ドロジが今まで書いてくれていたのだが(笑)
面倒くさそうなので自分で書きます。。
前回中学卒業辺りまで書いたのだ
http://ameblo.jp/takuxxxx/entry-11324791551.html
オイラの中学卒業と同時に父親は定年となり
家を建てたわけです。
古い人だったので昔の武蔵野の面影のあるところということで
枡本家は東京の西 福生というところに降り立ったのだ。
もともと母は小金井うまれ小金井育ちだったり
父も小石川から小金井に来たりして
西東京になじみを感じていたのかもしれない。
ところがどっこい
武蔵野の面影もなにも
その福生という街はロックでヒッピーな街であったわけで
枡本少年をロック漬にする決定的な要素が
この引っ越しということになる。
そして、高校に入学してちょうどオイラの前に座っていた奴は
どこかほかの学校からダブってきたひとつ上のバンドをやっている奴だった。
中学生のときあっという間にフォークギターに挫折したオイラであったが
そいつが文化祭で弾き語り(バンドはまだ許されていなかった)をやるのをみて
やっと弾き方が分かったわけで(笑)
その高校一年の夏の終わりから日夜フォークギターを弾くことになるのだな。
そして友達と自転車で福生の街を徘徊していると
あちこちの電柱に「山口富士夫ライブ UZU」とか張り紙がしてあるわけで
友達と「このひと すごいらしいぜ!」とか言いながら
でも怖くていけないわけで(笑)
実際その頃の富士夫ちゃんのライブは客が怖かったらしい(笑)
米軍基地もあったり、今みたいに道も広くなく
基地沿いの店もバブル前で元気なく
赤線もヤ○ザだらけだったり
円安だったから外人だらけだったり
なんとも退廃的で枡本少年には刺激的であった。
まだ、ジギーやジュンスカイウォーカーズがUZUで毎週のようにライブをやっていて
ストリートスライダーズは一歩間に合わず、ちょうどデビューしていて福生では
演奏していなかった。
そんな刺激的な毎日のなか枡本少年は高一の冬ついにエレキギターを立川の楽器屋さんで
購入するのである。
あの時担いで帰ってきたギターとアンプには大きな夢が詰まっていた。
その夢はいまも変わっていない。
その後紆余曲折色々あったが
いま続けられていることに感謝である。
あの時ギターを背負って楽器屋から帰ってくる枡本少年に
ありがとうと言いたい。