本日の朝日新聞朝刊に、「夫婦別姓 自民内で紛糾」という衝撃の見出しが記載されていました。ちなみに、この記載は間違いであり、現在議論されているのは「選択的夫婦別姓」であります。完全別姓と区別する必要があるのに、朝日新聞はこうした文字の配慮を全然行いません!

 

話を戻して、ここにこの問題の私見を述べたいと思います。

 

私は、従前は選択的夫婦別姓制度の導入に反対の立場でありました。「子への影響や家族の絆に影響を与えるもの」と思っていたからであります。また、選択的別姓により、同姓にしたいカップルの家族から姓の同一を拒否されることが想定できることから、反対でありました。

 

しかし、自分の寛容さの無さを猛省しています。

 

今年9月、友人の国会議員から選択的夫婦別姓制度導入を求める活動をされている方を紹介されました。当初は「めんどくさい方を紹介するな」と思っていましたが、私自身の政治信条として「どんな意見の方でも話を聞く」ことをモットーとしているので、「話だけでもお聞きします」ということで、お会いすることとなりました。

 

正直、選択的夫婦別姓を望む方の話を直接伺ったのは初めてであり、事実婚や通称使用でお困りの方が大勢いることを実感致しました。これまで耳を貸さなかった、いや、向けなかった自分が恥ずかしく思っています。

 

そもそも、選択的夫婦別姓を求める声は1990年代からありました。平成27年の最高裁判決では、「憲法に違反するものとは言えない」としつつも、「国会で論ぜられ、判断されるべき事柄」と述べられています。要は、国会で審議されるべき事項ということです。

 

一方、昨年の参議院通常選挙における党首討論では、与野党7党首の討論で挙手による賛否が問われ、安倍 自民党総裁だけが手を挙げませんでした。つまり、選択的夫婦別姓制度を導入するか否かは、自民党の問題となっているのです。

 

では、選択的夫婦別姓をどう考えるかという命題について考えたいと思います。現在、事実婚や通称使用でお困りの方々が求めている制度として、これは当事者の問題であり、不便を感じている方々に寄り添うのも政治の役割だと考えます。

 

よく、反対論を述べる方が「旧姓の通称使用の拡大でほぼ解決可能」と述べられますが、姓を変えたことのない方や通称使用で不便を感じない方が、当事者が不便であることを訴えていることを否定することは出来ない(不可能)と思います。

 

また、「子への影響や家族の一体感(絆)に与える影響を危惧する」とのことから反対される方もいます。しかし、子や家族の問題は、血縁や教育環境から生じるものであり、現に事実婚の方々が家族に影響を感じていないと言うことからも、単なる危惧でしかないと思います。ちなみに、諸外国で選択的夫婦別姓であることから家族の一体感(絆)に問題が生じているということを聞いたことがありません。また、私自身、母方の親族とは姓が違いますが、とても仲良くしておりますし、亡くなった祖父母とも家族としての絆はあったものと認識しています。

 

さらに、私が従前危惧していた「選択的別姓により、同姓にしたいカップルの家族から姓の同一を拒否されることが想定できること」についても、憲法上から個人の人権尊重でカバーできるものであります。

 

つまり、『選択制』なので自由の幅を広げる意味合いからも、反対する明確な理由がみつからないのです。

 

実は、我が国の婚姻制度の中で、既に別姓制度を導入しているものがあります。それは、日本人と外国人との婚姻であります。戸籍法では、別姓が基本であり、同姓にする場合は届出制となっています。この問題に対し、国際結婚では認められている夫婦別姓が日本人同士の場合には認められていないのは法の下の平等に反するという点が、現在提起されている選択的夫婦別姓訴訟でも論点の一つになっています。

 

 

外国人と婚姻した場合の戸籍が上記添付写真となります。すでに、戸籍で別姓が記載されるようになっているのです。つまり、選択的夫婦別姓制度の戸籍上の問題は全くないことが示されているのです。

 

ここで、反対派の方々に申し上げたいのは、「家族崩壊に繋がる」など、飛躍した思い込み論は「安保法制は戦争に繋がる」と言っている人々と同じ発想ということ。また、この問題の議論すらさせないようにする方々は、憲法改正反対派が行う議論阻止と同じ発想で、民主制における議論の重要性を無視していることを自覚頂きたいです。

 

賛成派の方々には、赤旗などに賛成派の方が利用されています。十分配慮して頂き、適切な議論を求めたいです。

 

長々と記載しましたが、健全な議論を推進することを自民党本部に求めたいです。