宮本たくるブログ -2ページ目

来週の東京は?

来週ついにタグボートアートフェス!!

土日の両日とも在場しておりますので、
お近くにお越しの際には是非とも足をお運び下さい!!w

宮本たくるは基本ブースに立っております。
いない時はトイレだと思います。

僕はこういったイベントの時は、お昼ご飯を食べずにずーっとその場にいます。

お金を出して出展し、東京まで遠征しているにも関わらず席を外すとは何事!!??
これが僕の考え方です。

ただ、ヘルニアを患っており、前日夜行バスでの上京ですので
もしかしたら痛みでフェードアウトしているかも。。。

けど頑張ります!

もしこのブログを読んで下さっている方がいらっしゃいましたら
ご来場頂いた際に、僕に一言「ブログ読んでますよ」ってお声がけ下さい!



そしたら、



なんと!!!




宮本は喜ぶ事でしょう♪w


だってブログ更新しても読んでもらえているのか分からないんやもん。w

私が絵を描く理由

少し長くなりますが、
宮本たくるが歩んで来た27年間を辿りながら
今も絵を描き続けている理由をお話ししたいと思います。


宮本たくるは中学生の頃までは
とても明るく、いたずら好きで、人の気持ちを考えずに自分の好きなように過ごしていました。
沢山の人を傷つけたと思います。
しかし周りの皆がとても優しい人達ばかりでしたので
その優しさに甘え、とても充実した学生生活を過ごしておりました。
生徒会長になったり、馬鹿な事沢山やったり、
学校では目立つ方だったと思います。


そんな僕が高校に入り、アメフト部に入部。
そこから人生が変わりました。
当時身長も低く、力のない僕が、中学の時のように調子にのっていたら
目をつけられるのは当然の事で、
入学して1ヶ月ほどでイジメられるようになりました。
イジメといっても、まだ可愛いもので
すれ違いに2、3発殴られる。
お弁当を食べられる。
僕のものが壊されている。
恥をかかされる。
大勢の人に馬鹿にされる。
など、それくらいのレベルなので、血を流した事はないですし
大した事ではないのですが、
僕からすると、中学の時に比べると温度差がありすぎて
クラブ活動も長くは続きませんでした。
半年で退部し、そこで宮本たくるには「逃げ癖」「負け慣れる」という性格がつきました。
それからの高校生活は地獄でした。
全てが嫌で、毎日何もなく終る事を祈りました。
人に遭遇しない為にもトイレも極力控えました。
毎日、嫌いな人を殺す事だけを考えました。

高校の時の記憶はあまりありませんが
今でも登校時に学食から香ってくる焼きたてのパンの臭いで
吐きそうになっていた事は覚えています。


男性不信に陥った僕は大学に入って変わりました。
僕の通った大学は女性の方が多く、僕としては居心地の良いとこでした。
大学に入って何人かの女性とお付き合いしました。
入学して1ヶ月ちょっとで付き合い始め、
それからは、別れては違う子と付き合い、別れては違う子と付き合いの繰り返しでした。
こんな書き方をすると「ただの女たらし」と思われてしまうと思うのですが、
今思い返すと、
僕は高校の時に友達の作り方を忘れ(正確には友達に対する自身の接し方、気持の持ち方)
本当に心を開く事の出来る相手を求めて、理解者を求めて
彼女を探していたのだと思います。
中学の時は彼女がいなくても友達がいたので全然平気でしたし
むしろ彼女とかよりも友達と遊びたい!そういう人でした。

そんな僕が、絵を描き始めたきっかけは
三回生の頃にしたグループ展でした。

いろんな方に作品を見て頂いて、嬉しいお言葉も沢山頂きました。
その一言一言が自信へと繋がりました。
積極的に露出するようになり、その結果沢山の方と繋がって、展示する機会を頂いたりしました。
友達も出来、高校の経験があったからこそ今の自分があるのだと
そう肯定するようにもなりました。


社会人になり、
印刷会社に勤め、嫌々会社に行き、1年で仕事を辞めました。
本当にダメな人間でした。けど絵を描く事は続けました。
次の仕事は給料は低いけども、制作と両立出来るような仕事を選びました。
薄給の中、頑張って制作をして、いつか結果が出る事を祈って今日までやってきました。


しかし最近は結果が出ないという事と、親が60歳を迎えるという事もあり
正直このままでいいのかどうか悩んでいる所です。
周りは結婚して子供を作ったり。
仕事を頑張ってプライベートを充実させたり。
それに比べて僕は、
生活するのがやっとで、作品を発表してもそこまでの評価はなく
周りと引き離されて行く焦燥感でいつもしんどかったです。
それならいっその事、制作を辞めて、普通に仕事すればいいと思うのですが
それが出来ないのが僕なんです。
高校の時に染み付いた「逃げ癖」「負け慣れる」が
大学で無くなったかのように思われましたが、やはり簡単には拭い取る事は出来ないみたいです。
一度でも自分は弱者だと思ってしまった人間は社会不適合者になるようです。
一部例外もあると思いますが、
僕の場合、中学の時はしっかりとした足場の所に立って安心していたのですが、
高校でその足場がくずれ落ち、なんとか片手でしがみ付いている状態です。
そのしがみ付く事が出来ている一つの要因が「制作」です。

「制作」はダメな僕を肯定してくれた唯一の武器なのです。

僕が社会人であろうとする為に「制作」は切り離せないものなのです。
言い換えると「制作」に逃げています。
しかしこの逃げ場が無くなった時、僕の逃げる所はひとつしかないのだと思います。

ネットで調べた事があるのですが
元苛められっ子は将来負け組になる。という考え方には多くの方が賛同していました。

テレビで取り上げられる内容として
苛められっ子が頑張って成功したというドキュメンタリーよりも
元暴走族の総長が今ではボランティアで相談所をしている。とか
芸能人でも昔は暴走族をしていた。とか
結局勝ち方を知っている人間が出世している事の方が多いのです。(個人的感想)


自分がこのような立場になって初めて分かったのですが
イジメの一番怖い所は、その時に精神的苦痛と肉体的苦痛を与える事ではなく
その子の生涯の性格に大きく反映されるという事。
イジメっ子は「昔は悪かった」と言って過去と現在を切り離す事が出来ても
イジメられっ子は卑屈になって今もまだ当時の憎しみを忘れる事は出来ないのです。
過去を切り離す事の出来ない僕たちは、未来の事を考えるよりも
過去の自身の過ちを反省し、次の対人関係をより良くする為に接し方を日々考えているのです。


僕は負けたくない。出来れば皆と並んで歩きたい。
親に沢山迷惑かけたし、心配もかけたし、今もまだ世話になってるし
そんな親を早く安心させたい。
彼女にはいろいろしてもらってるし、遊びに連れて行ってあげれてないし、
彼女のご両親もきっと心配している事だろうし、
他の子達のような幸せを彼女にも与えてあげたい。


5月の24日・25日と東京の増上寺で「TAGBOAT ART FES」に出展します。
そこで自信に繋がる事を信じて制作します。

最後まで読んで下さった方本当に有り難うございました。

樹形図

今の自分が情けなくて

かと言って何か出来る訳でもなく

やる事と言えば、過去の過ちを反省し、

あの時こうなっていたら、あの時こうしていれば、

たらればの妄想ばかり


社会人になってからの事を反省し、

それでも足りず

「もしかしたら大学生の時にあの過ちを犯さなければ社会人になってからの反省はなかったのではないか」

と、大学生までさかのぼり反省する。

しかしそれでも足りず

高校生の時ああしていれば、中学生の時にあのような事をしなければ、

と過去を辿る


もし今の記憶のまま、過去に戻る事が出来るのであれば

いろいろと修正しながら人生をやり直すのに

等とくだらない事を考えてしまう


仮に過去に戻る事が出来たとしても、

その自分は結局、一度過去を体験した自分で

一度犯した過ちは消える事はない


一生背負い続けないといけないという事を分かっていながらも

過去に責任転嫁して、今の自分を見つめようとしない僕は

ただの怠け者だ。