화정(イファジョン)
と呼ばれたことから、「梨花停洞:이화정동(イファジョンドン)」
という地名になったと言われています。
1900年頃まで残っていた梨花停は
1900年頃まで残っていた梨花停は
植民地時代に壊されてしまい地名も梨花洞となりました。
景福宮から市内バス(601)で10分程乗り
「韓国放送通信大学」で降りると梨花洞はすぐです。
한국방송통신대학교:韓国放送通信大学校
大学の敷地内を通り抜けて進んで行くと・・・
낙산공원・駱山(ナクサン)公園の案内に出てきます。
写真、階段の奥の方に見えているのが
이화장:梨花荘(イファジャン)です。
이화장:梨花荘(イファジャン)です。
1945年の独立後、韓国で初代大統領となった
이승만:李承晩(イ・スンマン)が暮らしていた伝統家屋で
大韓民国政府樹立の準備した場所でもあります。
別棟の組閣堂は、
初代内閣を組織した歴史的な建築物で、
敷物や木の椅子などは当時のままだそうです。
「大韓民国建国大統領李承晩博士記念館」として
歴史資料、家具、遺品等を展示し、1988年開館しました。
梨花荘(イファジャン)は文化芸術家の古宅等と共に
ソウル市の「近代遺産1000ヶ所」に選ばれましたが、
工事の為現在は休館中です。(最終確認:2016年6月)
이승만・李承晩(イ・スンマン) ![]()
李承晩(イ・スンマン)[1875年~1965年]は
李氏朝鮮初代国王・李成桂(イ・ソンゲ)の五男の
太宗(テジョン)=李芳遠(イ・バンウォン)の長男で
譲寧大君(ヤンニョンデグン)の16代末裔 となります。
譲寧大君は世宗(セジョン)・ハングルを制定した4代王の兄。王族の出身であることを誇りにしていた李承晩は
少年時代は科挙合格を目指していました。
(1894年に科挙制度は廃止されたので途中で断念)
その後「独立協会」、別称「開化派」に参加しました。
甲申政変の金玉均、
第二次日韓条約により売国奴と呼ばれている李完用
等が主導していました。
李承晩は、26代王高宗(コジョン)が独立協会を
解散させた事に伴い逮捕され、
拷問の末、1904年まで獄中にいました。
日露戦争勃発後、危機感を抱いた高宗(コジョン)により、
李承晩は釈放され、アメリカ大統領ルーズベルトへの
書簡を託されました。(←失敗しました)
そのままアメリカの大学で博士号をとり、
その後ハワイに居住しながら
朝鮮独立運動に携わっていきます。
1919年2月1日、日本植民地期に
「日本帝国による合併は無効である」と宣布した『大韓独立宣言書』は、
2.8独立宣言や3.1独立運動の先駆的役割を果たしました。
その『大韓独立宣言書』の左下には
署名者39人の名前が明記されていますが、
その中に李承晩(イ・スンマン)の名前も入っています。
植民地とされた朝鮮半島では
日本政府の厳しい監視と弾圧があったため
大韓民国臨時政府は上海で樹立されました。
その初代大統領が李承晩でした。
1945年、日本が敗戦したことで、朝鮮が解放され
在朝鮮アメリカ陸軍の直接支配下となった韓国に
李承晩は帰国し、大韓民国政府樹立の準備をし、
アメリカの支持を得て大韓民国の初代大統領となります。
12年間続いた李承晩の独裁政治は、戒厳令をひいても
ソウル市民3万人の退陣要求・デモを退ける事は出来ず、
1960年アメリカに亡命します。
階段の手前の案内版には 「낙산공원 ↑ 420m」 と。
文化観光部(公共美術推進委員会)の企画は
「梨花洞」を歩くと、
2016年4月15日、住民によって「花」が消され、
済州島四・三事件、麗順事件・・・

낙산공원・駱山(ナクサン)公園 ![]()
山の形が駱駝(ラクダ)に似ていることから駱山(ナクサン)
と呼ばれるようになった「駱山(ナクサン)公園」には、
史跡第10号に指定されている城郭
한양도성・漢陽都城(ハニャントソン)があります。
また、国の文化観光部(公共美術推進委員会)の企画事業
「ART in City 2006 - 駱山プロジェクト」によって
パブリックアートスポットとなり、観光はもちろん、
ドラマのロケ地としても有名な場所となっています。
文化観光部(公共美術推進委員会)の企画は
이화동 낙산(梨花洞 駱山/イファドン ナクサン)プロジェクト
「路上美術館」とも呼ばれています。
プロジェクトのテーマは
「繫ぐ、混ぜる、共に調和する」
駱山プロジェクトは約70人の芸術家と住民によって
約80個もの作品があり・・・
当初、このような説明と共に進められてきた企画
『梨花洞駱山(イファドンナクサン)プロジェクト』は、
街の活性化をも成功させた事例となっていましたが
同時に、梨花洞を誰も想像できなかった「観光地」へと
変えていきました。
* 梨花洞(イファドン)壁画マウルの花階段 *
駱山(ナクサン)周辺には城郭村が幾つかありますが「梨花洞」を歩くと、
生活の匂いがしないと感じることが多々あります。
お洒落なカフェや小さな可愛い博物館が
このマウル(村)の歴史とも住民とも関係なく増え続け、、、
プロジェクト当初から住民の反対があり
可愛い壁画しかなかった梨花洞に、注意書き
可愛い壁画しかなかった梨花洞に、注意書き
「ごみを捨てないで」「住んでる人がいます。静かに。」
を見かけるようになってから数年後・・・
「花階段」の「花」が消えました。
2016年4月15日、住民によって「花」が消され、
その8日後には
近くの「魚の階段」の「魚」も住民の手によって消されました。
気が付くと、観光地を歩いていた足は
山の中、梨花荘の裏山を歩いていました。
「裏山での散策を楽しんだ」
と言われている李承晩(イ・スンマン)李承晩(イ・スンマン)直筆の石碑がありました。
「敬天愛人」
경천애인
・・・天(神)を敬い人(民)を愛する
「漢城(朝鮮王朝時代)」「京城(日帝時代)」「ソウル(解放後)」
同じ場所が三つの名称で呼ばれた全ての時代を生き
大韓民国の初代から3代まで大統領を歴任し
そのあまりにも酷い独裁政治と虐殺
済州島四・三事件、麗順事件・・・
李承晩(イ・スンマン)が亡命したのが1960年。
1965年に亡命先のハワイで息を引き取りました。

59年前、李承晩が歩いた
이화동:梨花洞(イファドン)という마을(マウル)を歩きます。
2014年9月21日
5年前のこの晴れた日が
私が初めて이화동:梨花洞(イファドン)を歩いた日でした。
MEMO
写真:2014年9月21日
ソウル市 鐘路区 梨花洞(イファドン)にて
加筆:2019年10月8日














