彦根城は天守がある高台までは何とかたどり着きましたが、階段がかなり急傾斜に
なっているのでお城の内部には入りませんでした。
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国宝である四天守のうち、他には松本城、姫路城に行ったことがありますが、お城の中に
入り、最上階まで上ったことあるのは姫路城だけです。

琵琶湖遠望
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天守の最上階から琵琶の海(懐かしい響き音譜を眺めることができなかったので、
少し高台となっている所から眺めました。

しばし、水分補給、ご当地ガチャなどし(笑)、右膝を休めてから石段の下りに入ります。
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お城の近くにある庭園「玄宮園」に行く為に、黒門山道を選んだのですが、失敗でしたショック!

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上ってきた表門山道より傾斜がきつい上に、階段の足場が良くありませんでした。


ダメージが徐々に蓄積し、途中から竹の手すりに掴りながら、左足に体重をかけるようにしか
下りられなくなっていましたしょぼん
なんとか下りられて、玄宮園に行ったのですが、優美な庭園を鑑賞する余裕がありませんでした。

玄宮園
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この時点で、暑さと右膝の痛みでゆっくりしか歩けなくなっていました。


そんな時に目に入ったのが、お堀を巡る屋形船ビックリマーク
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往復3kmの45分コース。


10分ほど待てば、出発だったので、文字通り渡りに船。
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膝休めと水辺の涼を期待して乗船しました音譜
私以外の乗船客は、夫婦1組、夫婦に子供2人のご家族4人で、全部で
乗船率40%といったところでした。

この選択は大正解でしたニコニコ


歩いている時にはあまり感じなかった風もお堀の上ではありました。

屋形船ならではのアングルがありました。


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また、船頭さんによる彦根城のトリビア的な解説も興味深かったです(下記)。


・彦根城は関が原の戦い以降、なおも緊張が続いている徳川・豊臣の主導権争いの中、
 短期間で築城されたこと。
・国宝の四天守の中で唯一内堀と中堀が残っていること。
・内堀の深さはほとんどが1m20cmくらいで、深いところで2m程度なこと。
・徳川が各大名に割り当てて、石垣を作らせた為、石の積み方ににばらつきがあること。
 「手を抜いているなあ~」と感じられるところがありましたにひひ
・コストを下げるために、落城したお城(京極高次の大津城など)から部材をかき集めたこと。
・珍しい鉢巻腰巻石垣を一部で採用していること
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石垣の上に土塁を積み、その上にまた石垣を積むという三段構造で、低コストで石垣の高さを
稼げるようです。この積み方は、他ではほとんど見られず、江戸城、会津若松城の一部にしか
ないようです。
会津にも来月行く予定があるので、石垣を確認して来ます。

なかでも一番びっくり目したのが、ひこにゃんが世田谷に居た猫がモデルだったことです。


以下、ウィッキぺディアから
江戸郊外武蔵国荏原郡世田ヶ谷村(現・東京都世田谷区豪徳寺)の豪徳寺で、彦根藩の2代目
藩主・井伊直孝がにわか雨にあって大木の下で雨宿りをしていた際に、手招きをする白猫を見て
近寄ったところ、直後に大木に雷が落ちた。
この白猫のおかげで難を逃れたと感じた直孝は感謝し、のちに豪徳寺を井伊家の菩提寺とした。
この白猫の伝説、いわゆる「招き猫発祥伝説」のひとつを元に想起された。

良い話を聴きました音譜


あーやも世田谷某所に住んでいるようですし、右膝の痛みを抱えてから気になっていたこれもにひひ


この下船後、回復した膝で彦根城博物館に向かったところ、ひこにゃんが居て、現地にて
アップしたブログにつながります。