中国鉄道大紀行以来の5年ぶりの中国鉄道旅行となった関口知宏さんが、高校生5人を
誘っての旅は、あらためて、個々のつながりは国やイデオロギーと違った次元である
ことを思い出させてくれました。
今回の旅では関口さんは前面に出ず、高校生の兄貴分のように、気付きを促す役回り
だったのも好感がもてました。
2012日中国民交流年 40周年事業
http://jca40.org/event/promote/journey/
gooテレビ番組
http://tvtopic.goo.ne.jp/program/info/596553/index.html
2003年9月、初めての中国出張(北京、上海)に行った時、休日を挟んだ日程だったので
休日に蘇州に行きました。当時は、小泉首相の靖国参拝、SARS騒動で日本人の旅行者を
ほとんど見かけない状況で、蘇州から帰りの電車は貨物列車のようなオンボロ電車でした。
(往きは快適な急行で50分で蘇州に着きましたが、帰りは3時間かかりました。)
中国内陸部から農家の人達が都市部で売る商品を山ほど積んでおり、車内も立っている人が
多かったです。私は会社の先輩社員と二人で、上海までずっと立ちっぱなしを覚悟していま
した。また、現在ほどではありませんが、反日感情が高まっていたので、とても心配でした。
でも、まったく違いました。そばに座っていた人達が私達に興味を示してきたので、筆談
中心にコミュニケーションをとり始め、とても和やかに過ごすことができました。
(彼らは漢字を読むことができますが、書くのは苦手でした)
そのうち、商品である柿を分けてくれたり、自分は立って席を譲ってくれたり、心遣いが
嬉しかったです。
きっと農村でも反日教育がされていたでしょう。それでも、個々人では相手のことを尊重
できる関係を築けるのでは!とその時から思っています。
BGM的に使われていた「光あるもの/大山百合香」も心に響きました。
誘っての旅は、あらためて、個々のつながりは国やイデオロギーと違った次元である
ことを思い出させてくれました。
今回の旅では関口さんは前面に出ず、高校生の兄貴分のように、気付きを促す役回り
だったのも好感がもてました。
2012日中国民交流年 40周年事業
http://jca40.org/event/promote/journey/
gooテレビ番組
http://tvtopic.goo.ne.jp/program/info/596553/index.html
2003年9月、初めての中国出張(北京、上海)に行った時、休日を挟んだ日程だったので
休日に蘇州に行きました。当時は、小泉首相の靖国参拝、SARS騒動で日本人の旅行者を
ほとんど見かけない状況で、蘇州から帰りの電車は貨物列車のようなオンボロ電車でした。
(往きは快適な急行で50分で蘇州に着きましたが、帰りは3時間かかりました。)
中国内陸部から農家の人達が都市部で売る商品を山ほど積んでおり、車内も立っている人が
多かったです。私は会社の先輩社員と二人で、上海までずっと立ちっぱなしを覚悟していま
した。また、現在ほどではありませんが、反日感情が高まっていたので、とても心配でした。
でも、まったく違いました。そばに座っていた人達が私達に興味を示してきたので、筆談
中心にコミュニケーションをとり始め、とても和やかに過ごすことができました。
(彼らは漢字を読むことができますが、書くのは苦手でした)
そのうち、商品である柿を分けてくれたり、自分は立って席を譲ってくれたり、心遣いが
嬉しかったです。
きっと農村でも反日教育がされていたでしょう。それでも、個々人では相手のことを尊重
できる関係を築けるのでは!とその時から思っています。
BGM的に使われていた「光あるもの/大山百合香」も心に響きました。